天理教を信仰することのメリット

先週に天理教本部でおこなわれた天理教青年会総会に参加したことを書きたい。知り合いの天理教人と3人で中庭と言われる場所の端っこの方で見ていた。中央にいる集団には、怖くて近寄りがたかった。式次第が順調に進められていたが、私は天理教人と色々な話ができ、濃密な情報やリアルな天理教人の思いを収集することができた。そのやりとりの中で私が「天理教を信仰するメリットって何だろう」と呟くと、すかさず「天理教人が、それを一般の人に説明できないことが大きな問題だ」という教会長の洞見を得た。天理教の垂直的な組織構造は、下部成員の思考停止を招いている。そのために、下部成員は自らの頭で考えることを放棄してしまったということである。

天理教のメリットという言い方は、棘がある。天理教の人にとってみてれば、信仰をメリットで語ることの抵抗もあるだろう。信仰は生き方や哲学であって経済用語ではない、と。しかし、天理教を知らない人が天理教に接するときに「天理教を信仰することで、人生にどのような善きことがあるのか」という問いは自然な態度である。思えば天理教も、立教当時は「病だすけ」という人間的メリットを契機とし、布教戦略の本命に置いていた歴史がある。その後に、いろいろな抽象的教義の肉付けがおこなわれたのだろうが、「病だすけ」というメリットがなければ、天理教がここまで巨大化することはなかったであろう。

「天理教のメリット」を問うたところで、自分の言葉で説明できる天理教人は私は数人しか知らない。それ以外の天理教人の多くは、センセイから拝借してきた抽象的な言葉を同語反復しかしない(できない)。青年会総会では天理教のトップである真柱の講演もあった。その内容は非常に抽象的・歴史的なものであった。しかしトップは、一定の方向性を示すことが仕事であり、抽象的な話でよいのだと思う。しかし、それを聞いてる下部成員たちが、真柱と同じような言葉を反復しているようでは、聞いている私は天理教という船がどこに向かっていくのか想像もできなかった。つまり、青年会総会の後に、詰所でおこなわれた決起集会のようなものも聞いたが、真柱が話した以上に具体性があったものや、オリジナル性をもったものはなかった。具体性といえば、「来年までに、おさづけの拝戴者を○名いただく!」というお決まりの形骸化した数値目標しかなかった。結局、人数かよ。以前、自民党の安倍さんが「美しい日本にする」と言った。もし、これを政策実行部隊である官僚や行政職員が言ったとしたら、私たちは腹が立つだろう。「お前が言うなよ」と。トップはトップの、下部は下部の仕事があるだろうが、天理教では真柱が何人もいるのだろう。

数年後には天理教は節目を迎えるようだ。それは今後の天理教がどうなっていくのかの大きなターニングポイントであると思う。そのときまでに天理教人から天理教を信仰するメリットを天理教人の言葉で聞いてみたいものだ。陽気ぐらし世界の建設というぼんやりした言葉ばかりは、もうお腹いっぱいだ。

http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/?p=6011

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

天理教を信仰することのメリット」への3件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 教団信仰のメリットはだれにある?
    「おさづけ拝戴者を○名いただく」というスローガンで、天理教の信仰目標は語るに落ちています。
    本来は、「おさづけを通じて○名をたすける」というべきところのはず。「おさづけ」が「効かない」ことを知っているから、「おさづけ拝戴者の人数」や、もっと愚かなことに「おさづけした回数」を競うわけです。
    先日の『天理時報』に麗々しく「諭達第3号」が出てましたが、教友の大半はその空疎な言葉の羅列にため息をついています。
    同じ号に本部人事も載ってました。教祖の弟子の子孫たちばかりが本部の要職についていることが分かります。悪いけど、こうしていい立場にありつけ、役徳でいい思いのできる一握りの人たち以外には、こんな封建的な組織は魅力がまったくありません。
    下々の教会子弟や信者子弟の苦労をよそ眼に、本部のエライ人たちの子弟はちゃっかり首都圏の大学や海外の大学に行かせてもらっています。
    教団信仰のメリットはこういう幹部クラスの人たちにとってこそあり、下々のようぼく信者には何もありません。だから、彼らは自分の言葉でそのメリットを語れないのです。
    教団の教会教義と中山みきの教義は違うという、植田義弘先生の主張は本当に重い意味を持っています。

  2. 匿名

     天理教を信仰することのメリットといえば、他の宗教には無い、「陽気ぐらし」ということであろう。
    だが、その陽気ぐらしは、教団の教えでは、たんのう、すなお、という言葉とセットになっているところに、陽気ぐらしが本来の陽気ぐらしではなく、実際は教団スローガンにしか過ぎない、という現実になっているのだ。

  3. みゆき教

    このままこの神秘的な運動は終わるのか?
    神が天下る地場神屋敷はいつか再現されるのか?
    誰か永遠の嘘を聞かせてくれ。

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