前回、天理教トップの後継者問題について「なぜ誰も言わない」と記載しましたが、
それについて「信者個人単位では皆言っているよ」とか「言えない理由があるんだよ」
というご指摘を頂きましたので、それを紹介します。
信者単位では皆言っているという点につきましては、やはり皆さん「気になる」事項
であると判断してもよろしいかと思っております。
それに関して弁明しなくてはならないことは、私が申していることは主観的感想にすぎないということであります。本件に関しましても、「誰も言わない」と私が申したのは狭い中での私の周辺問題でありまして、私が懇意にさせて頂いております組織(系統)以外の事は正直何も知り得ないというのが事実であります。だから、私の主観は狭く、それが全てだとはもちろん思っておりません。しかしながら、毎度申し上げているように狭くとも主観で感じたことを大切にしていきたいと思っております。
そして、読者の方から頂いた意見には誤解を除き、反論などはせず、読者の方が判断して頂きたいと思います。宗教とうテーマ上、反論をしても結論が出ないのは明白でしょう。
しかし、メール等でご指摘頂いた分には私が紹介しなくては、読者の方に伝わらないので
簡単に要約して記載しようと思います。ご了承ください。
で、話を元に戻しますと
私が「誰も真柱の後継者問題を言わない」ということに関して「言えない理由がある」と
ご指摘頂きましたので簡単に紹介します。
言えない理由というのは「天理教では夫婦の問題(子どもができない)というのは『いんねん』で説明されているから、真柱の後継者の問題は中山家(真柱の家系)の『いんねん』に踏み込むことになるから誰も口にできない」というようなご指摘でありました。
なるほど。私には盲点でした。しかし、よく考えれば単純なことでした。
普段、天理教人が悩みを抱える信者に「お前んちのいんねんが悪い」という説明をされて
いる以上、その理路でいくと真柱に後継者ができないということもいんねんと認めざるを得ないということなのですな。
それでは、口が裂けても誰も言えませんね。
自分で自分の首を絞めているような感じですね。
しかし、私は何度も言っているように『いんねん』の使用方法が間違っているからこういう歪んだ現象が発生するのでしょう。
『いんねん』というのはアンタッチャブルであり、形而上的概念で我々人間が判断できるものではないはずです。しかし、それぞれの天理教人は「私が正しい」と言わんばかりに『いんねん』を断定しにかかります。これは彼らも不幸としか言えません。
「それは違うよ。いんねんと言っちゃ何も解決しないよ。」と誰もアドバイスしないのは何故なのだろう。
卑怯にも私は天理教学には詳しくないです。
しかし、こんな他者を苦しめる宗教は御免です。
なぜ、そこまでして他者の粗探しをするのでしょうか。
たかが、夫婦問題で先祖代々から末代まで続くいんねんと言われてもね。
信仰心や宗教的涵養というのは、他者からわざわざ言われなくても
神を信じることによって解決可能性を見出していくものじゃあないのかね。
話が長くなったけど、他者に『いんねん』という天理教人は人として信頼に値しない。
脱線しましたけど、真柱の後継者問題に踏み込むことの延長には踏み込んだ人間の振る舞いを否定してしまう恐れがあるという悪循環でしかないということですね。
誰もそんなこと考えてはないでしょうけど、それを意識化することの危険性は感じているのでしょう。
追記
「過去の記事が微妙に変わっているじゃねーか」というご指摘もありましたが、
私は過去の記事をたまに読んで、いじってます。
それは、書いた時はバーと書くので、助詞の使い方や言葉遣いなど所々おかしな点があるからです。しかし、内容の筋はいじっていません。
突然「です、ます体になってる」とか、「ため口かよっ!」という点がありますが以後、気づき次第統制したいと思いますのでご容赦ください。
内容の筋は変更してませんよ。たぶん。
教祖に天下った親神を受け入れたははずの中山家が、現在は拒絶している為に、断絶悪いんねんがぶり返したんですね。 ハイ
某大教会長が神殿講話でネタにしたらクビになったというのを聞いたことがあります。
どこの大教会ですか?首になったのは何年の話ですか?それで本部から後任に来られたのですか?
書類上は教人 様
>某大教会長が神殿講話でネタにしたらクビになったというのを聞いたことがあります。
上記は初めて聞くことですが、似たような話を知人から聞いたことがあります。祭典後の直会の席で当該大教会長が、真柱に「子づくりの方法を進ぜよう」と言って即刻家族共々大教会を追い出された、ということです。滋賀県に所在する大教会でのことです。
私も教会に参拝していた頃に、大祭後のお入り込みの大教会長の教話の内容に呆れたことがあります。その話の内容は、わが家系には、熱心に信仰していたお陰で家族が多く居て栄えている、と言いました。孫ひ孫まで更に親戚縁者を入れれば、大教会の直轄教会の半分以上が大教会長と血縁関係にあるのですから恐ろしい組織です。
現真柱にお子さんが居られないのは因縁でも何でもありません。一人ひとりの特性です。人は、一人ひとりが一生を如何に生きたかでいいんではないでしょうか。
ノーベル賞をもらった人も居れば、死刑になった人も居る。これらはすべて因縁でしょうか。そうじゃないと思うのです。たまたま人生の歩みかたが違っただけではないでしょうか。