天理教からの防衛の仕方 親の思いという暴力性

天理教では3年後に教祖が没してから130年という節目を迎える。定期的に訪れる節目は、信仰上は竹の節のように堅いと例えられる。節目には困難が伴うと。しかし節に耐えるとそのうち必ず芽が出る旬が訪れるとされている。これらは、普通に考えれば節に耐える姿こそ神がきちんと見ている(報われる)という意味になるだろう。しかし天理教では、旬に向かって結果を出さないと節における忍耐が評価されないという逆転となる。ブラック企業は、結果が出ないと従業員に「会社が悪いのではない、お前のがんばりが足りないからだ。お前の修行が足りないからだ」というのは、天理教のそれと同じ構造ではなかろうか。天理教本部の役員の話でも、全国にある各教会の会長の話でも、「今こそ神様に評価されるべく節に耐えてがんばりましょう」と神の意思を個人の努力に帰結するレトリックの邪悪さを持っている。
今回はその一端を提示したい。今回私にメールを寄越した方は、親族のAが教会を継ぎたいと言っており、それに反対をしておられる天理教の未信者の方からであった。どう考えてもAが教会を継ぐ経済的、人間的な素質はなく、親族はみな反対している状況のようである。しかし会長は、Aと教会設立ができるように裏でコソコソと話を進めているようである。私が聞く限り、会長の頭には、この節目に教会を設立できるという外部評価がチラついているようである。
親族から反対されてまで設立する教会に何の意味があるのだろうか。天理教の節目だから、反対される中でこそ設立することに意味があるという、いつも通りのナルシストだろうか。
個人を特定できないように伏して公開したい。

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はじめまして。カインです。
メール拝読させていただきました。ご苦労のほどお察しします。

私見ですが、回答させていただきます。
前提として天理教の会長の資質に関しては多様です。
社会での就労経験があり、常識的な判断ができる会長もいます。
一方で、貴殿がおっしゃられる会長のように非常識的な会長がいるのも事実です。
私の皮膚感覚では、天理教に深くコミットする会長ほど話が通用しないです。
反対に、常識的な思考ができる会長は、天理教組織から一定の距離を置いています。
(というか、置かないとやってられないのではないでしょうか)

貴殿を苦しめている会長が、どの系統(大教会)で、どの思想の持ち主かは分かりかねます。
そのため、私のアドバイスが参考になるかは分かりません。
場合によっては厳しいことを言っているかもしれませんが、ご了承ください。

今後、教会長と話をするということですが、教理には教理で対抗するという
案については、私は反対です。
なぜなら、天理教の教理自体が、非常に強者(会長)の都合よく利用されているためです。
天理教がいくら「陽気暮らし」「人助け」という教えがあったとしても
「会長のエゴではないか」「人助けはいいが、こっちの家庭はボロボロ」と
言ったところで、通用しないでしょう。
私が予想するに、会長の乏しい語彙力や文脈には決まったパターンがあります。
まずは教会の歴史からはじまり、貴殿の先祖による信仰の始まり、
それらから現在の信仰について運命論的な因果論(いんねん)で
今の貴殿らが信仰的にいかに「できていないか」になるでしょう。
その上で、「親の思いに沿って」や「素直になるべき」「心を寄せて」と
自分の思い通りにコントロールしようとします。
もし話が物別れになったとしても、会長たちは「あいつらは
何も分かっていない」と自身を正当化しかしません(できません)。
その結果、こちらの心労と絶望感が増大するだけです。

天理教の組織はヤクザの縦社会と似ています。教会長は、その上の
教会長の言うことは応じる傾向が強いです。もし貴殿に、教会長の上の
教会長とコネクションがあり、且つその教会長が話が「わかる」人物で
あれば、相談することをおすすめします。

もしそのようなコネクションがなければ、自衛か第三者機関をお勧めします。

私に相談される方がよく言われるのが、天理教本部にクレームを入れることです。
しかし、これも私はお勧めしません。天理教本部には渉外課という部署があり
ここが対外的なクレームや問い合わせに応じます。しかしここに相談しても
「よく会長と相談するように」としか応じずに、何もしてくれず
その他の資源も用意してくれないほど天理教本部は無責任です。

