頑張っている人間に対して「あなたは(成功するだけの)徳がない」と断言する人がいる。
こういった発言をするカイチョウさんがいると聞かされたことがある。
「こういった発言はどのようなものか?」と私にお伺いされたので、「そのカイチョウさんは神様だよ」と皮肉交じりに解答してあげたのだが、神様となりえた理由を説明したい。
そもそも徳とは何なのだろうか。
教義解釈としては「徳を積む」という言葉を聞くように、量的な規範として存在するものだと考えられる(たぶん)。そういった視点では日本では日常言語として常用され、日本文化に馴染んでいる儒教の五徳としての意味が近いように思う。
しかし、昨今の上記事例のような使用が目立つことから徳という意味の実質的運用は個人の資質として使用されている。個人の能力や才能として使用されることが目立つ。
前者の使用では啓発として他者に教授することは教えである。
しかし、後者の使用では他者を価値付けてしまう恐れがある。
つまり、後者では啓発からレッテル貼りになる可能性を孕んでいる。
その中で宗教というドグマチックな性質を持つ集団では中味を強者の思い通りに
容易にすり替えてしまうことができる。
事例を詳しく説明すると、「徳がない」と言われた人間は教会の子弟である。
その子弟は後継者ではないが自分の夢である資格をとるために勉強をしているのだ。
(もちろん、反天理教ではない。むしろかなり熱心。目指す資格も立派なものである)
しかし、子弟の道一条を願う親(カイチョウ)に言われたのである。
道一条というのは仕事しなくてプラプラ教会でネットばかりしているカイチョウでも
道一条と言えるのだが、そこに宗教的高位な価値を置く理由が私には見えない。
「徳がない」と否定する意見だけがレッテル貼りになるのではない。
逆に「徳がある」と言う人間も同様である。
(これは私も実際にどこぞのセンセイが発言したのを聞いたことがある)
徳が「ある」や「ない」と言える人には、徳が見えることになってしまう。
徳が見えるなら是非説明して頂きたいものだ。どんなものだろう?
ちなみに、徳の存在を説明できる人は徳を資質や能力と思っているのだろう。
なぜなら、徳分は規範でしかないので査定しようがない。
だから、徳分を査定できる人はきっと人間には認識できないスーパーパワーを
持っているのだろう。
『思いやり』
天理教人は、徳が大好きだ。
因縁、徳、…もう聞き飽きた。
徳というものは、見えないものです。
徳を積むとか、徳がないとか。
徳を積むために、天理教を信仰している。
でも、天理教がために、徳が不平不満になっている。
徳というものは、説明できない、見えないものだ。
真柱、本部、上層部、大教会、上級…。
先生、会長と呼ばれる方々でさえ、徳が高いとは思わない。
天理教人は、自分の言葉でしゃべれない。
天理教を信仰しているからと、天理教言葉を並べ立てる。
僕は、極貧の末端教会、ギャンブル狂いの親父、家事もせず平気で掌を平気で返すお袋教会長、借金ばかりをつくる兄弟。
そんな、崩壊していた家族の、尻拭いで、人生を送ってきた。
それが、僕の因縁でしょうか?
徳が積めるのでしょうか?
上級に相談しても、親身に取り合ってもらえず。
天理教組織は冷たいものです。
僕は、十代の頃に事故で身体障害者になりました。
でも、障害に負けずとも、社会で頑張ってきました。
今は、長年の無理がたたり、鬱病をわずらっています。
天理教人は、表面上は穏やかでも、案外に冷たい組織です。
宗教言葉を並べ立てるだけで、親身に行動はしない。
上層部は、末端が疲弊しても、話もきかない。
上納金を集めることで、一心不乱だ。
徳をつむこととは、思いやりをもち行動すること。
思いやりをもつこと。
困ってる人のために、行動すること。
今の、天理教組織が出来ていないことだ。
真柱、時期真柱、周りをとりまく血縁関係、大教会。
とてもに、評判が悪いですね。
徳がない上層部。
金に一心不乱な上層部。
早く、親神様の神の鉄槌をふるって欲しいです。
天理教の中でも、もがき、苦しむ人が沢山います。
自殺まで、選択してしまう人がいます。
天理教は、人助けを語る組織ではない。
徳や思いやりがあるならば。
天理教組織を離れた方が良いかもしれませんね。
いつまでも、現行天理教は続かないですよ。
それは、神ではなく、自然の摂理。
自分の人生です。
思いやりをもち、自分自身の人生を楽しんで欲しいです。
天理教などには、振り回されてはいけません。
バリ天と呼ばれる人たちが、いるらしいですね。
バリ天の方々には、思いやりは無い気がします。
話をしても、会話にならないのです。
もしかしたら。
天理教の伝える徳と思いやりは、真逆なのかもしれません。
徳を積もうと思うよりも、思いやり、正義感をもって。
難しい、険しいことかもしれませんけど。
そう毎日を、過ごしたいものです。