良い天理教人の見分け方 「助からない」と言う天理教人には気をつけろ

半年に1回ほど、タイトルのような質問をいただく。「どのようにして良い天理教人を見分ければいいですか?」ということである。話を聞けば、その質問者のほとんどがすでに天理教の内部にいる人である。これから天理教に入ろうとしている人の質問は少ない。もし、これから天理教に入る人が、その見分け方を教えてほしいというのであれば話は分かる。しかし、すでに中に入っている人が質問をしてくるというのは、迷いを感じているままに信仰しているのだと思う。

さらに話は遡るが、私はたびたび会長を初めとする天理教の権力者の一般的な振る舞いに疑問をもっていることを明らかにしている。信者が気安く声をかけられないほど神格化された大教会長や、権力を振りかざしながら金銭のお供えを暗黙に強制する会長たちである。50代60代の天理教人と話せば、その愚痴の多さに閉口するほどである。これら権力者の劣化が著しいことは、ある程度天理教内ではコンセンサスが得られている。強調しておくと、私が申しているのは、一部の劣悪な例外のことではない。全般的な会長職の性質についてである。構造である以上は、会長たちも被害者なのかもしれない。

その打開策を窺えば、天理教人にも社会経験が必要という意見が多いが、果たして、その回答は妥当なのだろうか。

会長になることは神に選ばれし者である。神に選ばれし理があるのは、高校や大学を卒業したとたんに天理教の組織にコミットすることで作られる。信仰的成熟は、天理教内の生活とともに進行する。それはサラブレッドの宿命でありつつも、社会経験の乏しさとして直撃する。天理教の説教はできても、挨拶やコミュニケーションの社会的振る舞いが痛い会長はかなり多い。違う見方をすれば、それらの会長たちばかりに責任を求めるのもかわいそうである。体罰の構造と同じである。「俺らは殴られて教えられたから、殴ってしまった」というのと同じように、「たんのうせいと言われてきたから、たんのうさせた」「伏せ込めと言われてきたから、伏せ込ませた」と同じである。

ただ、周りにいる人間にとっては、バランス感覚を逸した強権的な会長に巻き込まれることは災難となる。インターネットを見れば、天理教被害者の会や天理教に批判的なサイトが検索結果の上位に来ることは、そこにアクセスする人が多いということであろう。火の無いところに煙は立たないように、天理教に対して被害的感情を抱く人は少なくないようである。つまり、会長の個体差が大きいため、今の天理教ではどの教会や系統に属するかで、その後の人生は大きく変わるのである。良い会長に当たれば、自身を高める信仰ができ、悪い会長に当たれば、苦しむだけの信仰でしかなくなる。悪い会長こそ「ここに繋がったのは、あなたにいんねんがあるから」という社会性のない勘違い神発言が出てくるであろう。

周囲の人間にとってみれば、当たり外れの大きい会長の下で信仰するのは、たまったもんじゃない。

冒頭の質問メールを送ってきた人たちの多くは、不安を抱えている。このまま、この会長、この教会、この系統にいてていいのだろうかと。

天理教人を見分けるという私の返事は、これから天理教に入ろうとする人がいれば、会長の交友関係をチェックしてはどうかと伝えている。信者から見てハズレな会長というのは、私見では天理教関係者以外の人間関係が非常に少ないということである。自分の価値観が通用しないところ(一般社会)で、社会的関係が築けない会長は、肩書きや権力でしか人間関係が築けない。反対に、天理教以外の交友関係がある会長は、社会とのバランス感覚が保たれている。話をしても疎通性が高いと私は感じている。だから、会長の交友関係を聞くなり、家族に聞くなりするようにアドバイスしている。

次に、すでに信者として天理教の内部に入っている人に対しては、交友関係のチェックはもちろんだが、より信頼性が高い方法がある。それは脱会を匂わせることである。会長の前で「天理教を辞めようかと思っている」と言ってみてはどうですか、と。ハズレの会長であれば、脱会の匂いを感じ取った瞬間に、天理教の専門用語で攻勢してくる傾向がある。一番多いのが、「お道(天理教)を離れたら助からないぞ」という傾向が強い。「助からない」という言葉ほど強権的で神を冒涜した勘違いはない。私なら「人を馬鹿にしてんじゃねーよ」と言い返したい。天理教の会長としては立派であっても、信者に助からないと言う会長ほど、人間として救いようが無いだろう。もし私が、質問者の立場であれば、脱会しようと意思表示したときに、「そうか残念だが、頑張れよ」と言ってくれる会長の方についていきたいと思うだろう。

良い天理教人の見分け方 「助からない」と言う天理教人には気をつけろ」への66件のフィードバック

  1. 匿名

    1. はじめまして
    いつも読ませてもらっています.信仰者ですが,悲しいかなこういう現実はあると思います.いい会長さんもたくさんおられますが,残念ながらやり方として人の苦労を解さず,上級や大教会長の声は神の声のように勘違いされている会長は多くいるように思います.無論それは間違っています.しかし,それに意見することは不足しているかのように思われる風潮があり,植田先生の著書に自分は随分救われたことを覚えています.自分は会社勤めをする後継者ですが,あくまでも神様の思いを考え,それに沿うことを第一としようと気をつけています.

  2. 匿名

    2. 初めてコメントします。
    時々拝見しています。
    本当にこのように感じました。
    もう数年前に天理教を離れました。
    前の会長は相談がしにくいタイプでしたが、
    息子の現会長はとても話しやすい気さくな
    人でしたが、結局 天理教を辞めて不幸になった人の話をしていました。一見ふところが
    大きいように見えてそうでもなく残念でした。
    色々事情もありしつこいそぶりもありませんが、
    (おそらくまわりには そのうち戻ってくるでしょう)などと言っているのではないかと思います。

  3. 匿名

    3. 信仰の共依存
    最後のところで、「『そうか残念だが、頑張れよ』と言ってくれる会長の方についていきたい」とありましたが、カインさんはまだ甘いですね。
    そこまでまわりくどくして自分にしたがわせたい会長も会長ですが、いつまでも会長に精神的に依存するような信者のほうも問題ありです!
    世間でいう「共依存」の関係だと思います。
    そんなことをするから、神と人間の関係が人間と人間の関係、しかも上下関係におきかえられてしまうのです。
    信仰は一名一人の理。自分の信じるところをつきすすむだけではないでしょうか。

  4. 匿名

    4. 世襲制
    とにかく世襲制が問題ですね。ローマ法王を選ぶ「コンクラーベ」のような制度が必要ですね。
    なりたくもない人が真柱になったり会長になったりしているのでは「世界たすけ」どころではありません。

  5. 匿名

    教会長どもまず 働け 話しはそれからだ。 何信者の金で食ってんの?
    自分のお金でお助けしなよ。 

  6. 匿名

    カイン様
    有難うございます
    何もかも全て仰るとおりです
    何年も尽くし運びました
    腐ったみかんのために
    自分の誠意を踏みにじられて
    これ以上 我慢出来ません
    洗脳からときはなれます

  7. きのすけ

    私自身天理教では無いですが私の彼が伏せ込みや、天理教を辞めたいと言ってる中この記事は大変共感させていただきました。
    会長さんに辞めたい、そう言ってもそれはやめる理由にならない。や、いんねん、という言葉で天理の用語や教えで丸め込まれるかわいそうな彼をみてきて、この記事を読みました。
    ハズレの会長さん、なのかといえばそうなのかなと思うのでこうなってしまったら意地でも関わりを持たないようする他ないのでしょうか、