先ほどの第三者機関ですが、もし人権侵害や法律に抵触するようなことがあれば
自治体の人権擁護委員会に通告することも視野に入れてください。
これは明確な物証がなくても疑いだけで十分です。
法務局でもいいですし、人権ネットワークなどの非営利組織に相談するのも
いいと思います。自治体での法律無料相談なども利用できます。

法律に抵触するようなことがなければ、最終的に自衛になります。
まず私のことですが、天理教人と話し合いをするときは、
高い確率でICレコーダーに録音します。
余裕があれば話し合いをする場所を写真で取ります。
少し揉めるような話し合いをする場合は前もって
「ICレコーダーで録音させていただきます」と断りを入れたこともあります。
もしそれを咎められれば「専門家にそうアドバイスされた」と言えば
牽制になるでしょう。
私はこのようなブログをやっていることもあり、
根拠もなく天理教を批判して名誉毀損にならないようにしています。
(天理教は信教の自由の中の宗教団体のはずですが、都合が悪くなると
不正競争防止法で下部の教会と裁判で争うような団体です。当然、敗訴しましたが)

私の対応はやり過ぎだと思われるかもしれませんが、
私は天理教に関して「宗教的虐待」や「宗教的ストーカー」団体という
認識であります。虐待やストーカーの対応が難しいのは、証明が難しいからです。
虐待は「しつけ」と変換され、ストーカーは「愛情」と変換され、
天理教は「親の思い」に変換されます。人権侵害も法律の抵触も、証拠がないと
誰も動いてくれません。ほんとに。
会長は法律の知識や社会常識が驚くほどありません。
(ここ数年、教会本部は信者のためではなく、教会長のための相談窓口を設置するほど
保身のためしか考えていません。人助けとは逆行していますね)

一会長の発言は二転三
転することは日常茶飯事であり
貴殿のおっしゃるように「言ってることと、やってること」が違うということは
珍しいことではありません。
もし録音した上で、会長の言行が不一致であれば、内容証明を送り、
弁護士に相談することが賢明です。

以上、少し過激な内容だったかもしれませんが、
会長は一般常識で「話したら分かる相手ではない」という認識がとても大切になります。
「話したら分かるだろう」と思って、結局話が通じずに、傷ついて
余計に心労が重なる方が多いです。

少しでも貴殿のご負担が軽減されますよう、
祈念しております。

追伸
個人を特定できない返事にしてありますので、
ブログにアップさせていただきます。

カイン
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この返信メールを送ってから、法的措置も含めてきちんと対応される予定との報告があった。私もこの大教会と教会の情報を収集したいと思う。これ以上、天理教に家庭を壊されないようにうまく乗り切っていただきたいと願うばかりである。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.com

 

天理教からの防衛の仕方 親の思いという暴力性」への25件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 宗教はアンチヒューマニズムか
    宗教はアンチヒューマニズムであると思います。神仏がその存在価値を至高とするならば人間の価値はそれ以下となり、人間性は貶められる危険性をはらんでいるからです。宗教を極めようとすれば、人権を含む人間の価値観は疎外される傾向にあると思います。ある意味天理教指導者の非人間性は起こるべくして起こったとも言えます。ヨーロッパでは、長い中世の暗黒時代に、十字の切り方が違うとか、錬金術師である事を理由に火炙りになってしまう事がありました。ルネッサンスを迎え人間性の価値が再考されると、フス派反乱、ルター、カルバンをへて宗教改革がおおこなわれ、やがて人権は確立されてゆきます。天理教プロテスタンティズムは必然、必要であるとおもいます。私も教理性に教理性で対抗するのは賛成しかねます。神が登場すれば必ず人間性は見下される可能性があるからです。一方、天理教指導者は神を口にする時は自らの人間性をためされるときです。信者、指導者共々8自らの擁護に神を利用すれば自らの人間性を否定、貶める危険性をはらんだ罠がそこに口をあけます。

