どの時代にも宗教とお金にまつわる話は多い。今回は私の考えというよりも、色々な方の意見を聞いてみたい。また推測の域を出ない話になると思うので、そのことを注意して読んでもらいたい。
そう生活保護費である。有名芸人が国会議員から吊るし上げられていることで注目を浴びている生活保護制度である。生活保護費が国会予算に占める割合は多く、3兆円とも言われている。非常に莫大である。このまま支給額が増大すると、国家が沈没するのではないかという話も聞かれる。
このブログは一応社会学という名前がついているが、私は社会保障制度については明るくない。申し訳ない。ただ今回の事件をきっかけに生活保護法を読み、オピニオンリーダーたちの記事を読んだ。生活保護とは、最低限度の文化的な生活を営むことを国家が個人に対して義務を背負うものである。反対に、国民は勤労の義務がある。簡単に言うと生活保護は「働けない人」に対して支給されるという解釈で私はいる。今後は制度が見直される可能性が高いようだ。
そこで教えていただきたい。以前、私はある読者から「天理教人にも生活保護をもらっている人がいる」と聞いたことがある。天理教を信仰しているだけでは様々な事情があるから問題ないと思うが、いわゆる五体満足で道専務(天理教の業務だけを仕事とする人。もちろん収入は皆無に近い)と言われる方が受給している場合はあるのだろうか。そして、もしあるとすればそれはどういった解釈のもとで成立しているのかを私は知りたい。国側の視点と天理教側の視点と両方の解釈も。もし受給しているのであれば、それはどの制度や法律よりも、信教の自由が優先されるということであろうか。そもそも天理教人は生活保護を受給している人はいないのだろうか。
これは例え道専務と言われる人が受給していたからといって、「天理教は働けるのに働かないんだぜ」とイデオロギーを形成しで不正受給の流れに話題をもっていくつもりはない。ただ社会の構成員として率直に知りたい、よく考えたいと思うだけである。
1. まさか・・。
一信者さんが、生活保護を貰っていることは有るでしょうが、まさか、道一条の人でで貰っている人は無いでしょう・・。
もし、そんな事があるならば、何の為の信仰か疑わしくなってしまいます。
2. 無題
これが本当ならば、完璧な法律違反です。
芸術家、作家、政治家(落選中)を職業と選択した場合に、たとえ収入が乏しくとも保護の対象にはなりません。
宗教家も同じカテゴリーの扱いになっています。
3. 受給者は高齢の教会長?
以下私の勝手な推測にすぎません。
現在、天理教の教会の半分から3分の2は、事情教会、あるいは、それに近い教会活動が行われていない教会ではないかと思います。
教会長はいるけれど、祭典日に来るのは、お供えを取りに来る上級会長だけというところです。
そのような教会の会長は、高齢者が付いている。教会建物は、法人になっていたり、借家だったり、個人名義でも、ぼろ屋だったり。
そのような人は、年金も少なく、生活保護を受けるしかないと思われます。保護費の中からお供えをしていることもあるかもしれません。
4. 初意見でーす。
先ず、「教会」という社会的存在から、其処の中心者が「生活保護」受給、本来は可笑しいでしょう、が本音です。
しかし、一万七千有余の教会が存在していれば、何でも有りが当たり前ではないでしょうか。
コメント「山田太郎」氏の{勝手な推測}、と断りながらも、ほぼ事実に近い指摘のごとく、「無担任」教会では「神様」(天理王命)に申しわけない、本部に対し「大教会」の名称、「大教会長」の名折れになるとばかりに、経験のある方(年長者・高齢者)を充てる、は現在の天理教に於いてはよく有ります。 が、しかし、其の時の、「任命される」方の生活はどうするか、等の決め方によるのではないでしょうか。
引き受けられる方は信仰に真面目過ぎて「神様がいいようにしてくれる」とばかりに—私の一方向的言い方ですが—、何の約束も無い侭に「担任」に「会長」になる。
当初は自分の元の教会や援護者からの援助があるでしょうが、此れが細って来ると、現実即決対応型の知恵が出て、上級・直轄、大教会につながる、救済策では無く、過去から今迄なんら関わりの無かった市役所に、国に、社会に個人の生活が立ち居かないとばかりに「生活保護」を頼る、道筋です。
