みんな怒っている

亀田一家の騒動について、私は大変憤りを感じています。亀田の謝罪?記者会見を見てみても「あれは、誠意が感じられない」とコメンテーターに一蹴されているのであります。
「あれ?君は亀田に怒っているんじゃないの?」って?
はい、私は亀田に怒っていません。亀田の件で怒っている人に怒っているのです。

 亀田の件で怒っている人は、何に、なぜ怒っているのか私は分かりません。
亀田の反則行為は悪いです。しかし、ちゃんと処分は下っています。世間的には「あの処分は軽い」という意見がドミナントらしいのですが、その意見がどこから発生し、どこに向かっているのか私は分かりません。
亀田を批判するみなさんは、亀田をどうしたいのでしょうか?
誰か説明していただけませんか?

 ちなみに、私は亀田ファンでもボクシングファンでもありません。そんな私が怒っているのは、無責任に簡単に他者を懲らしめるメディアと、それにスケープゴートの如く論調を同じく意見する人々です。

 もう一方で、冷静にメディアを概観しますと「そんなに怒ることじゃないんじゃないの」と言っている人も多くいます。たかが20歳前後の若者の調子に乗った言動。そういえば、亀田に関わらず主演映画のプロモーションで悪態をついた女優も、「腰が痛い」と言いつつも地元でサッカーをして批判を浴びた力士もまだ社会経験を積まない若者でありましょう。

 勘違いしていただきたくないのは、私は亀田や上記の若者たちを擁護しているわけではありません。私が亀田の件で怒っている人を怒っているのは「亀田はけしからん」という意見も含め、「亀田くらいで、そんなに怒るんじゃないよ」と怒っている人も含めているわけであります。

 批判する人も批判に批判する人も国民の99%以上の人が、悪態をつく若者と何の利害関係もないはずでしょう。それでも亀田の件で「私が不愉快を感じるのは、亀田の態度は十分に私の気分を害している」と言われる方はチャンネルの選択の自由ということが抜けています。見るものを自由に選べないなんて北朝鮮でもありえません(北朝鮮は番組選択の自由はないですが、TVのon/offの自由はあります)。冷静に考えれば、本件で一喜一憂するのは視聴率至上主義のメディアに感情を揺さぶられているだけです。

 街中にふと目をやると悪態をつく若者なんて探さなくても見当たります。私たち大人は彼らに対して見て見ぬ振りを決めこんで無関係を装っているのは、大人としての振る舞いではなく、自の欲求不満を意識化してしまうのを恐れているのではないでしょうか。 無意識のどこかで若者を「自由きままに生きている」生物として、大人と対照化し、彼らに羨望の念を抱いてしまっているという奴隷道徳を認識する恐さが根底にあると私は思います。

 亀田の件は現代社会における大人としての未熟な部分を露呈しています。品格という問題が言われて久しいですが、こういった「本来、俎上にも挙げられない「どうでもいい問題」を社会的時事として扱うことが既に、我々大人達の幼児化と言わざるをえないのではないでしょうか。亀田を批判する人も批判する人を批判する人も、丁寧にブログで取りあげる人間も早く成人しなくてはならないと思う次第であります。