  2. 匿名

    2. 親から身を守るなんて悲しいけど
    天理教の信仰は、親神様・教祖だけを信じていけばよいというわけにはいきません。
    上は本部から下は末端まで、教会制度にがんじがらめになっています。
    ぼろぼろになっても、がたがたになっても、形として教会があるのが、上の立場の者にとってはいいのです。
    しかし、そのためにどれだけ下の者が苦しい悲しい腹立たしい思いをしているか。
    陽気ぐらしと真逆の状態になっている教会が多すぎて、
    「ああこの人たちも、教会制度さえなければ、もっとのびのびと信仰生活を送れるのに!!」
    と思います。
    また上とか下というのも、いちれつ兄弟の理念からしてすごくおかしい。
    そもそも、これが一般の人たちを天理教から敬遠させている理由なのに。

    親から身を守るなんて本当は変だけど、守らなければやっていけない信者たちが実際にたくさんいるのです。
    だから私はカインさんを応援しています。

  3. 匿名

    3. Re:親から身を守るなんて悲しいけど
    >自立信仰者さん
    悲痛な叫びですね。教会上層よりの圧迫は、有形無形に虐待に感じられる部分があるのでしょう。貴方の無念さが感じられます。貴方は職業的天理教人でしょうか?私も生まれた時から暫く詰所住まいでした。私は理の親からではなく生物学上の親からの虐待を受けておりました。修養科の金曜日の煮えたぎったカレーを鍋ごと頭からかけられたり(幸いケロイドにならずすみましたが)、肉体的、精神的苦痛を受けてきました。この事より導き出された持論として、親神様とゆう言葉に、虐待を誘発するメカニズムがあるのではないかとい言うことです。理の親の立場をとる人間、教会長であれ、先輩であれ、子の立場にある人間に指導する場合、無意識に神を語ることによって自己絶対視が起こる場合があるのではないか。特にその人間に心理病理学的問題があるときは、大問題に発展することもあると言うことです。この事は天理教を否定する事ではなく、親とゆう立場を解釈する人間によって左右される非常に難しい問題をはらんでいます。事実や真実は何時も人を傷つけ迷わせます。しかし、真理は時として解毒剤となります。読書はお好きでしょうか?親子関係の心理学書は天理教を外から理解する手助けに成ります。私は東京大学の加藤たいぞう先生の本が参考になりました。信仰に関しては元外務官僚の佐藤優さんの 獄中記 、国家の罠がお勧めです。国家による圧迫と信仰による抵抗は、天理教もかくあるべきと思わせる力があります。
    1

  4. 匿名

    4. 理の親子
    表向きは、会長様、先生、と、ちやほやされているが、蔭ではすごく恨まれ憎まれている。
    こんな組織制度が長続きするはずがない。
    まして人気が出るはずが無い。

  5. 匿名

    5. 拝見しました
    信仰している者として、悲しく辛い記事でした。
    教会本部や教会制度は好きにはなれませんが、神様とおやさまは好きです。
    実際に教会本部の中へ入って(勤めてみて)びっくりすることが多々ありました。
    それでも、神様だけをみて生きていきたいです。
    裁判もいろいろありますし、組織として訴えられていることもありますが、全ての人が悪いわけではありません。
    ごく一部です。
    天理教に限らずどこでも同じだと思います(^_^;)
    みんな人間ですから。