  8. 匿名

    仰るように、関わりを持たなくするのがベストです。信仰は一人でも出来ます。組織に入ると面倒なノルマや、各種行事に駆り出され、自由を奪われ、自分を生きることが出来なくなります。つまり、犠牲を払う場面が多々生じてくるということです。
    この教団は人助けを標榜しますが、自分の経験では、個人の心に寄り添うのではなく、上意下達で上が定めた活動方針に強制的に従わせようとします。右向け右で、個人が疑問や反対意見を言おうものなら、異端児のごとき目でみてきます。北朝鮮の世界です。
    彼が教会の息子さんなどでなく、一般の自由な立場の方なら「一身上の都合により、これにてやめさせていただきます。」と一筆手紙をしたためて、一線を引くのがよろしいです。内容証明の手紙にすればよりいいです。先方もはっとするはず。面談ではなかなか押し問答になって引き下がらないですよ。憲法で保障されているのですから、やめるのは一方通行で良いのです。お二人で静かに神を見つめているほうがはるかに平和です。

  9. 末端教会子弟

    信者さんが自由に教会を選べるようにしたらどうですか?
    天理教の教会は全国に17000(現在では2/3が事情教会で活動していないらしいですが)もあるのですから、どんな市町村にもあるでしょう。
    信者さんが何か所か訪ねて、気に入った教会に通えるようにしたら、教会の会長さんもやる気が出るんじゃないでしょうか?

  10. 匿名

    天理教の現在の実態を把握したいのですが、「2/3が事情教会で活動していない」とよく聞きます。これは後継者不在で締め切っている無人教会ということですか?
    或いは、当教会は信者2,3人で細々やっていますが信者数が一定の定数に満たないうちのような教会の場合も「活動してない事情教会」の数字の中に含まれているのでしょうか?どうでもいいことですが、知りたいです。

  11. 匿名です

    ある分教会で敷地内で畑仕事をしておられる方をお見かけしました。
    教会を守り畑仕事をされているお姿に静かな感銘を受けました。
    密かに応援している人間はいますから。
    所属以外の分教会に突然訪問して参拝させていただくのはOKなのでしょうか?

  12. 古い教会長

    匿名様。
    >天理教の現在の実態を把握したいのですが、「2/3が事情教会で活動していない」とよく聞きます。これは後継者不在で締め切っている無人教会ということですか?

    無人ではないですが、停滞している教会です。部内が事情になって、奥さんも息子も弟も部内教会長という場合もあります。
    活発に活動しているところは、1/10も無いでしょうね。「みちのとも」誌で任命される会長の数より、出直しする会長の数のほうが遥かに多いです。会長不在の教会が確実に増えています。

    匿名ですさん。
    >所属以外の分教会に突然訪問して参拝させていただくのはOKなのでしょうか?

    本来はOKの筈ですが、所属教会によっては「よそに参拝するな」という会長もいます。
    信者を教会に所属させるというシステムを変えなければ、お道はもっと疲弊していくでしょう。

  13. 匿名です

    古い教会長様

    ありがとうございます。また聞いてみたいと思います。

  14. 匿名

    末端教会子弟様
    >信者さんが自由に教会を選べるようにしたらどうですか?
    というご意見ですが、賛成です。現在のように教会を移動できない仕組みになっているから、横暴な、理不尽な教会長でも、のさばっていられるのです。あまりあっちこっちするのはまずいと思いますが、ある程度の教会を移れる自由を信者さんに与えておいた方が、会長も、信者さんに逃げられないよう、精進し、教理も勉強するのではないでしょうか?
    あるいは、自分にはやっていけそうもない、と自信喪失する会長も出るかもしれませんけど、でもそれは仕方がないと思いますし・・・。ダメ会長に指導される信者さんの方が可哀そうなのですから。
    これからは事情教会が増える一方、残る教会もあり、教会がどんどん淘汰されていくと思います。
    それでおおいに結構だと思います。教会が多すぎるのですから、仕方がないことです。

  15. 天理教を少し知っている人

    >信者さんが自由に教会を選べるようにしたらどうですか?

    こちらですが二つの問題があると思います。まずは「理の親」。
    天理教の根本的な考え方として、道の元始まりは「理の親」との
    出会いであると教えられます。

    「子どもが親を選べますか?」と考えるのが天理教ですので、
    古い考えの教会長様は誰も賛同しないと思います。

    もう一つが、もし仮に信者さんが自由に教会を選べるように
    なったとしたら?です。恐らくカリスマ的な教会長さんの人気が
    一気に広がり、遠くても話を聞きに来る人も出てくるでしょう。
    逆に教会長というだけで何の魅力もない教会には誰も行かなくなる。
    単純に今ある教会が1/3になる方策など天理教が採用する訳がない。

    現実的には、天理教内でよく行われる「講和」に触れる機会を、
    今の教会長さんが積極的に増やすことで、天理教のいいところを、
    広めていくのが現実的だと思います。

  16. 古い教会長

    天理教を少し知っている人様。
    >天理教の根本的な考え方として、道の元始まりは「理の親」との
    出会いであると教えられます。

    これは、教祖の教えにはない教えです。

    >現実的には、天理教内でよく行われる「講和」に触れる機会を、
    今の教会長さんが積極的に増やすことで、天理教のいいところを、
    広めていくのが現実的だと思います。

    いくら講話を、腐るほど聞いても天理教のいいところを見つけるのは難しい。
    今の教会長さん達が積極的に話が出来る場所、話を聞ける場所が必要です。
    会長を割り当てて講習会に行かすのではなく、進んで行きたくなる講習会にするべきです。
    その為には、こういうブログやコメントのような、多くの声なき声に耳を傾けるべきです。

  17. 天理教を少し知っている人

    上の記事を書いたものですが、先の投稿を読んで反省しました。
    天理教が世襲制なことくらい、みなさん知ってる上での議論でした。
    失礼いたしました。。

    上の方も書いていますが、私も「信仰は一名一人の理。自分の信じる
    ところをつきすすむだけ」が結論です。何かあったとき、悪いのは
    天理教でも教会長でもなく、その選択を選んだ自分です。

    「何年も尽くし運びました 腐ったみかんのために 自分の誠意を
    踏みにじられて」ここまでやっている方も見てきましたが、明らかに
    無理しすぎですよね。天理教では「無理は理が無くなる」ですよね。

    ある程度距離をとって、自分は自分と考えればいいことだと思います。
    それには天理教に縛られない、時間的に物理的にひとりで考える時間を
    持つことが必要です。

    かつては「道一条(生活のすべてを天理教に捧げる)」という生き方は、
    天理教の人たちの中で素晴らしい、かっこいいと見られる節がありました。
    しかし天理教の考え方が間違っていると疑われている今、自分で社会の中
    で仕事をして稼いで、その余りで天理教を信仰する生き方が正しいと思います。

    「教会長どもまず 働け 話しはそれからだ。 何信者の金で食ってんの?」
    この方の通りです。お供えのお金で教育費とか自分の携帯の通信費も払っている、
    最新のiPhoneに買い替えている教会長さんなど、すべて違法なはずです。

