天理教「こどもおぢばがえり」に行ってきた

こどもおぢばがえりの最終日に参加してきた。今回は子供は同行せず、大人だけ。

天理駅に到着して、天理本通り(商店街)を通る。子供が多くて賑わっていると思ったが、意外に人が少なくて、商店街も閑散とした様子。駅から天理教本部のある神殿に徒歩で向かう。参道のようなもの。

DSC03217

商店街のいたる所にポスターや旗が見える。

DSC03218

これが天理教少年会のメインキャラクター「ピッキー」(右)。ミッキーマウスがネズミだとすると、ピッキーはたぶん黄色の鳥が原型。左はピッキーの相方の女の子のキャラクター。名前は分からない。

DSC03220

天理本通りは全長1kmくらいでとても長い。途中には信号機が2カ所ある。長いのでお店に入ってしまうと、どっちから来たか分からなくなってしまう。

DSC03219

商店街を駅から神殿に向かうに連れて、お土産を買う子供たちが多くなってきた。だんだんとイベント(お祭り)のような雰囲気がでてきた。よく目につくのが「カレーファイブ」というキャラクター。天理教が現在最も力を入れている物販の一つのようだ。宗教団体の物販がカレー?という疑問点はさておき、見るからに甘そう。(今回は試食せず)

DSC03222

やっと神殿に到着。すでに汗だく。イベント中とは思えないほど人が少ない。写真には写ってはいないが、中学生のボランティア達(少年ひのきしん隊:天理教版ボーイスカウト)がタダで冷たいお茶をサービスしてくれる。熱中症が叫ばれている以前からこのサービスがあるのは天理教のホスピタリティ精神である。

DSC03223

子供はイベント会場にいるため、神殿付近に子供は少ない。大人だけで子供のイベントに参加するのは気がひけるが、天理教本部のスタッフに聞くと神殿から一番近くは「アタックワールド」という会場があるから行ってみてはと説明を受けて向かう。

DSC03224

天理教オリジナルキャラクターがいたるところにいる。写真にはうつっていないが、会場には子供がたくさんいた。プールもある。子供と同じ数ほどスタッフがいて、安全には配慮していることが窺える。スタッフは高校生ほどの若い人ばかり。

DSC03225 DSC03226

待ち合いのテントには、引率の大人たちがぐったり。つかの間の休息のようだ。何十人もの子供を引率するのは、さぞかし大変だろう。

DSC03228 DSC03229

天理教関連の主な施設の地図。改めて、宗教を中心とした街だと実感。

DSC03231

夜のパレードまでは少し時間があり、移動する。パレード用の観覧席は、この期間だけのために設置される。時間と人手がかかっていることが窺える。

DSC03233 DSC03234

パレードまでの時間に夕飯を済ませようと知り合いがおすすめしてくれたうなぎ屋さん。天理でうなぎ?と思ったが、普通においしかった。

DSC03235

腹ごしらえも終わり、日も暮れ夜のパレードに向かう。ほとんどの準備を若者がしているのが新鮮。パレードまでの時間は、天理高校などの高校生が子供たちとゲームをして盛り上げる。

DSC03244 DSC03246

10分ほどで夜のおつとめが終わり、いよいよパレードの開始。花火がスタートの合図。

DSC03250 DSC03251

パレードのトップは天理高校吹奏楽部の行進。

DSC03254

ピッキーの登場。メインキャラクターだが、そこまで人気者ではなさそう。

DSC03255 DSC03259

フロートと呼ばれる、車を改造した乗り物。昨年見たものや、初めて見たものもある。完成度は高いが、どこか手作り感があり哀愁がある。わずか10日間のイベントのために、ここまでやるかと感心させられる。

DSC03261 DSC03262 DSC03264 DSC03271

鼓笛隊やフロートから流れている音楽や、書かれているスローガンは天理教オリジナルなものばかりだが、宗教的というよりも、道徳的なものばかり。子供のイベントだが、世俗にまみれた大人もドキっとさせられる。

DSC03266

毎年見ることができるキャラクターや乗り物。毎年見てても、じっくり見て聞いてしまう。

DSC03277 DSC03278 DSC03280 DSC03282

パレードが終わると、神殿前で閉会式が行われる。最終日以外は閉会式はない。

DSC03291 DSC03296

最後まで見たかったが、電車の時間が迫ってきていたので中座することに。神殿付近には全国にある教会の提灯が並べてある。幻想的な光景。ずらーーーーと。

DSC03304 DSC03298

ずらーーーーーーーーーーーーと。これでもほんの一部らしい。

DSC03302 DSC03299

最後の花火の音だけを聞きながら、急いで天理駅に向かう。おいしそうな天理スタミナラーメンを横目に駅に急ぐ。ぎりぎり電車に乗れ、無事地元に帰ることができた。

DSC03306 DSC03308

終わり。改めて宗教団体とは、人の数がモノを言うのだと実感。今回感じたことは、「こどもおぢばがえり」はもう少しメジャーであってもいいのかなと。天理教人だけではなく、一般人も気軽に参加できるようなイベントとして。元々、教会単位の集団(団参)が対象だから、私のように個人で行った人間が駅を降りたところで何の案内もないし、どうしたらいいか分からない。CMや公式HPの垂れ流しを見ても不親切だし。宗教行事をレジャー化して誰でも来れるようにするのは難しいと思うが、現状のクオリティとかかる人手を考えると天理教内だけで完結するのは何かもったいない。何より幼児から低学年であれば、十分に楽しめるはずだ。家に帰ると娘も「今年も行きたかった!ずるい!」と言っていたし。「においがけ」という布教活動は天理教でも大切な政策の一つだが、つくづく天理教は情報発信や広報活動が苦手であると感じた。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

