関西では今夏計画停電が実施されるようだが、天理教の夏のイベントはどうなるのだろうか。
1ヶ月ほど前に2日続けて信仰者と会うことがあった。一日目は仏教系で、2日目は天理教の方である。話した時間は1時間ほどであったが、内容は共通点が多かった。テーマは両者とも「優秀な人材が流出する中で、いかに信仰を世代間伝達し拡大していくか」であったように思う。知力や行動力のある優秀な若者はどんどん宗教組織から離れていっている。私の知っている天理教人も、国公立大学や有名大学を卒業したものは、研究者や有名企業で最先端、最新の仕事をガシガシしている人が多い。その人たちと話をすれば天理教の内部事情なんてどうだってよくて、「陽気暮らし」を達成するために高い志をもって教えを体現している人が多い。そういった人たちの中には、天理教教会の子息や多数の檀家さんを抱えた後継者もいて、社会に出ることに反対されてきた人も何人かいる。宗教団体のメンター(理の親)たちは若者たちが社会に出ることに対して、とりあえず否定する。しかし、その否定が何を目的とするのかは、後継者不足考えたときにもう少し慎重であるべきだと思う。
仏教と天理教は教義と教団は全く異なるのに、抱える課題や背景が多いことは驚きであった。坊主も会長も、実力はなくても血が大きな意味を持つ。もし実行力や意欲が高ければ、その血も求心力になるが、中には実行力も意欲もない人がいる。そういう人の血は、神や仏の名前を借りて自身が権力化する傾向がある。特に若者の指導に関しては、会長や坊主が人事権を握り、さらにその上のセンセイと言われる人の承認が必要となる。会長や坊主は、上級のセンセイ(理の親)からのポイントを稼ぐために「子どもは社会に出て働いている」というよりも「御用に勤める」としたほうがいいのだろう。実際に天理教の会長さんと話せば、芯のある理念や意欲に溢れる将来よりも「とりあえずお道の御用を」というところで思考は停止していることに気付くだろう。ただ結果的に仏教系の方が人として健全度は高いと私は思った。それは最終的に組織を抜け出せる道、仏法とは違う生き方が仏教系には確保しているということである。ようは金である。現在、逃走中の指名手配犯ではないが生きて行くためには金がいる。現在日本では金がないと生きて行けないようになっている。
私と話をした仏教系の僧侶は、どんなに下っ端でも月に10万余りの金は頂けるということである。社会保険と税金も払っている。一方天理教では私が知っている青年さんのところでは月に2万円しか給料(給付)がなく、年金も税金も払っていない。両者とも食事や生活場所は確保されているが、この金額の差は自立(社会的にも、文化的にも)という意味では非常に大きいと私は感じる。
天理教は、天理教組織に入った瞬間に二度と自分の意思で飛躍できないように羽をもがれると表現した天理教の子息が言ったことはあながち間違いではない。極めつけは、月の2万円の中から毎月神へお供えをしなければ、それは信仰が未熟という証明になる。これは天理教だけに観察される特異点ではないだろうか。宗教組織に100%在籍するものが、その組織にお供えをするというのは興味深い。一見お金は流動しているように見えるが、実は二者間で往来しているだけであり経済活動とは言えないだろう。
私は天理教に関するお金問題は新興宗教としては比較的安心感があると思う。しかし一度組織の中に入ってしまうと、それはなかなか抜け出すことができない構造に入ることになることは否めない。知り合いの会長さんと話をすれば、多くの人が天理教の現状に危機感を感じおり、多くの会長さんが「こうすべきだ」と立派?な改革案をもっている。しかし、その足並みの悪さと現実検討能力を欠いた改革案は、「居酒屋のおっさん」の閾をでない絵空事ばかりであり、その人たちの教育論もまた若者を狭隘な見識で「お道のために伏せ込みを」としか言えない。その結果、本当に優秀な若者は天理教を無価値なものとして離れて行く。それが今の天理教が持つ深刻な側面であろう。
先日、サービス業の小さな会社の経営者と話しをする機会があり、経営について興味深いことを聞いた。例えば、会社のスタッフの求人をかけると、びっくりするくらいの人が応募してくる。この時代だし。しかし雇ってみると全然使えない人が多い。だからしっかり書類選考と面接をするようになった。その結果、たしかに優秀な人を選ぶことができるが、優秀な人は一定期間の経験を積むとよそへ行ってしまう。そして、また募集をかけなければいけない。結局、使えない人ばかり会社には残る。ということである。会社も経営が非常に厳しく人件費にお金をかけることができない。しかし人件費をケチることで悪循環は形成され、少しずつ、そして確実に業績は低下していったとのこと。