    私はお供えの〆切が近いときは教会には行きません。20年以上、天理教の方
    とお付き合いしていますが、お供えだけは自分がどうしても越えられない一線
    でした。今も5万円以上のお供えをしたこともないですが天理教の教会にも行き、
    教会の人と話し、普通に暮らしています。

    同時に天理教全体のこれからというのも、100年祭を生きた教会長様が、
    がんばっておられるうちは無理だと思います。いったん縮退しないと。

    青年会でひのきしん隊などに参加したこともありますが、期待は100年祭を
    知らない若い世代が、上からの圧力的な命令で訳も分からずにやってきた、
    これまでと違い「お道ってすごくね!?」という、自らの考えで天理教を
    変えていくことだと思います。そのような若い方にもあってきました。
    (すっごいおっさん臭い発言ですね…ごめんなさい)

  18. 匿 名

    今の天理教は教祖の教えから根本的にずれてきているので、教えから大きくずれた「講話」を何百回やっても、人々の心をつかむには力がないと思われます。まずは理の親信仰。これこそ間違いの元のような気がします。
    しかし教団本部が復元する気もなく、のらりくらりの姿勢ですから、あれこれ方策を練っても全く希望の光は見えないです。教会を変えようとも教会長の信仰に対する方向性が間違っているなら、どこに行っても同じことだと思います。
    教団がひた隠しにする嘘や本部のご都合に迎合せず、にらまれてもひるまない「教祖の教えに忠実な教会」を増やすことです。

  19. 天理教を少し知っている人

    古い教会長様

    ご指摘頂きありがとうございます。

    > これは、教祖の教えにはない教えです。
    仰る通りです。二代心柱様が、しっかりと修正されたと記憶しています。
    しかし現場の教会長様がその理想主義をご理解して下さるかどうか…。

    > いくら講話を、腐るほど聞いても天理教のいいところを見つけるのは難しい。
    > 今の教会長さん達が積極的に話が出来る場所、話を聞ける場所が必要です。
    > 会長を割り当てて講習会に行かすのではなく、進んで行きたくなる講習会にするべきです。
    > その為には、こういうブログやコメントのような、多くの声なき声に耳を傾けるべきです。

    まことに仰るとおりです。ちなみに私のとこの教会長は、他の教会長様たちと、
    よく飲んでいるのですが、こういう話はあまり聞かないですね…。
    ただ、本部の方ともよく話されているようで、「今の組織は古いから、やり方とか
    これからいろいろと、見直していくらしいよ」とは聞きました。

    よくなるといいのですが、難しいところですね…。

  20. 天理教を少し知っている人

    匿 名 様

    「講和」の件、ご指摘頂きありがとうございます。

    確かに、講和ではないですが、青年会爽快で真柱様のお話を頂戴
    したとき、「何いってるかさっぱりわからん」と思い、講和の内容
    をすべて録音して、改めて聞きなおしたことがあります。
    …結果は、やっぱり「何いってるかさっぱりわからん」でした(笑)

    ここで言いたかったことは、実働に励んでおられる方々の体験談、
    でしょうか。上級へのお供えトップでなくても、自分で考え行動し、
    自分の言葉で天理教のいいところを語れる別な教会の教会長様から
    お話を聞いたことがあり、その体験からのコメントでした。

    この場の議論からしたら、ミクロな意見ですがご容赦下さいませ。

    > 教団がひた隠しにする嘘や本部のご都合に迎合せず、にらまれても
    > ひるまない「教祖の教えに忠実な教会」を増やすことです。

    私がこれまで見てきた天理教では、このような方もいらっしゃった
    記憶があります。例えば、近所掃除のひのきしん。やってみれば、
    誰でもできる何てこともない作業ですが、これを毎年365日、しかも
    50年以上続けてきた教会長さんがいました。私にはさすがにできません。
    この方には、誰でも人の役に立つことはできることを学びました。

    また、障碍者のおじいさんをお風呂に入れるために、自分も裸になって
    一緒にお風呂に入る女性の会長さんがいました。今はそのおじいさんも、
    会長さんもお出直しされてしまいましたが、そのおじいさんと話したとき、
    「俺はな、あいつ(教会長さん)のためだったら、なんだってしてやる」
    といって、教会のリフォーム数百万円をすべてお供えでやり遂げました。

    上記の話は、私が自分の教会ではなく、他の教会から学んだことでした。
    そうした方に出会えたことは、幸せなことだったのかもしれません。
    もちろん、この二人の会長さんはお供えがどうこうとか、全くありません。
    むしろ女性の会長さんから「いつもありがとう」とお金をくれました。

    …この場の議論に全くそぐわなく、申し訳ございません。
    「教祖の教えに忠実な教会」がもっと増えることを切に願います。

    ありがとうございました。

  21. 基本

    理の親は、教祖の教えに無いものです。
    理の親を説く天理教会はもしあるなら、偽物です。

  22. 末端教会子弟

    >「子どもが親を選べますか?」と考えるのが天理教ですので、

    子供には親を選ぶことは出来ませんが、天理教の親は「月日親神」だけで、大教会長であれ末端教会長であれ一信者であれ、「一列兄弟」のはずです。
    先に教会になった兄本部・大教会が「親の威光をカサに着て」、弟教会から金を搾り取って来たのが天理教組織だと思います。弟はその弟から更に金を搾り取る、の繰り返し。搾り取られる末弟信者が悲惨な生活を強いられているのは誰が見ても明らかでしょう。

    末端の弟の立場ですが出来の悪い兄たちに意見したい。
    「兄さん、弟たちにタカってばかりいないで働けよ!
    そして、たまには兄らしく、弟たちを喜ばせるような話をしてくれないか?」

  23. 匿名A

    宗教に入信するに際して覚悟すべきことは、一人一代であるとの結論に至ったことである。父母から社を継いだ当初は子が継いでくれればとの思いもあったが、今となっては決して子や孫に継がす気は、さらさらあってはならないと思うようになった。殊に、天理教に入信する人はこのことを肝に命じるべきである。
    四代前の入信の動機を「元一日」と説かれても、何があったのか想像もつかない。父母ですらそうであったようだ。教会長は助けて頂いた元一日があるからこそ、今のあなたが有るんだと力説する。仮に、曾祖父母に何かの不幸があって助からなかったと仮定すれば、それこそ、私を始め子・孫そのものが初めから存在しなかっただけのことである。
    人生80年が幸せだったのか、不幸だったのか、それとも平凡だったのか未だに答えは出てこない。
    ただ、常に、四代前の亡霊のようなものが脳裏の片隅にあるように感じている。これが信仰というトラウマから来ているのかも知れない。

  24. 匿名

    家系は続いてなくとも、永遠の魂は別の家に生まれてますよ。
    恩を着せてどうするつもり?って思います。

  25. 末端教会の子弟40歳独身です

    初めまして。
    うちは信者さんもいない小さな教会ですが、父と母は熱心に信仰をしており、子供の頃は貧しくても幸せだったと思います。
    大人になり、後継者だったはずの兄が家を出てしまい、自分一人が家に残っています。
    教会の後を継ごうと思った時期もありましたが、社会に出て何年も経てば、教会を継ぐよりも会社勤めをしている方が楽に思えてしまい、継ぎたくないと思うようになりました。
    何年もの間、色んな身上事情を見せていただきましたが、それでも教会を継ごうと思えずに社会で働きながら今まできました。

