昨年末に「理の親」について論じた。私は理の親の教義的解釈については分からない。多くの天理教人が「理の親という概念は教義に存在しない」と教えてくれた。「世界いちれつみなキョウダイ」(親は神のみで、人間は全員子供)という教えと、「理の親」は確かに正面衝突する。私は、教義的解釈よりも目の前の天理教人の振る舞いという現象を見る。その視点で判断するなら「理の親」は明らかに存在する。「理の親」を権力として利用するものや、「理の親」で人生を振り回され苦しんでいるものなど、このブログのおかでたくさん知ることができた。しかし、なぜ「理の親」というものが生まれ、現代まで生き残っているのか、それについては外部にいる私には分からない。
教義的解釈や歴史的意義については
「天理教みさとブログ」
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/
が詳しく、私も勉強させてもらっている。この方については天理教信仰者であり天理教研究者だと認識している(間違っていたらすみません)。私の乱雑な天理教論にも的確にアドバイスをしていただいている。宗教という微妙で繊細な課題に対して発言するというのは、非常に勇気のあることだと思う。ほんとに。どれが正しいかということではなく、こういったエネルギーを持つ方を大切にしたい。
みさとさんが「理の親」について教義的に解釈、解説を書いておられるので参考にしていただきたい。天理教研究者ではない私には不勉強のあまり理解できない点も多いが、学ぶことは多いと思う。
1. こちらこそよろしくお願いします
私のブログを紹介して頂き、ネットに関心のうすい天理教内で絶好のPRになる、と有難く思っています。私のほうも先に12/16付で貴サイトをリンクしましたことをご了承ください。
お互い立場は違っても、真実を求めて執筆、ではなくてキーボードを叩き続けましょう。今後ともよろしくお願いします。
2. 無題
「裡の親」という幻想のために、どれだけ多くの天理教人がのびのびとした信仰心をそがれ、また天理教自体をも江戸時代さながらの封建宗教に閉じ込めてしまっているか、悲しむべきものがあります。
天理教社会学研究所と天理教みさと研究室は、天理教の二大良心サイトです。今後も、教内に向けていっそうの啓蒙的発信を期待しています。
理の親ってだけで、いい生活。おやさまの雛型どころじゃない。宗教人として、人間として、は?と思う事だらけで信仰心がなくなった。ある意味、ありがたかったのかも。参拝やめてすっきりした。でも、もっと早く気付いてやめてれば良かった。10年位は前会長の素晴らしさについて行けた。12年は悩みながら続けていた。今は、辞めて良かったと確信できる。でも、あと3年以上はまだ我慢が残っている。完全に辞めても、色々問題が山積みにある。は~。
天理教的には愛町が教会の鏡のように言うが、それは違うと思う。
多くの人を集め、沢山のお供えを本部に上げ、大きな建物と大きな部内布教所を多く作り上げたから、天理教的には素晴らしい教会という事になっている。
天理教的には素晴らしくても、教祖の教えと違う事をしたり言うたりしているのでは、天理教を利用した宗教団体に他ならない。
コツコツと信仰を育んでいる教会や信者を惑わしてきた罪もあると思う。
形や数だけだけで見ると、そこら辺の新興宗教団体くらいか、劣っている位だ。
「理の親のいう事は絶対で、理不尽な事でも親のいう事を聞いたら御守護を頂いた」なんて話は100のうち、1つの事を大げさに宣伝しているに過ぎない。
これからの愛町と関根家が、世界陽気遊山と世界平和に本当に貢献しているのか、しっかり見守って行きたい。