天理教「こどもおぢばがえり」に行ってきた」への11件のフィードバック

  1. 元信者です。

    欲深い宗教団体です。
    信者の方がよっぽど欲が無い。
    閑散とした商店街を見てると、いくら子供おじばがえりとは言え、衰退の一途も頷けます。昔は人が溢れんばかりに行き交っていたのに。
    大きな館は力の誇示としか映りません。
    あの大きな館群に係る費用だけでも莫大な金額になると思います。
    これらの費用をこれから先も誰が負担するのか?各所に点在する教会であり、信者です。その教会ではどうか?理立てと称して高額な金額を要求する。。。。
    京都の歴史ある有名なお寺です。最近CMで脚光を浴び、訪れる人が後を絶たないです。それまでは京都の中でも知ってる人が立ち寄る位の静かな処でした。確か3代前の住職が庭園に枝垂桜の木をしかも一本だけ植えたそうです。時が経ち、平成の時代になってその枝垂桜の木は見事に成長し、今は枝垂桜で有名なお寺になりました。春には参拝客や観光客が溢れんばかりに訪れ、それはそれは賑やかです。本来のお寺としての意義はもう少し違う処に有る様ですが、枝垂桜の木を植えた時に今日の姿を誰が想像したでしょう。館建設の為に莫大な費用をかけ、こんなにも信者がいるんだぞぉ〜と溢れんばかりの光景を見せつけ。。。。。
    結局東西礼拝場は完成したものの、脱会者や、教団を去る者は後を絶たず、結局何の為のふしんだったのか?首をひねるばかりです。どころか、詐欺紛いや窃盗も厭わない。抗議をしても神が見ている気を鎮めとか人がめどうか神が目どうかと天理教用語で交わされ、本当に疲れる。
    自分の将来や団体の将来を考えた時に脱会を考えるのは誰しも同じで、この教団に対して未来を見い出せ無くなってしまいました。
    あの時代に神殿や詰所を大きく拡張せずとも、欲を出さずあるが範囲内で納め、沢山の種類の多くの桜の木を沢山植え、手を掛けて世話をしていたら、平成の今の時代には春には見事に桜が咲き誇り、いつ行ってもあそこは桜が咲いているとサクラの里として有名な名所になっていたかもしれない。
    どんなに大きな神殿を建設しても歴史の前には勝てない事を良く勉強しました。
    サクラの里になるにももう遅いでしょうね。

  2. ちゃじじ

    信仰している者です。興味深く拝見させて頂きました。
    なかなか核心をついておられ、頷きました。
    本当に色々な事があると思います。しかし、教祖は、親である神様の思いは、ただただ子供(世界中の人間)の幸せを願い、悩み、苦しむ事がなぜ起こるのか、人としての生き方はどうあるべきか、をーから十までお教え下さいました。
    その偉大な教えに泥を塗っている状況を、恥ずかしく、本当に申し訳なく思います。
    私も組織に何じゃこりゃと反発した時期もありましたが、祖父や祖母、父や母の姿を見て、また、まだ若輩ですが自分の人生を振り返ってみても、あぁ、この道は、教祖のおっしゃったことは間違いないんだなぁと思うに至りました。 偉そうなこと言ってすみません 

  3. 徳子

    いつも時間をみつけては、カインさんのブログを拝読してます。
    明治30年に曾祖母が入信し、小さな末端教会の初代会長になり、その子、孫、ひ孫と一族が天理教を信仰しております。とても怖ろしいことなんですが、その中で私だけ異端児で天理教を信仰しておりません。というより私は、その長きに
    わたる末端教会の土地を父の入院治療費にあてるため売却しました。
    個人名義の土地であり、斜陽宗教でもあり、上級教会へ吸収合併されたほうが楽だと思っておりましたが、なかなか自分が思っていたようには簡単には売らさせてもらえませんでした。
    脅しや強迫は24時間夜中でもあり、あげくの果てには「教会は売るな、神様がお金を用意してくれる」と、世間一般の話し合いができないなか、粘り強く半年以上かかって、やっと売れました。
    天理教人の脅しや強迫に私自身が怯えるようになり、鬱とパニックとそして、子供のころから天理教の教えの中で育った私自身がいつも何かにすがっていたい気持ちになっていました。ただ天理教の信仰も麻薬と同じで、ちょうど麻薬がきれて禁断症状になっているのだと思うようにしました。
    ただ、私の中でどうしてもわからないのです。何代にもわたって「陽気ぐらし」とは裏腹にとても貧しい、いつまでも教団の組織に搾取され続けていることに、なぜ疑問をもたないのか。どうして「末代の理」という言葉を信じるのか。一族の中で私ぐらいのものでした。反抗していたのは。天理教に対して心の整理をしたくても話す相手もおらず、苦しみをわかってくれる人もおらず孤独でした。
    漸く、このブログを読んで冷静に天理教を信仰したがための悲劇、悲しみが、どのようにして人間を奴隷のように扱えるのか、それも世代を超えて脈々と繋がっていくことを少しづつでも理解したいと思っています。
    カインさん、これからも書き続けてください。楽しみにしています。

