原発再稼働に対する天理教の沈黙について

震災以降、原発についての意見を求められることが多かった。その度に私はブログで意見を書いた。私の意見はどちらかというと原発再稼働について反対である。「どちらかというと」という非常に曖昧模糊とした回答で恐縮だが中身が見えないから反対も賛成も判断する材料がない。より率直に言えば、なぜこの混沌とした状況の中で、専門家でもない人があれほど熱狂的に原発を反対できるのか知りたいという思いもある。あのような熱狂的な原発反対運動を見ると、やはり日本は宗教的な国だなと思う。
正直な反応として、私にはまだ震災のショックが残っている。私は被災したわけでもなく、遠方の関西にいたため何の影響もなかった。しかし震災以降、事故や事件のニュースを直視できなくなった。そういったニュースを見ると「悲しくなる」とか「しんどくなる」というものではなく、無意識にチャンネルを変えると家族に指摘された。それがまだ続いているようだ。ただでさえ、テレビは夜のニュースしか見なかったのが、それも見る時間が減少しダウンタウンばかり見ている気がする。

原発問題について、社会学を勉強したての学生なら「交通事故の方が危険率は高いっしょ」とか「北朝鮮がテポドン打ったら無意味」とか平気でいうであろう。反原発としては「経済活動よりも人命だろ!」という大義名分があるだろう。「なんで天理教は原発について意見を表明しないんだ!はっきり意見を言えよ!」という反原発の天理教人からも声が届いたこともある。

そんな中で読者より教えていただいた。原発再稼働について真宗大谷派東本願寺が声明を発表した。
http://higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=402

政治的な判断か、思想的な判断かはわからないが、特定の宗教団体が世論を二分する事象に明確に判断を下すことは非常に注目している。この動きが今後どのような影響を及ぼすだろうか。私は「どちらかというと」反原発の立場であるが、そのうえで天理教の原発に関する沈黙については評価できると思う。天理教の教義と歴史を考えると、私が持つ天理教のイメージは積極的に社会を造っていくタイプではなく、必ず弱者でも受け入れてくれるイメージである。別の言い方をすれば、天理教のイメージは兵士に訓練をして積極的に戦闘を仕掛けて領土を拡大していくタイプ(中国や創価や幸福)ではなく、負傷した兵士がかならず還ってこれる故郷的なイメージである。
なぜイメージで話をしたかというと、このイメージこそが天理教の真骨頂であると思っているからである。確かに原発が再稼働しないと経済が停滞し生活の質は低下し、失業者も増えて自殺率が増える危険性もあるという社会学的な理路を示すこともできる。しかしそれは宗教の役割ではない。
私の天理教に対するイメージは、別の言い方をするとマイノリティにも門戸を広げているという解釈もできると思う。声高らかに派閥を形成することではない。天理教の役割は表面的な思想ではなく、人間論的な哲学だと私は思いたい。つまるところ、天理教である以上は多数派でも少数派でもいけない。「誰でもオッケー」というポジションであり、賛成ー反対とは次元が違う。もちろん天理教人個人が思想を持つことは問題ないだろうが、常に一歩ひいた万物に対する受容性を持っていなくてはいけないのではないだろうか。実際、天理教に対して受容的で故郷的なイメージを持っている人は多いと思う。その人たちが「天理教は反原発だぜ」と攻撃的な姿勢を提示されるとどう思うだろうか。ちなみに私はドン引きした。もちろん「天理教は原発賛成だぜ」という姿勢も同じである。

そう考えると、私は天理教本部が過去に示した「臓器移植に反対!」という明確な立場は許容できない。天理教本部は莫大なお金を投じて現代医療を経営している一方で、最先端医療にケンカを売っている。人間の体は神からの「かしもの・かりもの」という教えがあるからだろう。しかしあまりに思慮が浅すぎる。むしろ教義と社会をうまく架橋するのが天理教本部の役割ではないかと思う。何が思慮が浅いのかというと、臓器移植に反対するということは、臓器移植で助かっている人や臓器移植を望んでいるマイノリティの人を天理教は認めないということである。別の言い方をすれば天理教は人を差別化しますという宣言でもある。
この問題は、これからどんどん大きな社会のテーマになっていくと思う。そういった意味でも天理教が「臓器移植に反対」と判断したことは、拙速でありカルト宗教と言われても反対できないだろうと思う。

原発再稼働に対する天理教の沈黙について」への6件のフィードバック

  1. 匿名

    1. いつも興味深く読ませて戴いてます。
    私も不確かですが、天理教って臓器移植反対!という明確な表明をしましたっけ?

    「かしもの・かりもの」の教理の理解、解釈の違いによって、それぞれの本部の先生や、教学の学者が、それぞれの意見を持っていると思っていたのですが。
    教団として統一見解を出したんですかね?

  2. 匿名

    2. Re:いつも興味深く読ませて戴いてます。
    >あらきさん
    かしわともうします。
    私も同意見です。
    天理教本部が明確に臓器移植にたいして反対を表明したことは無いと思います。

    カインさんがどこからそのような情報を得たのか知りたいですね。

  3. 匿名

    4. 「道と社会」
    久しぶりに拝見いたしました。横レス失礼します。コメントの多くつくテーマとそうでないものがありますね。

    道と社会という本があって、臓器移植についてはたしか両論併記だったと思います。教学的にも、賛成派、反対派があったと記憶しています。同書は、「天理やまと文化会議」が編集しており、天理教の意見のようにみえ、対外的にも、そのように使いながらも、いざ突き詰めると、本部の意見(公式教理上の判断)ではないというスタンスをとっています。そのあたりの狡さは、うまくいっているときはいいのですが、先行き不案内のときには、障害物以外の何物でもない。結局判断しないんですね。
    それで、臓器移植の件ですが、天理教の病院では、技術・設備があっても、かしものの教理上の判断から、臓器移植はしないと聞いたことがあります。現実には「臓器移植に反対」と同じです。

  4. 匿名

    5. 原発への態度をめぐって
    今回の記事を拝見して、カインさんのブログの趣旨は、あくまで天理教という教団を社会現象として、平面的・客観的に分析することにあると再確認しました。その面では正確な視点と分析に共感を覚えたことは事実です。「平面的」という意味は、175年を数える教団の歴史や教祖の言行について一切関心をもたれていないということです。
    社会学にも政治の影響や歴史的・構造的な見方はあるはずで、私は同世代の小室直樹氏から多くを学びました。(差出人の「みさと」をクリックして頂くと小室氏に関する記事をリンクしています)
    教祖は明治期の政治権力の迫害干渉を受け18回にわたり警察に拘留されても一歩も引かず、「上・高山」(横暴な権力)を「ろくぢ(平地)に踏みならす」と明言されたのです。仏教にせよキリスト教にせよ、組織化していく過程で宗祖開祖の教えと似ても似つかぬ教団になっていった歴史は明らかでしょう。
    最後にひとこと言わせて頂けば、教祖の預言通り戦後の日本社会は、自由平等化したとはいえ、生き返った権力の策謀によって戦争拡大と同じ経過を辿って原発が推進されてきたことは間違いないということです。
    申し遅れましたが、私は原発が「自然に刃向う勝目のない戦争」と信じる上から「脱原発」の態度を明らかにしている者です。最近では核兵器準備のための国策であった秘密も暴露されています。昔も今もマスコミの報道は、それこそ表面的で信用できないのです。

  5. 匿名

    6. Re:Re:Re:いつも興味深く読ませて戴いてます。
    >はるさん
    ありがとうございます。
    視点に書いてあった文章ですね。
    「お道の視点から」という本に出ています。

    また、いろいろと教示ください。

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