    昔友人に、教会を継ぐのが一番幸せになる方法、このまま逃げていては助からない、寂しい人生だ、と言われたことがあります。
    それが脅しのように思えて仕方なく、その言葉がずっと引っかかっていて、今自分が幸せでないのは、教会の後を継ぐのを逃げてきたからなのかと、事情を見せていただくたびに思っていました。
    このまま逃げていれば、同じことの繰り返しで、僕は幸せになれないのでしょうか。
    どんなに教会を継ぎたくなくても、継がないと本当にひとりぼっちで寂しい将来になってしまうのでしょうか。
    親神様はそんなに厳しいのでしょうか。
    いやいや継ぐことに意味はあるのでしょうか。
    僕は熱心な天理教の友人に洗脳されているのでしょうか。
    もう、どうしたらいいのかわからず、鬱になりそうです。毎日泣けてきます。

    ……教会の後を継げば、本当に幸せになれますか?

  26. 匿名です

    唯物主義と闘っているから、だから大変なのだと思います。

  27. 匿名です

    独身の教会師弟様

    教会育ちの貴方は幼いころよりきちんと教育されてこられた立派な立派な才能や人間関係を築く力をお持ちです。天理の知識や言葉も沢山おさめておられます。
    僭越ではありますが、仕事を辞めたら翌年は前年度の年収に対して税金が見積もられ、1年間は払わないといけないです。それは自分の経験により知りました・・・・・。毎月毎月恐ろしい日々でした・・・。

  28. 匿名です

    国保の額も巨大な額になりますが、人数分なのか一世帯で考えるのか高額です。一部介護保険を担う役割もあります。

  29. 匿名です

    すみません。間違えました。人数分になるのか一世帯になるのかはわかりません。

  30. 匿名

    末端教会の子弟40歳独身です 様

    天理教団には、いったい何人あなたのような方がおられるのでしょうか?
    そして何人の方が同じように、ここに書き込んでこられたことでしょう。

    「……教会の後を継げば、本当に幸せになれますか?」
    とのことですが、幸せには自分でなるのもです。誰かに幸せにしてもらうのではありません。
    自分を信じて下さい。自分で自分を信じることが出来ないなら、信じれる自分に成長して下さい。
    自分自身がどうしたいか。その気持ちに素直に正直に行動して下さい。
    自分が納得していないことを、自分をだましてし続けると、人は精神を病みます。
    あなたはあなたの人生を歩いていいのです。
    状況を変えたいのなら、自分が行動を変えることです。今から。

  31. 匿名の教会長

    私も末端教会40代独身子弟様と同じ立場にありました。会長を引き受けてしまいましたが自分にとって本当によかったのか、今でも、すっきりしません。
    経験者として結論から先に申しますれば、「ばちは当たりません。心配ないから、お逃げなさい。」と申し上げたい。どうかご自分の「命」を大切になさってください。

    天理教に振り回されず、ご自分の為の時間を生きるのです。人助けは教会でなくても出来ます。実際、多くの人たちがあらゆる分野で活躍し、結果として人のお役にたっているのです。むしろ教会にいて為される人助けの方が格段に効率が悪いのではないでしょうか。実際、何かと組織の行事に振り回され、「ひのきしん」の名のもとに個人の意思を無視して利用され、それが自他ともに信仰しているような錯覚となっているだけのように思います。

    逃げたらいいです。納得のいかない事に大切な時間を犠牲にしてはいけません。ばちなど当たりません。私も逃げる時期を長い間画策しているんですよ。でもばちなど当たっていません。むしろ洗脳から覚めて、精神状態が良くなり、自分の将来像が自由に描けるようになりました。「神頼み」でなく、自分の意志で生きる。「自分頼み」で「神」に囚われることなく自由に生きています。

    あなた様は昔の私のように洗脳されておられます。神は無神論者にも平等に生きる力とご守護を与えてくださっています。如何なる時も。宇宙、太陽、月、地球、時間、空間、また我々人間・・・これら創造主が「神」なのですから不平等やばちなどあるはずがない。いつもいつも愛・守護に満たされているのです。地球人口73億人中、天理教信者は今や20万人程度。はかなく消えゆく、「消滅寸前」のそんな不条理な組織にしがみついたり、囚われてはいけません。

    どうか、私のような洗脳から目が覚めて自由に生きている教会長が居ることを、勇気にして下さい。
    洗脳から目が覚めたら本当に人生が愛おしくなりますよ。自分を大切にしたいと思えるようになります。あなた様が教会を継ぐ事により、あなた様の道はむしろ開けない。周囲の後継予定の多くの若者がどんよりと知らぬ間に年を重ね、決して幸せな姿になっていないのを見ればよくわかると思います。40代独身子弟様はお若いのですから社会に飛び出し、自分のためのお金をまず貯め、自分が幸せになることから始めてください。「自分」を生きてください。人助けはその後で良いです。

    40代独身子弟様を助けたい・・自分の事のように思え、つい力が入ってしまいました。失礼があったなら、お詫び申し上げます。

  32. 世間でお道を生かす者

    末端教会の子弟40歳独身です 様

    上の匿名さんと全く同じ意見です。
    自分の人生の主人公はどこまでも自分です。
    ご両親のものでも、まして教会のものでもありません。
    教会関係者にいくら相談しても、教会を継ぎなさいとしか答えてくれません。
    だって、それしか答えを持ち合わせていないのですから。
    視野の狭いバリ天のお友達も同じことです。

    いまの天理教の教会はもうガタガタになっているではないですか。
    だからお兄様も家(教会)を出て行かれたのでしょう。

    教会を継がないから助けてやらないなんて、そんなけち臭いことを親神様はおっしゃるでしょうか。
    教会を継がないから幸せにならないなんて、そんな下らないことを中山みき様はおっしゃるでしょうか。

    そんなことを言えば、世界中の99%以上は非天理教ですが、その人たちはみんな助からず、不幸であることになってしまうでしょう。
    こんな考え方は傲慢以外の何物でもない。
    ある掲示板で、「教会は心の中にある」と書いている人がいました。
    そして、「親神様も教祖も心の中で働いている」と。
    それでいいじゃないですか。どこかまずい点がありますか。

    天理教の中はあまりに「人がめどう」になりすぎです。
    教会は人が作った制度です。時代に合わなければ廃れるばかりです。
    天理時報には流行っている教会しか載らないですが、現実には次々と教会が消えていっています。
    残っている教会も青息吐息、虫の息のところが少なくありません。

    最近ベストセラーになった「嫌われる勇気」という本があります。
    あなた様も含め、天理教の中で人(会長、親、親戚、バリ天の友人たち)の顔色ばかり気にしている人は一度読んでみてください。
    自分の幸せは自分で作っていくものです。
    そのために周囲の人達に嫌われてもいいではないですか。
    そして自分の生き方を自信をもって貫き、「わたしは自分の人生を生きている。だからわたしは幸せなのだ」と確信して生きていけば、いつかそういう人たちも自分たちのことを大いに恥じ入って、何も言わなくなるでしょう。