私は、知っている五十代の会長が病で倒れ、上の手続きを積極的にして来ました。
その間、「天理教の大教会、直属教会、兄弟教会」は何にもしません、知らん顔でした。
まーぁ、天理教の組織を擁護すれば、そういう経験が無かった、金銭の負担が出来ない、のでしょうが、大なる問題提起でしたが、現在は"まるで、そんな事象が無かったかのように全て忘れて"新会長に担任変更です。
+++一件落着、一同立ちませー+++とばかり、ドラマのように終わりました。
各教会が、自立して活動する、の本分を自覚し、各地の「教会」が地域で横のつながりを蜜にして、一生を掛ける、尽くす人々(教会長、その妻、子)が自ら自前の自分の為のシステムを創り出すを願うばかりです。
さすれば、自ずから、此の話題は「天理教」とは無縁になるでしょう。
今在南北
5. 無題
私の知っている教会でも、60を超えた独身息子が、会長である寝たきり高齢の父親の面倒を診ていますが、仕事もしておらず、父親に付きっきりです。もちろん行政からの保護や手当があるから生活できているのでしょう。
そういう状態は、上級や大教会はまったく関心がありません。いうなればあくまでも個人の家庭事情ですからね。あまりうるさく口は出せないといったところでしょうか。
普段からきっちりとした、いわゆる「親子」関係が構築で来てればよかったのでしょうが、もはや手遅れでしょう。
生活保護を貰っている他の事例としては、会長も身上、子供も身上、かろうじて奥さんだけが健常者という教会です。
6. 無題
行政にはないしょで貰ってますよ。生活ができませんから。教会長自身が身体障害者手帳(心筋梗塞)もってるのも取得しやすかった理由かもしれません。他にも例はたくさんあると思います。
この教団の上層部は集金はするけど、下部組織は助けないのか?
神はよろずたすけの為にお地場を現したんだろ?
そのお地場を戴いてて、本部は、長年尽くした下部組織をたすけられないのか?
地方教会専従者は、もう教会本部や大教会を見限って、互助会をつくるしか生活を維持する方法は無いのかもしれない。
本部は、親里館を簡易老人ホーム件ホスピスにして、長年勤めた教会担当者夫婦はサービス価格で優先的に引き受けるようにすればいかがだろうか?
皆さんは色々なご意見をお持ちなようですが、性根の腐ったこの教団には未来などありません。
悪徳マルチ業者と形態は全く同じです。
所詮苦労するのは末端信者(末端会員)だけです。
友人に実家が天理教の人がいますが30半ばになって仕事もせず、60代の既婚者と付き合ってお金の面倒もみて貰ってるようです。父親にもその60代男性を友達と言ってか?会わせているようなので変わった家庭だなと思います。
家も古いので生活保護も受けてるかもしれません。
そんな状況でも天理教の人とお見合いをしたら嫁に来て欲しいと言われるらしいです。実家が教会なので教会を手伝ってきたと相手方には言ってるのかもしれませんが。
実際には彼女は家を手伝う事も殆どなく仕事もせずです。
天理教の教えで「みんなの為に〜」とよく言ってますが、働かず税金を納めず、自分のお金は使いたがらず消費をせずなので口ばかりだと思います
天理教人はあなた任せ、神任せ。能動的に自ら行動して解決しようとする姿勢が薄いですね。内の上級も相談事を持ちかけても脳の回路が神頼み一筋。精一杯のお金を積み、理作りと言って匂いがけなどする事しか能がないから、難しい相談事を持ち掛けても金の事を言う以外に手応えがない。地域社会に於いて天理教会の存在意義はあるんでしょうか。金集めだけですか。
天理教にどっぷり浸かると、多角的に考える知恵を持たない低レベル人間を増産する事になるんですね。
だから上級見ていても人としての魅力は無いですね。人間としては物足りないです。
この世界は独身会長が多いですから、言い方は悪いが来てくれると言うなら誰でも良いと言う人達は多いです。大抵は女性側から断る場合が多いようです。
結婚しても女性から逃げられて離婚に至る教会長も多いです。金無い、上下関係で虐げられるじゃあ、普通の人は逃げるでしょう。