  6. 匿名

    6. Re:拝見しました
    >旅人さん
    私もそう思いたいです。私もそう生きています。でも、根本が間違ってしまっていますので、取り返しがつきません。
    どこの組織でも一緒と言ってしまえば、教祖に申し訳ないですよね。

  7. 匿名

    7. Re:Re:拝見しました
    私も高校時代までは神様を見ていたような気がします。友が自殺するあの日までは。その日は、朝の参拝から雰囲気が重い日でした。担任より、級生が自殺した事を告げられると、何事も無かったように授業が始まりました。(今とは隔世の感があります。今ならどんな騒動になったことか。)学校が揉み消しを図った・・・。そう思った私は、先生に喰ってかかりました。「何故、アイツは死ななければならなかたのか!」その時の先生の答えが今も忘れられません。「これ以上追及しても、親御さんを悲しませるだけだ。」今なら解りますが、天理高校では、親と言う言葉は、先生が使う生徒に対する、「一方的な」言葉のムチでした。新聞にも、ほとんど載らず,何かが心の中で砕け散りました。「ココニ、イテハイケナイ」私は医業を選びましたが、有形無形の圧力で天理にとどまらずを得ない一団がいました。何名かの大教会長、教会長の長男坊達でした。あの時、同じく心の中で砕け散った何かを必死でかき集め、大教会長、教会長に脱皮していった同級生達は、今批判の矢面に立たされている。洋の東西を問わず、宗教組織の不条理を感じざるを得ません。組織の理念に完全無びゅうの神を置けば、人間の行動が同じ人間によって批判されるのは、解りきっているのに。

  8. 匿名

    8. はじめまして
    興味深く読ませていただきました。

    私は父が教会長で、一応後継者と呼ばれております。
    このブログにある記事には、首肯する部分が多く、私自身を客観的に考えるきっかけを与えてもらってます。

    多くの同世代は、本部勤務や大教会青年を経て教会長や道専務として日々勤めていますが、私は学生生活を終えた後は就職し、信仰のない女性と結婚しました。

    私自身は教会で育てられた以上何らかの形で恩返しをしたいと考えています。しかし、それは上級教会や本部に向けたものではなく、部内教会や一般の信者の方々に対してです。

    天理教が衰退傾向にあることは一目瞭然です。それは、信者さんや地域に対する還元、社会的責任といった感覚の欠如にあるのではないかと思います。

    今回の年祭は、とにかく布教という雰囲気がありますが、組織を維持するための焦りとも受け取れます。

    なかなか考えがまとまりませんが、自らの身の処し方を考える種として今後もこのブログをのぞかせていただきます。

  9. 匿名

    9. 理の親制度の弊害です
    記者会見する柔道部の藤猪省太部長ら=大久保忠司撮影
    http://www.yomiuri.co.jp/photo/20130904-552654-1-L.jpg

     天理大柔道部で起きた暴力問題を受け、同部の藤猪(ふじい)省太(しょうぞう)部長、
    山田常則副学長、鈴木光事務局長が4日午前、同大学で記者会見。

     藤猪部長は「お騒がせして申し訳ない」と謝罪し、問題を公表しないまま全日本柔道連盟
    (全柔連)理事に就任したことについて「大学による処分が決まるまで、余計なことは言えないと
    考えた。反省している」と述べた。

     会見は午前10時15分から、大学内で行われ、報道陣40~50人が集まった。

     鈴木事務局長らの説明によると、暴行は5月中旬から7月8日まで3回あった。最初の暴行は、
    1年生部員の数人が「水を飲むのは休憩時間のみ」との部内の決まりに反して練習中に水を飲んだ
    ためだったという。

     6月中旬には、4年生の1人が、1年生1人の練習中の態度が良くないとして、「注意を促す」
    ために木刀で尻を3、4回たたいた。7月8日、この1年生部員が体調不良を訴えた際にも平手
    打ちをしたという。

    (2013年9月4日 読売新聞)

    ソース http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20130904-OYT8T00764.htm

  10. 匿名

    10. 天理教と現市長との関係
    天理教団は現市長が前回の選挙の時、固定資産税の替りに納めている15億を10億にするという約束をし、天理教本部の組織票をもらったとのの噂、また今度の市長選でも自分推薦するNさんに今後5億にするので推薦をもらったとの噂、自分達の出すゴミみは市民に押し付けるこの天理教団思想に幻滅、絶望します。

