神は死んだについて

安部首相が辞任したことでメディアは大騒ぎである。
おかげで、朝青龍の問題は聞かれなくなった。いいことである。

朝青龍問題に関して、私は現代社会の縮図であると思う。
批判されるべき人を徹底的に叩く。「もういいだろ」と言わない人はいなくて
次の問題(安部首相辞任)が出てくれるまでモンゴルまで追いかけるという非常に暴力的な現代である。
私は現代メディアには批判的立場である。特にTV。TVは周知のように視聴率至上主義である。スポンサー収入で番組が成り立っている以上、視聴率が取れなくては意味がない。しかし、視聴率至上主義は危険である。危険思想だろうが、刹那的パフォーマンスだろうが、取りあえずマジョリティに受け入れられればOKなのだから。つまり大衆迎合的なことをやればいい。それは、とりあえずタレント議員が乱立している政治や人気があった安部さんを首相にしたように、視聴者にも責任はある。『バカの壁』の養老先生はNHK批判を常々されているが、それはNHKが『中立・公平な放送』というものを掲げているからである。中立・公平な放送というものは全くないのである。例えばイラク戦争でイラクの人達がフセインの像が倒れた後に、その像に群がって足蹴りにしたり叩いたりしていた映像が日本を駆け巡った。しかし、実際その人達は30人程度でその後方では何百人の民衆がその光景を引きながら見ていたそうである。政治的意図なのか、報道の限界か、両方あると思うが、結局花火の上がったところしか私たちは見てないのである。花火の下で若者同士がケンカしてても私たちは知るよしがない。しかし、TVの映像を見て「映っていないところではなにが起こっているのだろう」と一歩下がって見ることは重要である。

そう思うと朝青龍の件は残酷である。批判が民衆の正当性を帯びているから余計である。
確かに朝青龍は悪いことをした。横綱という立場から処分をされるのは当然だと思う。しかし、現状を見ると処分以上である。処分が処分になっていない。メディアの批判は一時置いても、横綱審議委員会や理事長が処分後にネチネチ言うのはよくない。大人げない。
「処分が下ったんだから、もう言う必要はない」となぜ言わないのだろう。もっと言えば「26歳の若者が仮病したくらい若気の至りさ」と寛大な大人はいないのか。てか、横審はいったいどんなエライお方ばかりなのだ?不祥事でNHK会長を辞任した海老沢横審会長、答えて下さい。朝青龍ばかり目の敵にする内館牧子横審委員答えてください。

メディアに戻ると、「朝青龍の解離性障害こそ仮病でないか」「モンゴルではどんな生活をしているのか」などど、ほんとヒマですな。ね、ピンポンの福沢アナウンサー。
重要なのは朝青龍の病気の有無ではない。例え仮病であったとしても、病気を装うほどの状況に追い込まれているというのは事実である。それを、わざわざモンゴルまで撮影隊を派遣してなどと。こういったメディアこそ朝青龍の病気の加害者でしょう。また、それを視聴者が興味を持つ意識も二次被害は確実です。誰もそこには気づいていない。
そして、きっとメディアは加害者になりつつも「自殺者が3万人になりました」「うつ病はどうしてなるのでしょう」と矛盾したことを言うのでしょう。まさに朝青龍に対して向けている意識こそ人を追いつめうつ病を作っていると言っても過言ではないのである。

なぜ、私が朝青龍の話題を出したかと言うと私の知人が同じような体験をしたからである。私の知人は最近仕事を辞めた教会子弟である。仕事を辞めたのは仕事内容が合わなかったからである。その後は、求職活動をしつつも青年として教会の御用に活発に勤めていた。しかし、その家庭(教会)は経済的に恵まれていなくて会長夫妻も仕事をしつつ御用をしているという。そして、親である会長は仕事を辞めた子どもに向かって「あなたは心に欠陥がある。心療内科に行ったらいい。」と言ったそうである。精神医学をかじっている私に言わせれば知人は心療内科に行く理由が見当たらない。

驚天動地である。陽気ぐらしもたすけあいも人を圧迫するものでしかない。相手を直接批判するよりも、それを逃れるために「会長である私は正しい、そんな私が理解できないお前は狂っている」と間接的に言うのは非常に暴力的である。まして、それを発言した会長は医療従事者というのだから何を信じればいいか分からない。
この瞬間、私は天理教はもう過去の遺物になったと思った。
「それじゃ、何にもならない」のである。「お前は精神病だ」という言葉は精神病で苦しんでいる人、なんとか現実に適応しようとしている人を小馬鹿にしている。また、理解できないものとして「精神病だ」と言ってコントロールしようとしているのは自明である。

こんな現代にきて、なぜ「天理教の存在する前提」をラディカルに議論しようとしないのは何故なのか理解できない。天理教はどこを目指しているのだろうか。陽気ぐらしもたすけあいも崩壊しているとしか思えない。このブログのタイトルも天理教の崩壊にしようかな。
天理教を応援したいからと思う私の意見が変わりそうだ。

神は死んだについて」への1件のフィードバック

  1. 一読者

    なぜ、天理教が崩壊していないのか?という議論も興味深いかもしれない。

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