情報発信と天理教の苛立ち

東京国際ブックフェアというものが開催される。明日5日から8日まで。http://www.bookfair.jp/
東京国際ブックフェアとは、出版物の見本市である。そこに天理教傘下の天理教道友社という出版社も出展するようである。おそらく私は昨年の天理時報で同様の記事を見た記憶があるので天理教道友社は、毎年このフェアに出展しているのだろう。
https://exhibitor.reedexpo.co.jp/TIBF/2012/search/jp/tibf/list.php?mode=jas&val=ta

驚いたのは、その模様をユーストリームで中継するようなのである。http://www.ustream.tv/channel/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A22012-%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%E9%81%93%E5%8F%8B%E7%A4%BE
ユーストリームとは誰でも中継、放送がインターネットで配信できるサイトである。非常に先進的な試みではないかと思う。宗教において閉鎖性とカルト性が比例することは社会学の常識なので、こういった開放的な試みは非常に新しいことだと思う。私は歓迎したい。しかし一方で、違和感を感じることも事実である。この違和感はどこから来ているのだろうか。宗教団体という内面的なものがインターネット配信という表面的なものを利用する安直さだろうか。天理教も某学界と同様に出版収入という安定的な収入にシフトしていることだろうか。おそらく、私が感じる違和感とは”開放の一方通行性”なんだと思う。ユーストリームとはインターネットを利用した比較的新しいツールである。それはインターネットを使用することからも分かるように、”誰でも、どこでも、何でも”という特徴を持つ。天理教がそのツールを利用することは時代の流れを考えると必然だと思う。しかし一方で天理教は、信者に対して情報発信の圧力をかける。「インターネットで天理教という名前を入れて安易に発信するべきではない」と。これはまさしく時代の逆行であるし、表現の自由への挑戦である。天理教は対外的には優しく、対内的には圧力をかける傾向がある。内弁慶というか、二枚舌というか。これが私の感じた今回の違和感だろうと思う。私の手元にも、天理教人がインターネットで天理教の情報を(ネガティブに)発信したあまり、天理教から罰というか、軟禁というか、処分を課せられたという事例が届いている。これは不確かな情報だったが、複数の情報を精査するとかなり事実に近いようだ。
中国の人権活動家を巡る、公安と民主主義の闘いが天理教でも再現されているといっても過言ではないと私は思う。人権を無視した”おいしいとこどり”は、そうは問屋が卸さないと私は正義を信じたい。