誰も止められないインターネットという波


天理教人のインターネットについて発言したい。天理時報での言論弾圧ともとれる記事が掲載されて、その記事に対する反論を書いた。それに対して「天理教みさとブログ」さんからコメントと過去に「インターネットの機能と功罪」という論説を紹介していただいた。http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/it.htm
大変勉強になるとともに、この記事が10年ほど前に書かれたことに驚きである。10年前…。私がインターネットという言葉を覚えたばかりで、全く使いこなせていないときである。この論説をすべて支持するわけではないが、率直な感想として、このような思考に軸のある方がおられることは天理教にとって大きな財産だと思う。ただ、それを天理教は認めないだろうし、むしろ保守的な現教団にとっては邪魔な存在なんじゃないかと邪推する。信者を思い通りにコントロールしたい天理教幹部にはおもしろくないものね。その辺のことを一度、この方に聞いてみたいものである。

「天理教みさとブログ」でも扱われているように、私はインターネットによる発言を中央集権で管理することはナンセンスであると思う。というより不可能である。本ブログの名称は「アメーバブログ」というものだが、インターネットによる情報はアメーバであり、状況や時間によって変形し変質する。
産業界でもインターネットによってコピーライトやパブリシティ権という課題がホットであるが、違法ダウンロードや違法コピーは規制したところで誰も止められないことはみんな薄々感じている。しかし対応の仕方が分からないから、とりあえず「やめろ」と管理しかできない。先進的な国では、それらを止めることよりも、それらを活用した新たな産業開発へと方向性は変わってきている。

天理教でも同様である。インターネット上には、良くも悪くも天理教に関する情報は増え続けている。各教会の毎月のお祭りの神殿講話でさえも録音され世界中で聞けることがある。先日はUSTREAMで祭典の様子が生中継されたところもあるようだ。

つまり天理教人にとっては、一挙手一投足が天理教としてみられているということである。いい加減なことを言えば、それがそのまま天理教のマイナス評価へと結びつく蓋然性が高くなっている。従来であれば天理教だけの話や教会内という内輪だけの話であり、恫喝であろうが、脅迫であろうが、人権蹂躙であろうが、管理を徹底していれば外に漏れることはほとんどなかったであろう。しかし、小さな田舎の教会でのことが世界に配信される可能性だってある。

そもそもインターネットの性質はフラットネットワークであり、上意下達の垂直的組織体質とは相反する。この性質を読み間違ってしまっているために「管理」という手法をとるのであろう。まさしく管理はトップダウンで行なわれるものである。つまり天理教幹部が天理時報を通して「インターネットでの発言はいかがなものか」というのは時代性の錯誤である。盲目的すぎる。ということは、それほど信者を信頼していないということでもあろう。「管理」が達成したいものの先には何があるのであろうか。そのさきには、天理教の社会からの孤立ではなかろうか。それは天理教が孤立していくという意味ではなく、社会が天理教から離れていくということである。それが私がずっと唱えている天理教の衰退という意味である。

偉そうなことばかり言って恐縮だが、私は天理教人はどんどん社会に対して発言するべきだと思う。もしそれぞれの信仰する天理教に自信があるのであれば、社会に天理教を提示していけばよい。それは布教として妥当性が高いという意味ではなく、現実的であるという意味である。教団は発言を推奨した上で、社会とのコミュニケーションを生成させ、発展させる手法を考える方が現実的である。なぜなら、信仰とは教団と一個人のものはなく、個人対個人のものであろう。社会と話をせずに、「天理教が一番だ」と自分たちの優位性を内輪だけで語っていても社会との距離は離れるばかりである。つまり神名流しや個別訪問をやったところで社会の天理教に対する警戒心は時代とともに増強するだけであろう。

いくら立派な教義を持っていても、一会長さんの神殿講話が世界に配信され、それを見た人が「天理教って何言ってるかわかんねーぜ」とツイートされる可能性は高い。しかし配信それ自体を止めるよりは、「いやいや、それは○○って意味あるんだよ」とか「天理教の目的は○○だよ」と説明責任を誰か別の天理教人が果たすことに期待する方が現実的であり、発展的ではなかろうか。発言するも良し、議論するも良し、教団はもう少し天理教信者を信頼した方がいいと思うんだけどな。

ここまで書いて思ったのだが、天理教幹部は天理教の衰退を(無意識的に)望んでいるのだろうか。まさかね。

誰も止められないインターネットという波」への4件のフィードバック

  1. 匿名

    1. もろ刃の剣
    インターネットは「もろ刃の剣」と聞いた事がありますが、何もやましい事がなければ、何を言われても、何を書かれてもビクともしないと思います。
    何か隠したり、曲げたりしていたとすると、ちょっとしたことでも敏感になりますよね・・・。
    インターネットほど素晴らしい道具はないと思います。
    多分、世界を変える道具となるでしょう・・・。

  2. 匿名

    2. Re:もろ刃の剣
    >1sinjyaさん
    遅くなり申し訳ありません。まさしく同じ意見です。天理教に限らずにインターネットという便利なツールを使いこなすためには、使いこなすための芯のある哲学が必要ですね。その場限りの適当なことを言っていれば、一気に崩れますね。「俺らはこうだ!」という哲学です。でもその哲学を判断するのは天理教ではなく社会でしかありません。

  3. ネット信心

    本部に本席様の様な方々がいらっしゃらないなら、もうこの教団からはオサラバだと思っていた、教会で育った者ですが、ネットの恩恵に預かって、有象無象分派異端を含めて、様々なお道の存在を知る事が出来ました。
    清濁併せての情報の氾濫によって、神に淘汰されるべき大社高山心は何かという事も理解できるようになりました。
    危険な情報も氾濫していますが、これまでの閉塞社会が飛躍的に変革される可能性に喜んでいます。

  4. 書類上は教人

    インターネットかあ
    田舎の複数のお年寄りの方から、パソコンは子供の玩具と言われたことがあります。
    教会でもパソコン早く卒業しなさいと言われました。

    つまり、そういうこと

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