  4. 一信者

    徳子さんの例は、多くの末端教会がかかえる問題を端的に示しているように思います。
    陽気ぐらしを標榜する天理教なのに、鬱やパニックになるまで信者(しかも教会関係者)を追い詰めるのは、本当に悲しいことです。
    なぜそんなに教会名称にこだわらなければならないのでしょうか。
    家族の入院費をねん出することのほうが、はるかに親孝行ではないでしょうか。
    末端教会の多くは、じっさい出すばかりで、ボロボロの状態です。
    神様がお金を用意してくれるなどと、上級教会は安易に言うべきではありません。
    こんなに末端教会の関係者が苦しみ、悲しみ、つらい思いをしているのに、それを告白でき、訴える場が天理教の中にはないことが本当に残念です。
    天理教校や天理大学があって、天理教学や宗教学が研究されているはずなのに、まったく無力、なんの役にも立っていません!
    たぶん教外の方が運営されている天理教社会学研究所だけが期待できる場なんて悲しすぎます。
    徳子さん、がんばってください。蔭ながら応援しています。

  5. 徳子

    教会とは看板だけで、6畳2間の小さな古家を改造して、親神様、教祖様、御霊さまの小さな社を祀り、鳴り物は、くっつけて添えてる状態です。信者は身内がほとんどでそれでも10人いるかいないかの中で、90年祭当時で毎月25万円の上納金ノルマがありました。祖父が教会の倍加運動で信者も集まらないのに、祖母を初代会長にしたので、部下教会の5万円も足していたのだと思います。
    父は統合失調症、母は金!金!金!明けても暮れても金!金!金!今も忘れられないのは、90年祭に本部へお参りに行き、神殿の階段で母が「お道のご用を命がけでしていかなければ、必ずやふるいにかけられ熱心でないとふるいから落とされてしまう」と言っていた母があっけなくこの世を去りました。46歳でした。私はまだ高校を卒業したばかりで、母の死が深い深い悲しみでした。そのときに見た夕焼けが赤々といままで見たことのない綺麗な夕焼けで、日常の生活は何ひとつ変わってないのにただ私にはもう母がいない淋しい感傷に浸れるのも葬儀が済むまでで、葬儀が終わったら借金取りが次から次へと押し寄せてきました。母が作った借金だったので私は何も知らないけれど、借金を返すのに日々追われていました。今だったら自己破産もできたでしょうが、誰も教えてくれない。国民年金から葬祭費も出ると言うことも。ただ因縁が悪い!罰が当たった!このふたつだけでした。記憶に残っているのは。借金も返済が済み、私はこの教団の中枢をみたいと思い修養科へ行ってみたけれど神殿の拭き掃除と手踊りの練習に明け暮れ、これが修業の場だろうか?社会で働いている方がよっぽど修業だし、なんと楽なところか中枢の収穫はなし。ただ異常に賽銭箱が多くそして10円をいれてちゃりーんと音が聞こえるまでの長いことか。賽銭箱の中を目を凝らした見たらとても深いんです。
    週刊文春に地下のベルトコンベアーでお金が一か所に集まるようにしていた。納得。
    講習は真夏に行きました。狭い部屋で白い足袋のアイロン掛けを汗かきながら朝から夕方までしていたことしか記憶にないです。ある本部員が神殿が大きくなりすぎてひと手不足だから講習という人材を集めて無休で奉仕してもらっている。納得
    100年からの信者であるのに、教団が何をしているのかどす黒いベールに囲まれて結局わかりませんでした。

  6. yohuboku

    はじめまして。投稿は一度もありませんが、ここのブログを前から見ていた者です。気がついたらブログが再開されており興味深く拝見させて頂きました。

    今年のこどもおぢばがえりに行かれたのですね。お疲れさまでした。ブログの最後に”「においがけ」という布教活動は天理教でも大切な政策の一つだが、つくづく天理教は情報発信や広報活動が苦手であると感じた。”とございますが、以前の天理時報社に関するカイン様ブログにあるように天理教は個人の発言を原則規制する姿勢にあります。私個人もこのブログに感化されて先日まで天理教のブログを更新していましたが、所属する天理教分教会から反対されやむなく廃止にしました。

    今年4月~6月に天理教よふぼくの集い、という講習がございまして、その中のビデオで里親問題に取り組まれる村田和子氏も、天理教が学校でも家族でもない第三の心が安まる場所として、もっと浸透して欲しい、ということを申しておりました。親のいない子供に対し、里親になってくれる家庭の割合は、天理教の信者が日本全体の中で7割弱を占めます。里親政策を推進する天理教はこの機会をもっと進めていくべきだと思います。