    陽気暮らしとは、自分達が負担を半分にして、それを他人に押し付けるというこですね。天理教本部の方。

    この天理大学の暴力事件で、このカースト制の組織の解体も問題になるでしょう。

  11. 匿名

    11. 教祖が反対した組織
    兄弟なのに、兄弟を親子にする。

    世界一列皆兄弟と中山みき様は掲示された。しかし、この天理大柔道部が氷山の一角に出現した本音、現代に残る封建制度、理の親という奴隷制度が露出した。4年は親、1年は理の子ということでしょう。

    『水を飲めば水の味がする」と教祖・中山みきは啓示されたのに、その水すら飲む制限をするとは。

  12. 匿名

    12. 学長出こい
    天理大学柔道部の問題で、何故、副学長が謝罪しているのか。

    学長は何をしているのか。

    学長は間違いを認めていないとの認識で世間は一致

    学長=天理教本部員 I氏

    天理教団は、固定資産税選挙詐欺はするわ、封建社会を持ち込むは、最悪

  13. 匿名

    13. Re:学長出こい
    >通りすがりさん
    記事を拝見させて頂きました。貴方の天理を愛するがゆえの怒りを感じました。天理が衰退していく最中での不祥事は、怒りと無念を感じざるを得ないのでしょう。私がこの件で思うのは、問題を起こした4年生は、1年生のときに暴力を受けた可能性があり、暴力による指導は代々け継がれてきた事実があるのではないかと言うことです。天理学園を卒業した人間であれば、柔道部員がいじめをした話や、暴力を振るう現場を見た話に事欠かないと思います。柔道部に限らず、他のスポーツ部員も大なり小なり同じではないのでしょうか。その様な経験を持つものがたまたま、天理大学に入り、たまたま行為が明るみにでたとしても、彼らだけに責任を負わせるは、とかげの尻尾切りと同じではないのでしょうか。今できることは、自分も暴力を振るった、またはこの伝統を受け継いだ記憶のある者、特に天理の名の下で生計をたてている者は、自ら名を挙げ語り始める事です。もう数十年も同じことを繰り返している積み重ねが、卒業生を天理から遠ざけていることに、何故気がつかないのか、理解に苦しみます。なおこの問題で神を登場させてはなりません。神を味方につ付ければ、安直な勝利が手に入るだけであり、天理学園の一大病巣は取り除けないからです。

  14. 匿名

    14. 子供の信仰について
    49歳の主婦です。母方の実家が天理教の信者で、私で4代目になります。私は子供の頃から天理教が大嫌いで、信仰にも否定的でした。両親の離婚により、幼少期より人に言えないほど辛い目にあってきましたが、熱心な天理教の信者である母から出る言葉と言えば、「前世の因縁」でした。
    自分の身に覚えのない事で、どうしてこんなに辛い思いをしなければいけないのか、余りにも理不尽ではないか。そう思う度にどんどん天理教が嫌いになりました。
    でも母からは信仰を無理強いされ、親孝行と思い辞めたく無かった仕事を辞めて修養科にも行きました。修養科に行くと自分の信仰心に変化があると思いましたが、変わることはありませんでした。でも、天理教の不足の心はいけない、感謝の気持ちを忘れないという教えは守り、天理教本部への参拝もしました。4年前に次男が天理中学を受験すると言い出し、合格して天理中学に入学しました。地元の公立中学はかなり荒れていたので、この時は神様が引き寄せて下さったと感謝しましたが、やはり勝手信者の私は、母の様な熱心な信者にはなれませんでした。母は事あるごとに「お供えをして徳を積みなさい」と言います。その言葉がまた私の反感を買うのです。今年、社会人になった長男にも給料の中からお供えをさせろと言います。私がそうであるように、信仰は親から無理にさせるものではないと思うので、天理教の信仰の話は子供達にしませんし、無理強いしたくありません。明日は秋の大祭で、天理中学から天理高校に進んだ次男は、青年部の総会に出ないといけないのですが、どうしても行きたくないの一点張りです。大教会からは電話で9時過ぎに詰所に来させてと言われているのですが、息子は絶対に行かないと言います。16歳になると強制的に青年部となるシステムも私自身は納得いかないので、天理高校に席があるんだから行きなさいとしか言えません。
    私自身も、天理教青年部について何も知らなかったので、「天理教青年部総会」と検索して、このブログに行き着きました。
    子供の信仰について、どうお考えですか?
    もしよかったらお聞かせ下さい。

