信仰的格差について

修養科にいっているAさんから聞いた話をしたい。Aさんが修養科にいって初めに驚いたことは修養科の授業で「感話」という授業があったこと。「感話」という授業は自身の信仰体験をクラスの多数の前で披瀝するということである。クラス全員に順番が回ってくる。話をしたくない人は「パス」もありだというが、「あ~パスするんだ」という停滞した雰囲気がクラス中に充満するということである。私はこういった「感話」のような体験は、宗教の受容機能として一定の有意性は認めたい。そして天理教以外の宗教でも容易に観察されるできごとだと思う。
しかしAさんの話は続く。この感話で聞いたほんどの話が「私は信仰的(いんねん的)にダメな人間で、それを直すために修養科にきた」という文脈が非常に多いとのことであった。そして、その信仰的弱者であることを天理教人に指摘され、いかに自分がダメで、信仰的訓練の必要性を認めて修養科に来たという方が多いということである。Aさんの言葉を借りるのであれば、そこには教えを求める主体性や向上心というよりも、自己憐憫の雰囲気が充満していたとのことだ。個人の感想としてね。
私は個人の理由や経験に口を挟みたくはないが、「そんなレッテルを貼る天理教人はひどいな~」と思わざるを得ない話もたくさんきいた。Aさん曰く、一番多いのは病気(身上)を運命論的因果(いんねん)や信仰的未熟さに置き換えられるということである。たとえば生殖機能の病気(身上)に罹患したとすると、天理教人によって「色情いんねん」(先祖代々から異性に惑わされてきた運命(家系))という信仰上の差別的意味を付与される。病気の上にそんなこと言われてはたまったもんじゃない。
こういった強権的な人間関係は人権上許されるものではない。しかし以前、私は宗教の接着機能として二者関係であればこういった意味付与は許されるのではないかという見解を持っていた。二者関係であれば、パーソナルな理解ができる。つまりお互いの顔が見え、発言者の真意が信仰的弱者にも誤解なく伝達する可能性が高いと思っていた。反対に多数の前では真意が伝わりにくく、誤解が生まれる。だから私はパーソナルな人間理解のために「二者関係であればいいのでは」という見解を持っていた。しかし、今回の話から、その考えも雲行きが怪しくなってきた。つまり二者関係での信仰的伝達は、教えの誤解は少なくなる一方、弱者を弱者に固定してしまう蓋然性が高くなる。Aさんが感じた「感話における自己憐憫な感じ」は、そういった構造的に固定された弱者の生存戦略として妥当な帰結ではないだろうか。つまり病気に対する強者からの「身上さとし」や運命論的因果論は信仰的弱者を弱者たらしめるものに固定するためのレトリックであり、構造的な役割の固定を促進する。強者のレトリックを受け入れることは弱者が強者に反抗することを構造的に放棄することになる。
もう一度言うが、これが悪いということではない。強者から弱者に「お前は知らないだろうが、私は(その病気の意味を)知っている」というレトリックは、立場上の優先的ポジションを先取する。同時に弱者は「私は知らない人間である」ということを刷り込む。もし信仰的探求や求道というものが目的となるのであれば、「いつかあの人のようになりたい」という強者への接近や向上心が必要となる。しかし弱者を突き放すためのレトリックは信仰的涵養や成長とは逆行する。また組織上健康とも言い難いのではなかろうか。
昔聞いた話を思い出した。結婚詐欺師には騙されやすい女性を見つける方法がある。一つのテーブルに女性と向き合ったときに、詐欺師は故意に女性の足を軽く蹴る。結婚詐欺に引っかからない女性は、たまたま足が当たったと思い何も言わない。結婚詐欺の対象になる女性は「あ、すみません」と謝る。つまり、詐欺に引っかかりやすい女性というのはあらゆることを自分の過ちとして認めるとのこと。これは日本人としては美徳の点であると思うが、詐欺師にとっては騙しやすい女性であることは間違いない。という話を思い出した。

信仰的格差について」への1件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 難しい内容ですね。教えてください。
    天理教の信仰強者と弱者に、強権的な人間関係に陥る危険を指摘されているのですね。
    今回ちょっと内容が難しいのですが、教えてください。
    信仰的強者からの「身上さとし」や運命論的因果論によって信仰的弱者を弱者として固定しまうレトリック(雄弁?)によって、弱者が強者に反抗することを放棄して自己憐憫な感じをもつことは悪くないと言っておられる(個人的には自己憐憫な感じをもたせることは良いとは思いませんが)。しかし弱者を突き放すためのレトリックは悪いという。この場合の弱者を突き放すレトリックとはどんなことを指すのでしょうか?
    また、最後に結婚詐欺に引っかかりやすい女性の話を引用しているのは、信仰弱者が強者の因縁論等によって自分の因縁が悪いと認めることは結婚詐欺に引っかかりやすい女性と同じような性格であり注意したほうが良いということがおっしゃりたいのでしょうか?

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