    さて、カイン様ブログに対するコメントを見ると天理教組織に対する批判というか、憎悪というか…、そういったコメントが数多く見られます。教団が何をしているのか?そもそも教団がしていること(お金と人集め)が正しいのかどうかは、どうしても気にはなりますが、末端信者の個々人が考えても仕方のないことだと思っています。カイン様ブログにいう「いわゆる思考停止」ではなく、世襲制天理教組織という制度の中で、末端から(私も初代となるのですが)てっぺんに物申すその無意味さからです。

    そもそも天理教の歴史は「教え」とそれを守るための「組織」の二項対立で成立していると思います。「教え」は教祖が、「組織」は秀司様や歴代真柱様が守ってきました。この二つは常に対立するのですが、どちらか一方が欠けると、もう片方も生き残れないという関係があると思っています。数多くの教えの中で天理教組織を批判する人は、そもそもの「教え」の観点から、天理教組織を批判しますが、例えば毎年天理市への10億のお供え(いるのかどうかは知りませんがw)であったり、その他、各詰所の運営費(一詰所で約年間一億)であったり、一天理教株式会社としての各役員への年収問題であったりを考えると、天理教組織としてもおいそれと今の体制を変えるのは難しいのだと思います。(ですし、何もしなくても年収数百万が入ってくるという今の暮らしを変えたいと思う人なんていないと思います)

    では、やはり天の理に基づくこの世襲制は誰も変えられなくて、末端信者はいつまでもいつまでも毎年数十万から数百万というお供えを、上級教会に上納しなければならないのか?というとそうではないと考えています。先日、発売されたとある週刊誌の特集で、「献金型のビジネスモデルを持つ天理教は、教団の拡大期は収入も大きいが、停滞の局面に入ると収入が一気に減ってしまう」という指摘がありました。天理教の歳入は1979年の約243億から、2011年には約134億となり、30余年で100億以上も減少しました。ちなみに1979年を調べると教祖100年祭にあたり、教祖100歳だから100万お供えしよう!と何とも愚かなスローガンのもと、天理教教会長による銀行強盗や、信者へのお供えの強要があり、さらにそれでもお供えができなかったから、教祖百年祭式典中に、教会長が詰所から飛び降り自殺を図るという事件まで起きた、天理教の中でも、とても酷い時期です。

    これは上記の真柱様体制による世襲制のマネジメントが、少子化の時代となった今、通用しないということを言っているだけに過ぎません。さらに現在、高齢化の中で多くの現天理教会長が尽力していますが、20年後、30年後には、その影も薄れ、現在の天理教信者(約121万)が二分の一から、三分の一程度になると考えています。道一条という言葉は死語となり、天理教教会長は、所得税免除という条件の代わりに、働きながらそのお金のほとんどを上級にお供えする時代が来ると思います。

    なんとも言えないしまり方ですが、いい加減長いのでいったんこのへんで…

  7. 自立人生

    テーマ: 「立派なやかたで信者は激減 (内容一部補足字句修正、再投稿)」

    内容を一部補足し字句を修正のうえ再投稿します。
    昨日(2014.11.22.)付の投稿ではなく本日の投稿を私の意見とみなして下さい。

    <やかた普請はカネ集め>:
    6月に出直された三代真柱が52歳であった30年前「四方正面」の立派な神殿建築は完成し、現在おやさとやかたも26棟出来た。
    おぢばには天理教教団始まって以来最大の教団建築が林立している。

    その一方、信者の数は教祖80年祭をピークにこの50年間、年々減少を続け戦後最低の水準となり、今も減少が続いている。
    布教や「心のふしん」は後まわしで、やかた普請とカネ集めに精力の大部分を注いだ結果の衰退50年である。
    形の普請を行えば、心の普請、布教もそれについて来ると考えた歴代真柱を筆頭とする教団本部の甘い思惑は見事に外れた。

    巨大な建築には莫大なカネがかかる。
    そのカネは全て信者のお供えである。
    教会本部が次々に「形の普請」を行うので、大教会や有力分教会もそれにならい立派な「形の普請」を次々に行った。
    その結果、末端教会や一般信者は中山ミキの教えには無い、あまりのカネ集めに教団組織への不信をつのらせ、多くの信者が離れて行った。
    それが50年にわたる天理教衰退の歴史である。

    とにかく天理教はカネがかかりすぎる。
    昭和20年終戦の当時、天理教は公称220万人の信者を抱える日本最大の新興宗教教団であった。
    昭和41年(1966年)教祖80年祭参拝者200万人。
    数字だけ見ると戦後天理教は教祖80年祭まで教勢が伸びて発展している様に見えるが、実際には終戦直後から一貫して教勢の衰退は始まっており、終戦時壊滅状態であった創価学会に信者数において、昭和41年教祖80年祭の時点で完全に追い抜かれてしまったのが実態である。

    <天理教が創価学会に追い抜かれた理由>:
    創価学会:
    昭和18年7月、牧口常三郎初代会長、戸田城聖理事長ら幹部21人、治安維持法、不敬罪で逮捕、投獄。
    昭和19年11月、牧口会長、獄死(73歳)。
    昭和20年7月、戸田理事長出獄時、創価教育学会の信者は離散、組織壊滅。
    昭和20年(1945年)8月15日、組織壊滅状態から出発。