  15. 匿名

    15. Re:子供の信仰について
    >勝手信者さん
    勝手信者と言うネームから、貴方の人生において、長きに渡る葛藤と、お母様の苦しみが伝わって来ます。お母様は離婚と言う人生の嵐を耐え抜く為に、自分を罰するように天理教にのめり込んだのでしょう。自分をさいなむ無力感や、罪悪感を緩和するには、神一条が拠り所となったのだろうと思います。そしてその熱心さは、貴方への宗教的圧迫へと成っていったのでしょう。ここでも、親神という言葉の破壊力を感じます。我々天理の子は、宗教講話の中に、話し手の欺瞞や、個人的な恨みを感じる事があります。そのメッセージは、我々を傷つけ、不快にさせ、天理教に対する強い不信感を起こさせますが、一方、離婚したことに苦しむお母様を、何とか喜ばせたい子供心は、貴方を天理教の囚われ人にしてしまいました。この状態から、貴方の心の崩壊を止めるには、勝手信者になるしか無かったのでしょう。痛ましい限りです。そして、もう一つの心配は、その葛藤に苦しむ貴方を見て、親孝行な息子さんは、天理を選んだのではないでしょうか。ここ親子関係の心理学的継承、すなわち因縁の発生を感じます。私は息子さんに、神一条となる前に、自分の限界、人としての弱さを自覚するように勧めます。泣くときは、腹いっぱい泣き、人の幸福に喜び、怒る時は、冷静に、しかしキッパリと指摘できる人。感受性の豊かな理知的な人間は、他人の困難に敏感です。これこそ用木の条件ではないのでしょうか。神一条のみの人間は、自分の痛みに敏感であり、他人には、鈍感です。愛ある人になる、愛に関しては私より、聖書のコリント人への手紙の方が雄弁です。{また、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛無くば何の値打ちもありません。また、たとえ私が持っている物全てを、貧しいひと人達に分け与えても、また、私が私の身を焼かれる為に渡しても、愛無くば何の
    役にもた立ちません。愛は寛容であり、愛は親切です。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反すること事をせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪を思わず、全てを我慢し、全てを期待し、全てを耐え忍びます。愛は決して絶える事ががありません。}息子さん、貴方、お母様の幸せをお祈りします。

  16. 信者

    理の親子関係のために、こんなに信者たちが苦しんでいる。
    つらい思いをして泣いている。
    あまりに痛ましい。
    本部は「理の親」はニセ教義だから使ってはいけないと、
    どうして啓蒙してくれないのか。

  17. 古い教会長

    信者さん。
    3代真柱が「親という言葉は、親神様、教祖以外に使うものではない」と言われましたが、なし崩しに機関紙等で使われています。
    http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/blog-entry-295.html?sp
    『前真柱様は「かなめ会」(全直属教会長の集会)会長として、「理の親」という言葉は教祖以外に使うべきではない、系統は昔は必要であったかも知れないが、今では布教の邪魔になっている、等々と発言されたことがある。その発言は「かなめ会報」にも記録されている。同じ発言を出張された講話の席でもされている。
     ある時、前真柱様がT大教会詰所で開催された講習会の席で「理の親は教祖だけ」という意味の講話をされたことがあった。その直後、同大教会のO布教部長(以前からの知己)から私に電話があり、「真柱様の話の内容は今後誰にも伝えないように」と大教会長から注意を受けたが、「理の親」という言葉は確かに原典にはないのかどうか」を確認するためであった。私はその質問に答えて「道の親、理の親」という一節はあるが、それは明らかに教祖ご自身を指している。教会長に対して「親の代わり」「親の役目」と言われているのは、明らかに生まれつきの親の立場ではなくても、親の代わりになれるよう努力し丹精するように諭されたお言葉に間違いない」と答えたことがあった。』

