和田あき子について

天理教と関係ないけど、一般社会の屈折した意識を見たので報告。

長野県警は不審者が現れると、その情報を子どもがいる親にメールで配信しているサービスを行っている。
今回(本日?)そのメールの中の不審者情報で不審者の特徴を「和田あき子似」と表現し、一部の父兄から「表現が適切ではない」というクレームがつき県警は訂正・謝罪したという。

みなさんはこの件についてどう思ったであろうか。

私はなぜ父兄がクレームをつけたのか疑問が残った。

それは父兄にとって「和田あき子似」と表現されることで何の被害が生じるのであろう。
むしろメリットだけではないのかと思う。

「不審者の特徴は身長170cmくらい、おかっぱ頭」と長々と表現するよりも「和田あき子似」と表現する方が不審者の特定には簡潔かつ明瞭だと思う。
「えーあの人は不審者っぽいけど身長は170cmより低い?高い?おかっぱ?」と微妙に違いが生じる尺度に照らし合わせるより「和田あき子似」はどう考えても万人に共有しやすい情報である。

たぶん、県警にクレームをつけた人は正義のために社会を代弁したのかもしれないが
クレームを言っていいのは和田あき子か事務所でしかないはずである。
県警と事務所側の二者関係のみ県警は謝罪か訂正が必要なのだろう。

この件に関して和田あき子側の事務所は事態を静観しているらしい。
賢明である。
和田あき子は芸能人である。一般人の話題にされることは例え不審者情報であっても売名という視点からはメリットもデメリットも査定はできない。(単に和田あき子に似ているという程度で和田あき子の評判が下がるなんて誰も思わないだろう。そんなことで評判が下がるなら、タレントは誰も悪役をしないだろう)
こんなことであっても芸能人は名前を自由に使われる使命がある。
使われたくなかったらTVに出るな。

また、和田あき子という人格からも「こんなことくらいで騒ぐほど私は小さくねーよ」というのがオチだと思う。(実際和田あき子は若手時代に今回とは比較にならないほど容貌が大きいことで壮絶な苦難の道を歩んだらしい)

たぶんクレーマーはクレームをつけることは正当だと思っている分質が悪い。
県警も謝罪したと言うが誰に謝罪したのだろう。
このクレーマーは「3丁目の○○さんてやーねー」という誰でもする噂なんてしとことないカシコイ人なのだろう。
ただ、結局あなたは関係ないだけの話だがね。

住みにくい社会になったものだ。ったく。