  33. 匿名の教会長

    失礼しました。40代独身子弟様。
    40代独身子弟様が今社会でお働きであったこと、見落としておりました。
    どうぞ、定年まで働き続け、決してご両親や上級への情にほだされて、辞めたりしないよう・・・
    応援しております。

  34. 末端教会の子弟40歳独身です

    信仰の厚い友人は、いつも僕のことを気にかけてくれています。
    だから昔言われた言葉は、本当に僕の幸せを願っての言葉だったということは分かっているつもりです。
    友人はそんな僕のためにも、教会にお嫁に来てくれるような信仰に熱心な人を探してくれると言ってくれます、そのためにはまず自分の考え方を変えろと言われます。まずは仕事を辞めて布教活動をしろと。自分が変わらないと何も変わらないと。
    友人の言っていることも分かりますが、そこまではできない、したくない。でもそこまでしないと幸せにはなれないのかもしれないと、答えの出せない毎日です。
    友人には、このまま何も変わらないでいると、絶対後悔するときが必ずくる、とまで言われています。もしかしたら本当にそんなときが来るのかもしれないという不安でいっぱいで夜も眠れません。
    心底僕のことを思ってくれているからなのでしょうが、心が成人していない僕には脅迫としか思えないのです。
    天理教ではなく、友人に洗脳されているようにも思えます。

    教会は継ぎたくない、でも継がないと幸せになれない。

    今日も会社に行く前に、神殿にある教服を着た祖父と祖母の写真を見上げて涙が止まりませんでした。
    声を出して泣いていました。

  35. 匿名です

    65歳というのはまだまだバリバリ若いですよ。まだまだ一華咲かせられます。

  36. 匿名です

    65から30年くらい頑張ったらいいのではないでしょうか。
    地球環境が今みたいであればですが・・・。

  37. 末端教会の子弟40歳独身です

    匿名の教会長さま

    洗脳から目が覚めて、これからもずっと教会長を続けるのでしょうか?
    教会長になってよかったと思えるときもありましたか?
    それとも後悔の方が多かったのでしょうか?

  38. 匿名です

    子供の高校で地球環境の話をしてくれるアメリカの大学出身の先生の授業で、30年後の環境変化を伝えておられました。
    かなり衝撃を受けました。環境を守っていかないといけないです。

  39. 末端教会の子弟40歳独身です

    匿名です さま

    会社を辞めてから、会長になるということでしょうか?
    その場合、父が出直していれば会長不在の教会になるのでしょうか?

  40. 末端教会の子弟40歳独身です

    世間でお道を生かす者  さま

    教会を継がないから助けてやらないなんて、そんなけち臭いことを親神様はおっしゃるでしょうか。
    教会を継がないから幸せにならないなんて、そんな下らないことを中山みき様はおっしゃるでしょうか。

    この言葉にかなり救われた気がします。

  41. 末端教会子弟

    末端教会の子弟40歳独身です 様

    環境や状況が大変私と共通点が多いような気がしますので、一言ご意見申し上げます。

    >……教会の後を継げば、本当に幸せになれますか?

    なれません。はっきり言えば、「幸せ」なんていう曖昧な定義に振り回されるのは止めなさい。

    天理教関係者の中には「陽気ぐらし=病もなく悩みや不安もない毎日が楽しい暮らし=幸せ」のように言ったり考える人がいますが、大きな間違いです。
    このような基準では、この世の中に「幸せな人」など一人も存在しません。
    確かに、もっと健康だったら、もっとお金があったら、もっと人気者だったら、もっと才能があったら、幸せだろうなぁ・・と考えるのが人情でしょうが、そうなったらそうなったで、別の悩みや欲求が出てくるのが人間です。
    じゃぁ、そういう悩みや欲を捨てて生きれば「幸せ」になれるか、というとこれも違います。人間は、欲があるから考え、行動し、成長することが出来るからです。過剰な悩みや欲は身を滅ぼすことになかねませんが、適度な悩みや欲はあった方がいいんです。

    「幸せ」の代わりに「充実」という考え方をお勧めします。
    「充実」は、「自分で考え、行動し、その結果を良くても悪くても受け入れること」です。良ければ繰り返し、悪ければ改善して次に活かす、という「仕事では当たり前の考え方」を日常生活のあらゆる事に当てはめるのです。
    その結果、良い事が増えて生活しやすくなった時、「あぁ、充実した毎日だ。もしかしたらこれが幸せってやつなのかな?」なんて考えられたら最高でしょうね。

    天理教の組織では、「自分で考えることを放棄させ、上の命令で行動することを強い、その結果は全て神様のせい(良ければご守護、悪ければ信心が足らない)」になります。「充実」とも「幸せ」とも遠い人生になると思いませんか?

    私の場合、父(現会長)の年齢と体の問題が起こり、自分で考えて「会長を継がずに手伝う」という方法を選びました。継いでいたら、今の天理教の教えや上級のお供えの要求などから、私と両親は共倒れしていたでしょう。今の「手伝い」という形で、会長の体を気遣い、不条理な組織の上位下達を跳ね除けてます。おかげで気苦労や悩みは多いですが、「やらねばならない、やるべきだ」という「充実」を味わっています。会長が寝たきりにならなかったとか、役員さんの協力を得られた(かなり説得しましたが)などの好条件もありましたが。

    お道の青年さんや関係者の多くは「自分は苦しくて悩みが多いけど、そんなことを口にしたらバチが当たる、そして、みんなが同じような苦しさや悩みを持つべきだ」とでも思っているのか、仕事をしている(自活できている)人や幸福そうな人を見ると、自分と同じ環境や状況に引き吊りこもうとする傾向があります。本人は自覚していないのかもしれませんが、世間的にそう見えてしまうのは「教会を継ぐのが一番幸せになる方法、このまま逃げていては助からない、寂しい人生だ」なんて言葉からしても明白ですね。

    末端教会の子弟40歳独身様には、決してご自分で考える事を放棄せず、お道の友人知人の言葉などに影響されることなく、自分で決断して最良の道を選んでください。
    そして、できるなら、今後も情報交換させていただきたいと思います。

  42. 末端教会子弟

    >神様が導いてくださると思います。

    神様が導いてくれるなら、人間は何もしない、という方法もあるし、自分で考えた選択をする、という方法もありますね?
    上級教会会長や天理教の友人達は、「神ではない」のだから、その言葉に従う必要はありませんよね?