    創価学会は戦後再興された時から会費は一切徴収せず、賽銭箱が置いてない金のかからない宗教が第一のうたい文句であった。
    折伏布教する相手は地方から大都会へでてきた貧困層が中心で、実際、彼らは宗教に献金するようなカネの余裕は無かった。

    その反対に、天理教は巨大な教団建築を立てるため信者から多額のお供え金を集める方針を取った。

    戦後、敗戦国家の再建にむけて日本中から大都会、大工業地帯へ人口の大移動が始まった。
    戦前、国策に迎合し中山ミキの教理をねじ曲げた天理教は国家の弾圧を受けることなく組織と信者はそのまま残った。
    戦後、高度経済成長前の日本はまだまだ貧しく、地方から大都会へ出て来た膨大な数の貧困層は、本来天理教が取り込むべき人々であった。

    この戦後の日本で起こった地方から大都会、大工業地帯への人口の大移動は、膨大な数の人々を信者として獲得できる大きなチャンスであったが、おやさとやかた普請とカネ集めに精力を集中していた天理教はこのチャンスを生かす事が出来なかった。

    また信者は移住した先の近くの教会に所属するのが自然で有るが戦前からの教会系統が邪魔をし、時代の変化に適応できず、組織制度の改革は全く行われず大きなチャンスを逃した。

    天理教は貴族生活の中で育った二代真柱の誇大妄想的発想で、あたかも、おやさとやかたや建物が出来上がることが本部の正しさ教理の正しさを証明するかの如く、誤った方針を取り、おやさとやかた建設に人モノカネの大部分を傾注し、巨大建築普請は実現したが、布教と人材の養成を行うための時代の変化に適応した組織制度の改革は殆ど行わず、旧態依然、時代遅れの組織制度をそのまま残した。

    その結果、建物が次々に出来上がるにつれ信者は減り出し、戦後ゼロから出発した創価学会に15年の短期間でいとも簡単に追い抜かれてしまい、70年にわたる衰退のウズの中に落ち込んでしまった。

    二代真柱の戦後の20年間は教理や教えの優劣は別にして、創価学会のやり方が成功し、天理教は失敗したのである。

    組織制度は、教理のように絶対変えてはならないものではなく、時代の変化に対応できなくなれば変革すべきものである。

    戦前の天皇現人神の時代から、戦後天皇の人間宣言、民主主義の時代へと天地が逆転するほどの変化が起こったにもかかわらず天理教の組織制度だけが戦前のままで変化しないとは、一体どういう事か。

    戦前の昭和15年、大教会(82個所)、分教会(232個所)のほかに支教会(1、120個所)、宣教所(10、617個所)があった。
    大東亜戦争の直前、昭和15年4月宗教団体法が施行され、国の宗教統制策により支教会と宣教所、計11、737個所全てを「分教会」の名称に改めないと「宗教団体」とは認められない国内の法律制度となった。
    そのため、天理教はそれまで「分教会」としての資格のなかった支教会と宣教所、計11、737個所を一挙に「分教会」へ名称変更したのである。
    その結果、それまで全教で232個所しかなかった「分教会」が昭和16年一挙に「1万1千969個所」へと増えたのである。

    戦後、復元の際、このかさ上げされた分教会11、737個所は、もとの支教会と宣教所に戻すべきであったが、二代真柱は誤った組織制度を復元することなく出直し、今日まで誤りは続き、「分教会」の資格のなかった末端分教会は今まさに大崩壊の過程にある。
    潰れて空き家になる前に「教会名称」を本部に返上するのが正しい道である。

    巨大普請とカネ集めの失敗と、組織制度改革を行わなかった失敗を、歴代真柱を始めとする天理教本部は一切認めず認識もせず方向の転換も心の切り替えも全く行わずに今日まで来ている。

    失敗を重ねて来たにもかかわらず教団としての組織制度改革や方
    向の転換は今後も行われる可能性は全くない。

    一つを変える事は、全てを変える道へとつながる。
    大きな変化が起これば上層部ほど失ものが大きいので、変革が必要であることは認識していながら、自己保身を考えると恐ろしくて何一つ変える事が出来ないのであろう。
    変革を行う意思が無い以上変化は起こりえず、変化が無ければ時代遅れのまま衰退は止まらず、とことん行きつくところまで行く。

