パレードと格差について

こどもおぢばがえり(以下KOG)が終わった。
私も若い頃は積極的に参加したが最近はどうなっているのか分からない。
でも期間中一度はパレードを見に行くようにしている。今年も行った。

それに関して3日前「小さい頃は毎年KOGに行っていた」という女性と知り合った。
彼女は現在は天理教と関係のない職についており、実家も含め天理教との接点は
幼少の頃のKOGだと言われた。だから用木でも信者でもなんでもない。

なぜこんな話になったのかは不明だが、彼女から夏の思いでの一つとして語られたものだ。
(もちろん、私が天理教に興味を持っているなどという話は一般社会では非公開である)

私はこんなブログを書いているくらいだから、
「それはどんなの?」「なぜ行ったの?」などマシンガンのように質問した。
彼女の答えは「天理教主催の子供を対象としたお祭り」「両親が旅行とか連れて行ってくれなくて近所の教会の人が両親と仲良かったから」「もちろんうちは天理教じゃないけど」
「でっかい城みたいなとこに連れていかれて『あしきをはろーて』と踊った」「中途半端なパレードとか見せられた」・・・etc
色々と注目すべきところはあるんだろうが、彼女が発した中途半端なパレードという表現についてのみギャップを感じたので考察したい。

私が初めてパレードを見た時は正直感動した。
こんなスケールのでかいパレードを宗教団体ができるものか!とね。
「こんなディズニーみたいなクオリティの高いものを作るなんて凄い!」てね。
私が聞いたところによると対外的にも評価が高い、らしい。

しかし、よく考えてみるとディズニーには負ける。よく考えなくてもだけど。
私が聞いたところによると、パレードの関係者はディズニーにも調査しに行っているとか。
でもこれは直接的問題ではない。

事件は観客側で起こっている。会議室じゃない。
観客側の子どもたちの経年変化を俯瞰してみよう。
20年程前の子どもたちで特に関西圏ではディズニーなんて行ったことない子どもは少ないと思う。私の実感的に。つまり20年前の子どもなら、KOGのパレードを見て単純に「すげー」と思う子は多いのではないかと思う。
そして、現代の子どもに目を向けてみよう。現代では、ディズニーに行ったことある子どもは昔より多いのではないかと思う。これは私個人の主観的実感なのでなんとも言えない。しかし、現代では東のディズニー、西のUSJとなっている。
それ以上にTVを初め特にインターネットのアクセス権の増加によって子どもたちの情報は格段に増していることは周知の事実ではないかと思う。
昔の子どもがパレードを見て「すげー」と思うのと現代の子どもが「すげー」と思うのは異なる。現代の子どもの中には「すげー」の後に続く言葉が重要になる。
昔の子どもなら
「すげーこんなの見たことねー」と思うが現代の子どもでは
「すげーディズニー(もしくわUSJ)みてー」と直に喜べない蓋然性は有意に高いと思う。
結果、パレードを見て「中途半端なパレード」と表現する人がいるのは事実だろう。

私が問題とするのは、そういった子どもの変化を主催側は認知しているのかということ。
パレードの目的を考えた時に、主催側と観客の意識の格差はもう少しパレードの存在意義を考慮してもよかろう。
ハイクオリティを目指すことは当然だが、似たような表現方法ではそろそろ通用しなくなるのではないか。
KOG参加者が減少しているかは私は知らないが、たぶん減少しているのではないかと思う。それを主催者サイドが「少子化だから」と決めつけているのだったら、その時点でこの宗教会社にサバイバルな社会を生き抜く力はないだろうと思う。