    >教会にお嫁に来てくれるような信仰に熱心な人を探してくれると言ってくれます、そのためにはまず自分の考え方を変えろと言われます。まずは仕事を辞めて布教活動をしろと。自分が変わらないと何も変わらないと。

    こんな、嫁を「餌」のような形にして仕事を辞めさせ、教会の用事にこき使い、あげくにお供えや各種お礼を取り上げようとする人間の言葉を聞く必要はないし、それが同じ立場の「友人」だったとしても、意図するところは悪意の塊です。
    末端教会の子弟40歳独身です様には、冷静な判断と思案を続けて欲しいと思います。

  43. 匿名

    末端教会の子弟40歳独身です 様
     
     天理教教会に身を投じなくとも、世の中には、結婚相談所も、独身者に結婚のお世話をしたがってる親切なおばさま達も、お見合いパーティーなども、いろいろチャンスがありますよ。もしも、暗い顔をされていて、家にばかりこもっておられるようなら、よけいに縁が遠くなってしまいます。出会いのチャンスは、ふとしたことで、訪れるものです。
     
     とりあえず、結婚相談所に登録したり、婚活パーティーにも恥ずかしがらず、行ってみてごらんなさい。自分のできることをしているうちに、神様がいい出会いを用意してくれると思いますよ。そのうち、いい人に出会えるでしょう。
     又、「誰かいい人がいたら、ご紹介ください」、と気軽に、お友達、知り合い、気安い人にも声をかけてみてください。紹介してくれる方もいますよ。ともかく、天理教教会頼みよりも、自分で動き廻ってごらんなさい。

  44. 匿名の教会長

    40代独身子弟様。
    教会長になって良かったと(精神的な部分で)思ったことはありません。常に息苦しさを感じています。

    なぜ教会長をやり続けているか?それは実家のこの教会を引き受けなければ家を追われるため。「住まい」は私にとって大変重要なもの。こんな不純な動機も多分にあってのことです。

    ですので、現教団の理不尽な方針に従う気持ちは心底ありません。面従腹背、最低限の会合に出、最低限の祭儀式をこなすだけです。会費以外、お供え金も一切上げていません。信者を増やそうなど夢にも思っておりません。

    洗脳から覚めても、「住居」確保のため、会長をせざるを得ない・・・これが現実。複雑です。

    後悔しているかどうか?家が無い私にとって、この選択しか無かったです。40代独身子弟様に住居の問題がなければ、教会など何の魅力も人生の支えにもなりません。悩みを抱えるだけのことです。
     
    上意下達に抗い、「人生の主人公は私」、そう思って開き直って毎日を楽しんでおります。ばちもあたっておりません。「神様・ばち」と言う強迫観念から解放され、今の方が幸福感に満たされています。

    どうか、早まらず、視野を広く持ってよくよく思案下さいませ。

  45. 匿名

    40代独身子弟様。  2016年10月1日 9:19 PM  匿名の者です。

     あなたのように、結婚したくて仕方が無いが、出会い、チャンスに恵まれてない女性、大勢います。決して悲観することはありません。そして、多くの場所に顔を出す事です。決してナンパをしろとは言ってませんので。(笑)
     私の親戚の男の子は、何と50回以上お見合いしました。そこまで奮闘した結果、良妻賢母と巡り合いました。私の従弟は結婚相談所で巡り合った男性と、幸せな家庭を築いております。前向きになることですね。陽気に明るく、それが一番です。老婆心ながら。

  46. 末端教会の子弟40歳独身です

    僕は20年前よりどんどん不幸になっています。
    何年も前に、今が人生のどん底と思っていた時がありましたが、様々な身上事情をおみせいただき、そのころより今の方が辛いと思っています。
    だから、この先もっと不幸になるのかと思うと辛くて不安で仕方ないのです。

    今は心が病んでいて、視野が狭くなっているのでしょうか、教会の跡を継ぐことだけが幸せになる方法なのだと思ってしまっています。
    それから逃げていては、今よりもっともっと辛いことが起こる気がしてしまいます。
    しかし、脅迫めいた言葉により、教会の跡を嫌々継ぐことに意味があるのか、そんなことで教会長がつとまるのか、と思ってしまいます。
    今は趣味などに没頭するような気にもなれず、毎日考えすぎて鬱になりそうです。

    思い切り吹っ切って前向きに自分の好きなように!
    という気持ちには今はなれずに、この状況から逃げ出したい、消えてしまいたい、と思うけれど何もできずに、日々過ごしています。
    いっそ友人のように天理教にどっぷり浸かってしまった方が、親神様を信じきってしまった方が、心は救われるのかもしれませんね。
    しかし、それが教会の跡を継ぐことと言われれば、また逃げたくなります。
    心が成人していないのですね。

  47. 末端教会の子弟40歳独身です

    末端教会子弟 さま

    僕と同じような境遇の方のお話しをきけて、とてもありがたいです。
    僕は今、冷静な判断が出来ていないのですね。
    今というより、ずっとずっと友人の言葉に縛られ、悩まされています。

  48. 転向実施中

    末端教会の子弟40歳独身です 様

    私が天理教を卒業しようと思ったのは、
    芹沢光治良「教祖様」や「人間の運命」「人間の生命」などを読んでいて、

    「助けるというのは、
    病む人の病気を自らもらい受けること」
    という文章を読んで、
    私にはその覚悟はないと判断したからです。
    病む人とは、体の病も、心の病もです。

    末端教会の子弟40歳独身です様は、
    その覚悟はおありでしょうか?
    将来が不安だから、自己保身のために教会を継げばいいと、
    単純に考えては非常に危ないと思います。
    人が人を導くことは、その人の人生を狂わせてしまう場合があるからです。

    あなたの身近にいる教会長や会長婦人達の言動や状況をじっくり見て、ほんとうにそれを解っていて、
    常に人を助けていると感じるかどうか、
    まずそこを考えてみてください。

  49. 末端教会の子弟40歳独身です

    匿名の教会長 さま

    教会長になられても、毎日息苦しいのですね。
    住むところ、どうにも出来ない問題ですもんね。
    僕も今は教会にいますが、家を出て教会から離れてしまえば気持ちも楽なのかもしれませんが、僕は天理教云々ではなく、父と母が大好きなので、見捨てるようなことはできず、そういう思いもあって、躊躇し続けているのだと思います。

  50. 末端教会の子弟40歳独身です

    転向実施中 さま

    「助けるというのは、病む人の病気を自らもらい受けること」
    僕にはそんな覚悟はありません > <;

    会社で知り合った友人が癌になりました、助かってほしいとは思うものの、自分がそれをもらい受けることができるかと問われれば、そこまではできません。
    天理教を熱心に信仰している方には、そこまで思える人がいるのでしょうか?
    相手が自分の大切な人ならそう思えると思いますが、なかなか難しいですよね。

  51. 匿名です

    病気をもらい受けるというのはあるのではないだろうかと思ったことはあります。書物になっているのを見て、はっとしました。
    その人の病を背中に乗せて神殿に行き、神殿で納消していただこうと思って「病よ、こちらへ来い。」と思っています。
    祖霊殿で背中に乗った何かが風でとばされる?というか、背中からおりて向こうにむかって動いていく感じというか、そういうイメージを受けました。
    何かを引き受けても親神様がばっと消してくださると思っています。
    神様を信じて自分の身にひきうけようと思っています。消してくださるはずだと思うのです。
    母のリウマチかもしれない痛みに関しても自分にうつるように念じました。私なら神殿に行くので納消してもらえるのではないかと考えました。
    たまに神殿で激しい波動というか、風というか、そういうものを感じます。自分が何か乗せていてそれを取ってくださってるのではないかと感じたりします。
    こういうことばかり書いていますが、許してください。

  52. 匿名です

    おさづけで波動が出る時、何か強い何かを納消してくださっているのではないかと感じています。
    所属教会でも同様の強い波動を感じましたが。

  53. 転向実施中

    末端教会の子弟40歳独身です 様

    >「助けるというのは、病む人の病気を
    >自らもらい受けること」
    >僕にはそんな覚悟はありません > <;

    そうですよね。
    でも、それが中山みきさんのおたすけ方法だったと
    私たちは伝えられていますよね。

    そこで、その同僚の病になった方が、
    あなたに助けてくれと懇願してもいないのに、
    お諭しして、いんねん話や、おさづけや、
    お願いづとめとか、しようと思いますか?
    それがその人が助かる道ですか?