  18. 匿名

    上・上級の3代前の会長の30年祭の案内があり・欠席で返信したところ、そこの会長から「参って来い。来ないなら、あんたところの会長(父)の年祭には行かんからな。」と脅しともとれる発言をうけました。理の親だから来い。うちのおかげであんたところの今があるんだろうが。という意味合いと理解しました。

     我が家では寝たきりの母親の介護があり、30年前に亡くなった人も大切ですが、生きて、いよいよ最後を迎えようとしている母のお世話のほうがより大事なおたすけと認識しています。往復するだけでも時間をとられるので気持ちはあっても行けないのです。おかしな「利の親制度」です。

    「理の親」は親神様・教祖以外にないと聞いていますし、親孝行を標榜する天理教が実の親の親孝行しようとすると「そんなもの、ほっとけよ。理の親の方が大事だろうが。神様のつとめをしてたら良いように連れて通らせてもらえるんだから」と言わんばかり。

    三食食べさせ、オムツを取り替え、水分摂取に気を使う。実際、神様は生きた人間に対して、実働してはくれませんからね・・・・・人助けを声高に叫ぶなら「いずれ先の短いお母さん。後悔のないよう、よく看てあげなさいよ」と言うべきではないのでしょうか?

    「お供えが無かったらわしら生きていけんのじゃ。信者に「御礼がいる」と言うのに○○分教会の○○会長は10年かかったいうが、わしらはお供えとお礼で食べていきょうる。それ以外に方法ないんじゃからな。」何が言いたいのか神殿講話でこんなことを言う会長です。

    食べて行けないなら働いたらどうですか。こじき根性は捨てないと、これからの天理教は世間から見放されます。

  19. 古い教会長

    なんと正直な会長さんですね。今の天理教の現状を垣間見る思いです。

  20. 匿名

    これを世間では、恥も外聞も無い、と言いますが、その会長さんはそういう事もわからないのでしょうか。

  21. 匿名

    私も 
    今まさに両親や 義理母の介護で教会参拝どころではありません
    お互いにがんばりましょう
    会長もよく似たものです
    ただでさえ、疲れているのに全くひどいですね

  22. 呪縛

    匿名2016年2月19日 8:11 AMの匿名さん

    ひどい話ですね
    現代は身内だけでは高齢者介護はできないとされています。
    それを必死になさってるのに上教の言いよう
    あまりにひどいと思います。
    そんな時こそ助け合うのが人の心というものでしょうに…

  23. 匿名

    この会長さんは月次祭に参拝させるために我が子の小・中学校義務教育をも放棄させる方です。一般信者さんの中にも学校よりも月次祭を優先させる人が数多くおられますが、親が教会からあの手この手で弱みに付け込まれて洗脳されている為、休ませて所属会長から褒められ、良いことをしてると思っておられます。

    こうして発言権も選択の余地もない子供が教育を受ける機会を奪われているのです。学校からはオウムかエホバを見るようなさげすみの目で見られているのに当人は神一条だ喜び勇んでいます。

     こういう天理教の中しか知らない偏った人が、いくら教理を声高に語っても幅広い教養も見識も身につけてない人の言うことに、狂気は感じても、深みも奥行きも感じられません。

    天理教を信仰させる前に子供にはしっかり勉強させ、社会の仕組み、社会のあり方を知らしめ、天理教の子女子息と言えども、社会の中で生きている、生かされている、と言うことを知らなければ、再びこじき根性をもいとわないおかしな思考の会長になって、天理教は社会からはじかれ、同じ事の堂々巡りをするのでしょうね。もう発展はありません。

  24. 匿名

    私は信念を持って、いとしい母の介護に専念します。いい最後だったとあの世に行っても母の魂が覚えて喜んでくれるはずですから。何を一番にするか優先順位を間違わないよう、親神の御心に添った生き方を自問自答しています。神優先か、人間優先か?と聞かれたら状況により、「人間優先です」とはっきり言える自分でありたいです。

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