前回書いたブログに対して、いくつかのメッセージをいただいた。いくつかの天理教関連ブログや掲示板でも賛否があるようだとある読者が教えてくれた。いくつか読んでみた。偉そうなことを言って申し訳ないが、納得させられるものはなかった。中には、「インターネットで一個人の信仰を論じることはよくない」ということをインターネットを介して一個人が言っている人もいるようだ。滑稽である。
私は「インターネットは信頼性が低い」という言説には乗らない。メールもするし、天気予報も、ニュースも仕事もプライベートもインターネット様に依存している。天理教もまたそれらの文明の利器を多分に利用している。感覚的なもので恐縮だがネットの弊害を訴える人ほど、ネットに依存している偏った人が多いと感じる。そういった方は、うまく使いこなせていない不全感が攻撃性に転移しているだけではなかろうか。こういった言説は、アメリカの銃規制と同じである。銃乱射事件が起こるたびに、必ず銃規制の機運が高まる。しかし銃の恩恵を多分に受けている銃社会では、結局この機運も時間とともに鎮静化する。アメリカの銃規制の歴史はその繰り返しである。つまるところ、道具は使用方法次第である。インターネットもただの道具である。確かに「匿名の掲示板」というカテゴリーに入る情報は一気に信頼性が低くなるのは社会心理学が「没個性化」として証明している。しかし、だからといってネットの天気予報の降水確率の精度が一気に悪くなるとか、メールの内容が勝手に変わって届くということはない。
だから「インターネットは信頼性が低い」というのは「包丁は危ない」ということと同義であり大した意味がない。同じ文脈に教育界では根強い「ゲームはだめだ」というものがあるが、実は何の根拠もない。今や医療や教育でもゲームを使用したリハビリや学力向上がおこなわれている。
結局は「○○は危険だ」というのは、それを指導、教育できない未熟な親の責任転嫁でしかない。ゲームのせいにしておけば、自分の子育て能力のなさを直視しなくていいだろうしね。インターンットも同様に、天理教本部は一天理教人がインターネットで発言しているのを見てやきもきしていることは間違いないだろう。だから「インターネットは信頼性が低いから発言するな」という根拠のない言説を言わざるを得ないのだろう。しかし、私はそういった対策は逆効果であると思う。根本的に対処を間違っているとしか言えない。
私がこのブログで一番言いたい事は、言論の自由でも信教の自由でもない。「そんな八方美人なことを言っていては、現代では淘汰される」ということである。こういったことを言うと、天理教人は「天理教の教えは現代の常識では計れないんだ」という返事が予想される。しかし教祖のひながたが、ある意味ー当時の常識では計れないー”バランス感覚を逸していたために”民衆の信頼を得た事ととは方向性が異なる。過去に逆行するような現代におけるバランス感覚の喪失は、ラディカル(教祖のひながた)であるということと水準が全く違う。そして、私は天理教の良さはどんな人間でも受け入れる「歓待の精神」であると思っている。そして、それこそ陽気暮らしなのではないかと思う。
私のブログを取り上げてくれた、ある天理教関連において私のブログを
天理教社会学研究所(天理教に対して批判的なサイト)
と紹介されていたのはショックであった。批判をしているんじゃなくて、より良くなることを願うために現実的な批評をしているだけなんだけど。これからは
天理教社会学研究所(天理教に対して良心的なサイト)
と言ってもらえるように精進したい。
1. がんばってください!
いやいやカイン様のブログは、みさと先生のブログとともに、天理教の二大良心サイトですよ。批判的な文言があっても、基本的には天理教と天理教人に対する愛情がこもっているのが、じゅうぶん読み取れます。教内の心ある人たちは皆、そう思っています。がんばってください。蔭ながら応援しています。
2. 同感です。
無名信者さんと同感です。
いつも、更新を楽しみに待っています。
3. Re:がんばってください!
>無名信者さん
ありがとうございます。「こんな変なやつもいるんだな」といろいろな意見や考え方の一つと思っていただければ幸いです。
4. Re:同感です。
>1sinnjyaさん
ありがとうございます。私は時間のある週末にアップすることが多いかなと思います。よろしくお願いします。
5. インターネットの機能と功罪
インターネットの効用については、私にも言いたいことがあります。カインさんも指摘されている通り、ネットは包丁と同じ道具ですから、使い方次第という見方に同感です。しかもITは、人類の頭脳の中を「ろくぢに踏みならす」道具に違いありません。かつて権力に都合のよい情報だけが上から下へ一方的に流されていた時代から、情報が「ろくぢ」にヨコからヨコへ、下から上へも流れる自由平等な回路がネットによってつくられたのです。グローバルブレインといわれるように。
というわけで、我田引水になるかも知れませんが、「みさと」からリンクした「インターネットの機能と功罪」のファイルが、カインさんの論説の補足になることを願っています。
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