    具体的には真柱、本部員、大教会長とその家族が明日食べるコメが無くなるところまでいかざるを得ない。

    戦後、昭和52年頃まで会費や献金を取らなかった創価学会の収入源は出版物(聖教新聞、書籍)であった。
    「財務」と称するカネ集め力を入れ始めるのは信者が1、000万人を超え教団が巨大化した昭和52年以降のことである。
    <創価学会教勢>:
    昭和20年8月終戦時、信者離散、組織壊滅、戸田城聖ゼロから開始。
    昭和24年(1949年)300世帯(500人)。
    昭和26年(1951年)5、700世帯(9、500人)。
    昭和27年(1952年)2万2千世帯(3万7千人)。
    昭和29年(1954年)16万4千世帯(27万人)。
    昭和30年(1955年)30万世帯(50万人)。
    昭和32年(1957年)75万世帯(125万人)。
    昭和33年(1958年)130万世帯(216万人)。
    昭和35年(1960年)172万世帯(286万人)。
    昭和37年(1962年)300万世帯(500万人)。
    昭和41年(1966年)公称600万世帯(1、000万人)。
    昭和44年(1969年)公称700万世帯(1、160万人)。
    <創価学会巨大化、組織とカネ、衰退開始>:
    創価学会は昭和52年(1977年)以降「財務」(献金)に力を入れ始め、巨大な建築物を建てることに熱中し始めると信者数が減り出し、カネ以外にも社会的事件を度々起こし、天理教と同じ衰退の道をたどり始める。
    平成元年(1989年)実動300万世帯(500万人)。
    平成20年(2008年)実動150万世帯(250万人)。

    天理教、巨大建築普請、信者が減る衰退データー:
    <おさづけの理拝戴人数(年間)>:
    昭和25年(1950年)天理ブール竣工。
    昭和30年(1955年)おやさとやかた別席場竣工。
    昭和41年(1966年)教祖80年祭、おさずけの理拝戴人数(年間)37、681人。
    昭和41年(1966年)4月、いこいの家病院竣工。
    昭和51年(1976年)教祖90年祭の年、約34、000人。
    昭和59年(1984年)10月東西礼拝場普請竣工、ぢばを囲む「四方正面」完成(30年前、三代真柱52歳)。
    この年、昭和59年(1984年)26、237人。
    昭和61年(1986年)教祖100年祭の年、約23、000人。
    平成8年(1996年)110年祭の年、約14、000人。
    平成10年(1998年)四代真柱就任の年、約10、600人。
    平成18年(2006年)120年祭の年、9、991人。
    昨年平成25年(2013年)年祭活動1年目、5、541人。
    48年間で年間おさずけの理拝戴人数は32、140人減少(85.3%減少)。
    巨大なやかたの建設を行い、カネ集めに熱心になればなるほど信者が減る。

    <教会系統は利権>:
    50年前の東京オリンピック開催の頃、高度経済成長は地方から大都会、大工業地帯への更なる人口の大移動を促し、天理教の信者が所属教会の近くからいなくなってしまった。
    教会系統のため一般信者にとっては、信仰初代が入信時に所属した教会に50年後、100年後の子孫も所属しなければならず、新幹線や飛行機に乗らないと所属教会の月次祭にも参拝できないという全くおかしな制度である。
    教会長も遠くに離れた信者の丹精が出来ず、いつしか途切れてしまい、教会と信者が共倒れになる誤った制度である。
    おまけに戦後40年間、布教活動に大きな支障がでる普請とカネ集めに全力を挙げ、また天理教を職業にする人たち(真柱、本部員、大教会、分教会)が生活するためのカネをお供えとして信者から集めた。

    戦後の混乱期から高度経済成長への期間、日本全国で信仰を求める人の数は最高潮に達していたが、やかた建築のため莫大なカネを必要とした天理教はそれら信仰を求める人々、特に地方から大都会に移住した膨大な数の人々を新たな信者として獲得できず、他の新興宗教教団がそれらの人々を信者として次々に獲得し急激に発展していった。

    教会系統は教会の近くに住む信者には通用しても、遠方の大都会に移住した信者には通用せず、天理教は多くの既存の信者まで失った。
    教会系統に関係なく、住んでいる地域の近くの教会に所属変更可能な制度に改めるべきである。
    それが出来ないのは、お供え金を出す信者を教団や教会の所有物と考えるからで、利権である。

    <世襲制度は諸悪の根源>:
    天理教を職業とする組織の中で、真柱の息子が真柱、本部員の息子が本部員、大教会長の息子が大教会長、上級教会の息子が上級教会長、末端教会の息子はどこまで行っても末端教会長、生まれたその日に50年後の本人の立場が決まっている教団組織では、末端に行けばいくほどやる気を持てないのは当然である。

    やる気とやる能力を持った人物の登用への道を閉ざし、やる気とやる能力が無くても親の後釜にすわる世襲制度は、諸悪の根源である。

    末端教会の後継者が教会及び教団組織を飛び出し、世間で一般の職業を持ち、世間の人々の中で働きながら中山ミキの教えを実践する道を選ぶのは全く正しい選択である。
    教団の上層部にあって、気位だけが高く、口先だけで、やる気もやる勇気も無く、不平不満を持ち本音と建て前を使い分けながら、自分の生活が第一で教団組織にとどまる人間は一般信者の敵である。

    衰退を示す追加データー。
    <天理教信者数>:
    10年前、120年祭「地方講習会」参加者: 34万3千人。
    本年、130年祭「ようぼくの集い」参加者: 27万1千人。
    10年間で、7万2千人減少(20.9%減少)。
    天理教信者数(実動)は、ようぼくの集い参加者人数である27万人程度。