この時代だし仕事を求める人は多く、厳しい待遇でも応募を出せば人が来る。経営者としては、仕事を求める人の足下を見ていたつもりだったが、実は仕事を求める人に足下を見られていたのは経営者であった。幸いにも、その経営者は啓発セミナーに参加して悪循環に気づかされたということである。人件費を拡大することは痛く、勇気がいる。しかし少しでもいい待遇で新しいスタッフを迎えようと待遇面を改善した。すると優秀な人材が集まり、少しずつ業績が回復していったということである。賃金や待遇面を手厚くすることで、スタッフの自尊心は高まり、やる気も出てくるということを痛感したということである。特にサービス業であるから余計であろう。
人材流出という点では、ここに大きなヒントがあると思う。何を若者に伝えるのかというのは、今の日本社会が抱える共通課題であろう。しかし経営だろうが、宗教だろうが少し考えれば当たり前のことばかりではなかろうかと思う。何も難しい経営論や、コーチングスキルなんて付加価値にすぎない。信仰離れが深刻であるからといって、縦の伝道と称して説教大会を開催しても逆効果だけでしかないのではなかろうか。
我々は若者にもっと気持ちよく仕事をしてもらい、チャレンジしてもらえる環境を作ることだけでよい。偉そうに前面に出て、いつまでも若者に席を譲らない老人や、文句を言わない若者を「素直だ」という勝手な評価を植え付ける中年、自由や反骨を押しつぶす組織などは、やる気を損なうことでしかない。20,30年後に死んでいる人間の言うことなんて、現在の方向性において何も信用できない。
ファミリーだから、子ども
1. 居なくなった侍
ある人に聞いた。
上の人が「最近のお道には侍が居なくなった・・」と嘆いたそうです。
それを聞いていた人が「そっちで刀狩をしたくせに、よく言うよ・・・」と・・
2. Re:居なくなった侍
>1sinjyaさん
すみません。「刀狩り」の意味がちょっとわかりませんので、補足説明していただけますか?
3. 無題
お道の中には、忠義とか滅私奉公とか、自己犠牲といった美学がいまだに深く残ってますからね。それで「いんねん」が切れるんだと。
外の世界へ出るより、中でつとめなさい、と。
外へ出ると「いんねん」に負けて、怖いよ、怖いよ、と。
中は善、外は悪。
カルト教団と同じ論理ですね。
お道はテロ活動や犯罪行為をしないだけマシですが、結局、どの宗教も「同じ穴のムジナ」ということでしょうか。????
4. 刀狩り!
多分、鋭い意見を言う人を遠ざけてしまったり、本部に都合の悪い資料は閲覧出来なかったり、という事でしょうか。
変な言い方ですが、本物の武器(教理や資料)を持たせずに、戦場に行かされているようなもの・・・と言うことかな。
あまり、侍には登場して貰いたくないのでしょう。
5. Re:刀狩り!
>1sinjyaさん
武器を持たされずに戦場に行くといのは、的確なたとえですね。本物の武器を持たすと、その矛先は、教会本部に向けられるのが分かっているのです。
天理教は、最初から「お金儲け」でした。
お金儲けを標榜する社会は、貧富の差が広がります。貧しいものからお金をふんだくって富者は富んで行くのです。
6. 刀狩り!
刀狩りで、ふと浮かんだのですが、おぢばには、「かんろだい」が有りますが、あれは教祖の言われた「かんろだい」では有りませんよね。
本部は石の「かんろだい」を作るつもりはないようです。これも「刀狩り」と思います。
昔、有力な教会で「かぐらづとめ」が勤められておりましたが、「かぐらづとめ」は本部限りということで、止めさせられました。これも「刀狩り」でしょう・・・。
「かぐらづとめ」が本部の専売特許になってから教勢は伸びたのでしょうか?
7. Re:Re:刀狩り!
>山田太郎さん
天理教が「金儲け」しているとは思えませんがね…。
一部にそういう教会もあるかもしれませんが、そう教会は事情身上を見せられて自然と淘汰されていくでしょうね。
現在の教会本部の会計は残念ながらひっ迫しています。
「お金儲け」の結果ではなく、「信者の激減」、つまりは「おたすけの実の激減」が原因と私は考えます。
8. Re:刀狩り!
>1sinjyaさん
ご指摘の通り、現在のかんろだいは正式な「かんろだい」ではなく、「雛形かんろだい」です。
ただ地方所々の教会で「かんろだい」を作り、かぐらづとめすることは、1shinjaさんの言う「刀」では無いと思います。
かぐらづとめは人間始め出しの証拠として据えられる台で、それは「ぢば」でしか認められません。それ以外にはありません。
1shnjaさんの言葉を借りれば、「専売特許」です。今も昔もこの事実は変わりませんので、「専売特許になってから教勢は伸びたのでしょうか?」という問いはまったくナンセンスだと思います。
今現在、一部の教会では、「かんろだい」を据えてかぐらづとめを勤めているようです。が、そこの教勢が伸びているということはありません。