    逸話編やご存命の頃を読めば読むほど、
    この教団に属して続けさせられるのはとてもいんねんが悪いからこそと思うし、
    それもよこしまな心が故の因果応報、
    とても恐ろしい教えだとも思います。

    以前、友人(天理教信者でない)と宗教論になった時、その友人が私に言いました。

    「神と称するものの対話はいつでもどこでも一人で出来ることだし、実際、神に祈るという行為で自分に向き合うのだと思う。
    人が人を救済するのは、道理や道徳に従い、正しい行いをし、他人の間違いを正し、
    許し、心を癒すことではないでしょうか。
    施設にこもって神に祈っても、誰も救うことはできない」

    その時の私は天理教という宗教から抜け出せず、他人事のように聞いていましたが、今は、ああ人を介して私に言ってくれたんだなと、その友人に感謝しています。

    住む家のことですが、
    遠い親戚の高齢の方で、教会をしまうことの許可が上級から下りず、家族で協力して近くに家を購入した方々がいます。会う度に、
    いい人生の歩み方だなあと思います。

    その教会は、現在も上級の教会長さんが月祭にのみ来て、信者さんも数人も参詣しているそうです。

    ご家族が仲良いのでしたら、
    アパートを借りて家族で慎ましく暮らしたっていいじゃないですか。

    これこそまさに
    感謝、慎み、助け合い
    になりませんか。
    末端教会の子弟40歳独身です 様の
    心が助かるように祈っています。

  54. 末端教会子弟

    末端教会の子弟40歳独身です 様

    >住むところ、どうにも出来ない問題ですもんね。

    以前別の掲示板にも書き込んだことですが、貴方の教会の土地建物の名義を調べて見てください。
    もし本部名義や上級協会の名義になっていないのであれば、宗教法人の「被包括関係」を解消することで解決します。
    上級との縁も切れ、上からの尽くし運びの要求が止まります。
    引き続き天理教を続けるか、どのような信仰を続けるかは、教会(宗教法人)の役員が決めることですから、貴方の両親・役員と相談してください。
    今の天理教関係の人間たちとは縁が切れる形になりますが、それは、貴方が切るのではなく、相手方が「自分のメリットがなくなる」から切るのであり、貴方に責任はありません。

    まずは、土地建物の名義や宗教法人の役員その他、書類を確認することをお勧めします。

  55. 末端教会の子弟40歳独身です

    転向実施中 さま

    「神と称するものの対話はいつでもどこでも一人で出来ることだし、実際、神に祈るという行為で自分に向き合うのだと思う。
    人が人を救済するのは、道理や道徳に従い、正しい行いをし、他人の間違いを正し、
    許し、心を癒すことではないでしょうか。
    施設にこもって神に祈っても、誰も救うことはできない」

    そうですね、教会という形にとらわれすぎていますね、教会でなくとも信仰を続けることはできますもんね。
    逆に形だけにこだわって中身のない不足だらけの信仰になってしまっては本末転倒のようにも思えます。

  56. 某末端の布教所長

    末端教会の子弟40歳独身です 様

    「教会を継ぐ」ということで、何が問題になっているのか、だんだん見えてきました。
    それは「ご両親の期待に応えること」であり、「いまの苦しい思いが解決すること」であり、「自分が幸せになること」ですね。
    もしこの3つが「教会を継ぐ」ことによって、アーラ不思議、全部解決しました!ということになれば、その選択も悪くはないでしょう。
    物は試しで、一度やってみてもいいかもしれません。

    その場合、留意しなければいけないことが幾つかあります。
    いろいろな方がアドバイスされているように、いまの天理教の教会制度が問題だらけで、過重なお供えで貧乏し苦しい思いをしたり、上級会長からのモラハラで心を傷つけられたり、期待したお嫁さんも来てくれずいつまでも独身のままだったり(実際、40代50代の独身男性教会長はゴロゴロいます)、といったことは十分起こりうることです。
    せっかく勤めていた大手企業を止めて教会を継いだものの、天理教の矛盾に悩み苦しみ、神殿で縊死した教会長がいたと某掲示板に載っていました。
    教内には、うつ病を病んでおられる教会長、布教所長はかなりおられます。
    うつ病のために自殺された大教会長さえいるのです。
    教会を継いだからといって、世界がバラ色に変わるわけではありません。
    これらのことに対して、あなたの立場をきちんと決めておくことです。

    仮に「教会を継ぐ」という選択肢に賛成の意見をするとしたら、次の留保条件をつけるでしょう。
    あなたにそれだけの覚悟はあるのでしたら、どうぞと申し上げます。

    第一に、教会を継いでも今の仕事を優先させる。
    「道一条になれ」という無責任な言葉を信じてはいけません。絶対に仕事を止めてはいけません。末端教会の場合、生活あっての信仰です。私のところが布教所のままでいるのもそのためです。

    第二に、教会を継いでも上級教会や大教会の理不尽な要求は断る。
    大教会奉仕だのお供えだの団参など次から次へといろんな要求が来ても、自分がやりたくないこと・できないことは全部無視すればよい。布教所なら無視もしやすいが、ここはあなたの生活と心身の健康がかかっていると思い、心を鬼にしてきっぱりと断ること。

    第三に、教会を継いでも天理教団自体が斜陽産業であると常に自覚する。
    世の中は栄枯盛衰があります。今の天理教の教会は商店街の個人商店のようなものなので、個人の努力では世の中の大きな流れには抗えませんし、抗う必要もありません。ご両親様に親孝行をすませたあとは、後顧の憂いもないわけだから、シャッターを下してそのまま仕事を続ければよい。

    いろいろな方が心配されているのは、あなたが今のような不安定なお気持ちのままでは、教会を継がないほうが絶対に良いという考え方に立っていることです。
    それは、当たり前の社会常識に即しているし、とっても理性的で健全な考え方なのですよ。
    わたくしも実をいえば、この見方に賛成なのですが、あえて違う観点から意見を言わせていただきました。
    ご参考になれば幸いに存じます。

  57. 末端教会の子弟40歳独身です

    末端教会子弟 さま

    今の教会は借家です。
    祖父の時代より地主さんから格安でお借りしています。
    ですが地主さんも代が変わり、貸すのは僕の親の代までと念を押されてしまいました。
    なので教会をやめる、続けるにかかわらず、30年先は今の場所にはいられません。
    育った場所がなくなってしまうのは、とても悲しいです。

  58. 末端教会の子弟40歳独身です

    某末端の布教所長  さま

    確かに、両親の期待に応えなければ、親孝行しなければ、という気持ちが強いですね。

    「いろいろな方が心配されているのは、あなたが今のような不安定なお気持ちのままでは、教会を継がないほうが絶対に良いという考え方に立っていることです。
    それは、当たり前の社会常識に即しているし、とっても理性的で健全な考え方なのですよ。」
    そうですね、とても不安定です。もしこのまま跡を継いでも、僕は鬱になってしまうのではないかとも思います。
    この悩みは健全と言っていただき、少し救われた気がします。