    <天理時報手配り>:
    2007年(平成19年)2月25日決起大会時、発行部数15万5千部(手配率6.9%)。
    7前半後、本年2014年(平成26年)9月25日、全国社友大会時、13万部(手配率48.3%)。
    7年半で手配り率は48.3%になったが、部数は2万5千部減少(16.1%減少)。
    7前半前、2007年2月25日決起大会時、〇降〇彦表統領(当時)は「手配率を50%まで高めていけばお道全体はかなり活性化していく」と信者にハッパをかけていた。
    今、手配率は50%に迫ったが部数は2万5千部減少し、7年の間におさずけの理拝戴者数(年間)は、7055人(2007年)から5541人(2013年)へと1514人減少(21.4%減少)。

    〇降〇彦表統領は発言の責任を取らず天理大学学長へ横滑り、そんな事で良いのか!
    組織制度が変わらない中、ようぼくネットワークなど欺瞞であり、時報の手配りなど無意味である。

    <最新のデーター>:
    年祭活動2年目の本年、平成26年1月―10月(10か月間)おさずけの理拝戴人数は前年同期間(1月―10月)比、349名減少(7.5%減少)。
    130年祭に向け信者の数は減少を続ける。

    結論:
    天理教を職業とする人たち、特に上層部は教えより自分の生活が第一、メシを食っていける間は今のやり方を変える気は全くない。
    現在のおかしな教団組織制度の中に、身上事情で苦しむ未信者を導き入れるべきではない。
    <一般信者の道>:
    天理教を職業としない一般信者は、衰退から崩壊へ静かに向かっている教団本部や教会の組織信仰に、ドップリ浸かったり依存してはいけない。
    信仰を続けるか否かは、自分自身が中山ミキの教えを実感できるか否かにかかっている。
    中山ミキの教えを実感できなければ続けることは出来ないし、無理に続ける必要はない。
    本部や教会、他人に頼らず中山ミキの教えを自力で学び、日々の生活の中で周囲の人々に感謝しながら信仰活動を実践しよう。
    失敗しても良いではないか、身上事情が起こればその都度心のそうじを行い心を切り替え前進するのだ。
    ひのきしんの精神で日々働き、世の中に通用する知識や技術を身に着け職業を修行として世の中に貢献出来るよう努力を続けよう。
    以上

  8. アチコチランド⤴

    おもしろいですね!
    でも、天理教の写真を載せるのは、あまりよろしくないと思います。
    あなたの行為を神様はきちんと見てらしてますよ。

  9. 一読者B

    アチコチランド様

    >天理教の写真を載せるのは、あまりよろしくないと思います。
    確かに、そういったご意見もあるかもしれませんね。

    >あなたの行為を神様はきちんと見てらしてますよ。
    しかし、神様を引き合いに出して脅すようなことを言うのは好感が持てません。

  10. 基本

    自立人生2014年11月24日 2:13 PMテーマ: 「立派なやかたで信者は激減 (内容一部補足字句修正、再投稿)」さんへ
    【王仏冥合】おうぶつ‐みょうごう これが創価学会の指導原理です。
     法華経の本門の教えが国家・社会の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという日蓮の教え。
    対して天理教祖中山みきは、国会ではおさまらないと、宣言しています。

    「一年経てば一つの事情、又一年経てば一つの事情、年に取りて六十一年、お蔭/\と待ち兼ねたる処、
    又一つには改正々々という、明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの道は更にあろまい。
    一夜の間の事情を見よ。国会二十三年と言うた一つの事情、
    又お蔭/\の事情、よう思やんせよ。さあ/\明ければ五年という。
    万事一つの事情を定め掛け。定めるには人間の心は更々要らん。
    弱い心は更に持たず、気兼遠慮は必ず要らん。さあ思やんしてくれ。
    これから先は神一条の道。国会では治まらん。神一条の道で治める。
    怖い道があって、やれ楽しみという。……」(明治24.2.7)1891年
    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
    万事に通じる理として、

    さあ/\/\刻限を以て話し掛ける。
    さあ/\どういう事話し掛けるなら、さあさあ一日の日も、よう/\の日、さあ/\明けるなら一つという。
    さあ話し掛けたら、どういう事も万事話通り、いかなるも皆今一時筆に書き取る処、一日の日が移る。
    五箇年々々々と五箇年の日に移る。
    四方々々所々もいずれ/\五年々々、どういう事、万事何かの事話し掛けるによって、事情は一つ、
    人間の心の理というは更々持たぬよう。・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    それでは、創価学会の5年5年5年を確かめましょう。ソースは「創価学会破折」などです。

    1930年  昭和5年11月に 「創価教育学会」として創価学会創立。
    1935年  昭和10年 牧口会長、折伏した元マルクス主義者を特高警察へ連れて行き
          「今後、法華経の信仰に励み、国家有為の青年となるから御安心ください」と紹介。
    1945年  昭和20年7月5日 刑期を終え出所。
      ●牧口会長 日淳上人に対し不敬罪で投獄されたこと詫び忠誠を以後を誓う。
      ●池田大作 就職した出版会社倒産(s24・⒑)で、小口金融「東京建設信用組合」の社員
             に移動戸田城聖の下で貸金業社員となる。大蔵省から営業停止。
      ●50年8月戸田は事業家として致命的に敗れた。組合法違反で告訴される。
    1950年  昭和35年戸田は創価学会理事長の椅子を去る。