  59. 末端教会子弟

    末端教会の子弟40歳独身です 様

    >育った場所がなくなってしまうのは、とても悲しいです。
    お気持ちは分からないでもないですが、借家ならいずれ返さなければならないのは当たり前です。
    今まで「天理教のおかげで格安で借りていた」だけでもありがたい事だというのが世間一般の見方でしょう。
    勿論、さらに賃貸借期間を延長する交渉をするとか、土地そのものの買取交渉をするとかは、貴方の判断です。

    何にしても、両親のお年もあるでしょうし、お兄さんが家を出てしまった以上、今後は貴方が中心となって天理教に限らず、諸問題に当たっていかなければならない立場かと思います。
    問題ややらなければいけない事を整理し、一つ一つ片付けて行ってください。
    仕事では、当たり前にやってきた事かと思います。
    分からないことは、遠慮なく相談すればいいんですから。

  60. 50代元信者

    真面目な真面目な掲示板に茶々いれるようでちょっと気がひけますが、
    眉間に皺を寄せて画面をみつめている皆さんに、ちょっとおもしろい話。

    ピラミッド組織で思い浮かぶのが、や○ざさん組織。
    あるジャーナリストさんのお話に意外な話をみつけました。

    産みの親子がいるのに、改めて今日から○○さんの子分となるからには、親の言うことは、白いものを黒いと言われても、『はい』と言わなければならないが、それを覚悟してこの盃を受けなさい」
     場合により適当に省略されますが、精神においてはこの通りです。だから組員になった者は、よほど組長が物の分かった人でないと、途中で、あまりにバカバカしくて、やってられない、とつくづく思うことになってしまいます。
     科学警察研究所の調査によれば、「親分に盃を返したい、あるいは親子関係を解消したいと思うことがしばしばある」と答える組員が14.6%、「ときおり親子関係を解消したいと思うことがある」とする組員が29.3%もいて、両方の回答を合わせると、43.9%の組員が必ずしも親分に心服していないのです〉

    あの義理人情の組織でもこんなんなんですね。
    「そして今は末端組員は、一般人が苦しい以上に、生活が苦しいのです。民間アパートを借りられず、車の中で寝泊まりしているホームレス一歩手前の組員さえいます。」

    そして次が夫婦で思わず笑ってしまった話なのですが、
    実弟の竹中組組長・竹中武から聞いたという刺青に関する話。
    溝口敦著 『暴力団』に書かれているようです。
    「兄貴(竹中正久)だけでなく、わしらもみんな身体はきれいや、入れてへん。墨みたいなもん、痛い目して、高い銭出してやな、体に悪いいうことが分かっとって、入れるいうの、わしらおかしいと思うわ

    企業をやめる場合には大抵退職金が出る。
    や○ざさんの場合は出ない。
    天理教の場合は、どうやら家を手放さなといけないらしい。

    つまり・・・つまり・・・

  61. 50代元信者

    すみません。
    うっかりしてました。
    こちら記事以外のコメントを書く場所ではなかったのですね。
    せっかくの皆さんの流れを邪魔してしまいました。ごめんなさい。
    私も工作員と間違われそう。

    それから、訂正です。

    天理教の場合 →  天理教の教会の場合

    最近無宗教の夫と、天理教について話すことが増えました。
    夫がこんなこと話していました。

    天理教という組織を一般の会社として見た場合どうなのかな?天理教で思い出すのはやはりシャープかな。時代にあわせて変わらなければ会社は潰れる。
    天理教としてどんな改革をしても、今の時代背景から考えると信者さんが増えることは難しく、むしろ大幅に減少していく確率が高い。それでもある程度の信者さんは残るだろうね。その想定に合わせた組織構造の見直し(階層をフラットにする・本部機構の縮小・デッカイ建物を売却等)、そしてそれに伴って教会をやめる人たちのアフターケア(生活費の支援等)も必要だろうね。
    一般の会社だとその会社を辞めたい場合退職金が出る。会社を解散してその金を分配することも考えられる。会社として生き残るため、一部の人に早期退職を求め、割増の退職金や次の職を斡旋する。もしくは組織ごとに切り離し、個別の再生を考える。それまで会社に貢献してくれた人たちへの当たり前のフォローだよね。宗教組織には恩義がないのかな。
    今天理教が十年たったらどうなるか。高齢者の方たちはそのまま生きていくのが幸せかもしれないが跡を継いだ人たちはつらいだろうね。70代80代の高齢者の方は年金をもらっているから心配しなくていい。 一般信者の方は働いているから天理教を離れるだけで済む。 生活面から一番困るのは教会関係者の方たちだね。教会関係者で教会に専念していた人たちは教会以外の仕事も知らないから再就職も難しいだろうね。退職金もないし蓄えもないし再就職もないからたいへんだろうね。
    それから組織構造(器)の見直しにはまず、既得権益を独り占めしている本部・大教会長、上級会長にメスをいれるんだろうね。本来世襲制などはないはずだもんね。大教会長、分教会長は給料制となりお供えは会計を明瞭にして明瞭会計のもと有効に使われなければね。
    そして一番大切な信仰する姿の見直しだね。どこかの分教会長さんの年頭の挨拶を見たことがあるけど、なんの中身(こころ)もなかったなー。一般の会社だったらとっくに役職を解かれているよ。分教会長になるにも試験が必要かな。
    でもこんなことは少し考えれば誰でもわかることで上層部は危機的状況の中で既に考えているはずだよ。ばかばかしいから書かないでくれる?」(書かれるのがとても嫌そう)
    私「わかりやすいから書いちゃうよ」

  62. 末端教会の子弟40歳独身です

    今までは誰にも相談できず、ずっと1人で悩み落ち込んでいましたが、こちらでたくさんの方に話しを聞いていただき、少しずつ考え方も変わり、前向きになれているような気がします。
    精神状態、健康状態も、少しずつ改善されているようにも思えます。
    みなさんに感謝しています。

    引き続き、ちょくちょく覗かせてもらいます(^_^)

  63. mami

    末端教会の子弟40歳の独身です様
    「少し前向きに~」のコメントにほっとしています。ずっと気になっておりました。私もあなたと同世代の子どもの親なもので。
    親は子どもに期待(=エゴ)を持ってしまいます。でも親にとって一番の願いは子どもが自分の人生を生きてくれることです。天理教団の世界だけでなく親のエゴ(=期待)で潰されていく子どもの事件が多発しています。
    どうぞ親の感情は親の感情であって、自分の感情をくれぐれも大事になっさてください。経済的自立は決して手放さないでください。万一、教会を継かれることがあっても。「某末端の布教所長様」のコメントはうなずけるものがありました。

  64. 末端教会の子弟40歳の独身です

    mami さま

    僕のお母さんの立場の方ですね、ありがとうございます。
    やはり感情の起伏といいますか、鬱っぽくなる日もありますが、会社に行って仕事をしたり、色んな人と他愛もない会話をしていれば気も紛れます。
    こんな感じで、考え過ぎずに、なんとなく日々を過ごしていくのかなと思います。

  65. 匿名

    あなた様の答えが大、大、大正解です。今後生きてく上での勇気とみなぎるパワーがこみ上げてくるよな御回答です!涙が溢れました、ありがとうございます。

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