    1960年  昭和35年5月3日 – 池田大作が戸田の遺言と数の力を以て会長に就任。
    1970年  昭和45年 国会で政教一致問題が追及される
    1975年  昭和50年  池田大作、創価学会本部において本尊の開眼入仏法要を行う。
                  1月 池田大作創価学会の世界的組織、SGIの会長に就任。
    1980年  昭和55年 池田大作 所感「恩師の23回忌に思う」で、5反省懺悔 (聖教新聞)
    1990年  昭和60年 池田大作 本部幹部会で池田が宗門及び日顕を批判する。。

    2010年
     5月の本部幹部会以降、体調不良から創価学会内の公式行事を全て欠席、現在へ至る。 
     そのため重病説や死亡説が一部マスメディアで取り上げられル。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     教育出版業者と金融業者が、初代、二代の会長で日蓮正宗のお寺を利用して。王仏冥合を画策した。
     1930年に「創価教育学会」として創立した。
     天理教と立正佼成会をターゲットにして、邪教を信じると病気になる。日蓮正宗こそ正教だと折伏の理論で信者は増大し、
    政治活動は当初からで、もちろん金集めが目的で、富士のお山の本山に団参させて、道中の立ち寄り先も食事も、
    買うものはすべて、指定の業者、製造までしていて、しっかり設けた。
     池田大作さんは、この組織を頂きますに出て、1960年3代会長になって、国会を利用に出て、
    中山みきの教えと逆方向で、五つ理を吹くの五〇年後には、2010年5月、公式行事から消えた。

     邪教を信じるとなる病名があって、はたしてどんな病名だろう、奇病だろうか、仮病だろうか、人前には出ない。
     五つ理を吹くの理は、1960年の3代会長就任から50年で2010年公式行事から消えた。

     国会23年というた事情とは、国会開設の詔1881年から23年の1904年の事情で、
    12月5日 二百三高地を占領(旅順港内のロシア艦隊に砲撃開始)。
    つまり国会開設の1882年から23年の1905年の事情の事で、日本軍東郷平八郎、伊勢神宮に戦捷奉告 10月20日連合艦隊、横須賀に凱旋 1月17日明治天皇、伊勢大神宮に戦捷奉告
     国会と天皇は国民を戦争に導く道具だったという事で、戦争の勝利が伊勢神宮に報告されています。

     池田大作は、「恩師の23回忌に思う」で、こう述べています。1980年です
    「創価学会には、教祖も、唯一至上の絶対者などもいない。私も会員諸氏も、共に広宣流布をめざして進む同志である。(中略)」
    「すなわち日蓮正宗創価学会員にとって、唯一至上、絶対の尊厳は三大秘法の御本尊であり、」
    「他はすべて創価学会会長といえども、平等に末法の衆生であり、凡夫である」と述べたとおりであり、同じことは、今までも数多くの会合で話してまいりました。」

     1980年、この時池田大作は「日蓮正宗 大石寺の 三大秘宝を指して、唯一至上といっておいて、その23年後、2003年 中華人民共和国首相温家宝と会談 3月22日 元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフと会談。 4月末〜6月にかけて、池田が重病で入院したという情報がマスメディアを駆け巡る。 脳梗塞や心臓病だとの憶測が飛んだが、創価学会広報室は「風邪と疲労で体調を崩した」とのコメントを出す。
     以後、複数回にわたり重病説や死亡説がマスメディアを駆け巡る事がおおくなったのです。

     1980年、大石寺の三大秘法の御本尊と称えた池田大作は、信徒の身であるのに1990年には大石寺の日顕上人を誹謗します。

     これを天理教では「うそ」と言います。称えたことはみんな嘘で、
     そして、1980年の嘘からから23年後、表に出で来れなくなる神の返しの警告↑を見ています。

     1992年池田大作は信徒除名処分されました。
     23年後、 勤行要典の一部改正が発表され、名称は「創価学会 勤行要典」。

     3大秘宝の大石寺を失っては、霊能のないただの仏教。ただの学会。

     中山みきの数理に厳然としてるを、侮らぬことです。
     宗教でありながら政治に関与する「祭政一致」の、その根は、2の理で惜しみ。
     3の理で金銭。誠のない嘘の創価学会池田大作教、あの大金を一気に稼いだビジネスのうまみは、もう二どどないのです。
     お指図の予言は、中山みきが、本席飯降伊蔵の口から語ったものです。
     国会を利用して宗教ビジネスで儲けようという野望は、崩れます。

  11. 東風Z

    2016年12月24日 11:44 AMの匿名ですけれど 様

    どうぞご自由になさいませ。信仰の自由はそれぞれの心の内に存在しています。
    ただ、「私は今の真柱様が良いです。」といわれるには、その理由を書かれる方がより説得力を持ちますよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

【投稿コメントについて】
以下のようなコメントは削除します。通常の迷惑メールに加え、敬語を使わない、10語以内、他者の意見に耳を貸さない、名前を変え何度も同じようなコメントをおこなう、非論理的文章など読者に配慮しないものも含みます。なお1度削除しますと、以降自動的に同じIPアドレスからはコメントできません。悪質な場合は自動的にアクセスブロックとなります。