ITについて

お久しぶりです。

愛用のmacbookが突然シャットダウンするという事態に見舞われたため
修理に出したところ1週間かかるということでした。そして今もまだ修理中なのです。
ちなみに修理には4万5千円かかると言われ、欲しかったレオパードもエイトックもおあずけとなりました。無念。

私は仕事柄ずっとノーパソを持ち歩いています。

なので、そのノーパソが故障すると非常に仕事が滞ります。
データはすべてサーバーに置いてあるためPCがあるところであればどこでも仕事できます。
しかし、PCのあるところは結構少ないのです。(あっても勝手に使えない。)

もちろん、家には他にPCがあるのですが、私一人だけのものではないので
メールやサーバーアクセスや、このブログも常にIDとパスワードでログインしなくてはならないという非常に手間な作業が必要なため、メールの返信意欲もブログアップも滞った次第であります。すみません。

ということで、私の頭は常に「PCがあったらなぁ」と思っているので
今回はITと天理教について考えたいと思います。

ITといったら大風呂敷ですが、簡単にPCやネットについて考えたいと思います。

単純に天理教がITにどれくらい力を入れているのか考えてみましょう。

天理教は公式HPを持ってちょうど10年になるらしいです。
(HPの下にsince1997と書いてありました)
携帯対応やライブカメラなんかもついており、一見充実しております。
(ライブカメラだけど動画ではなく1hごとの静止画。ライブ…??)

天理教の公式HPにケチをつけるつもりはございません。

しかし、通常の組織のHPにあっても当然のものが天理教公式HPにないものがあると思いませんか?
それは、内部情報とコンタクトです。
つまり、組織の(簡単な)体系と「意見があれば連絡してね」という窓口である。

もちろん、教団は会社ではないのでHPの目的を一方的な情報告示としても問題ないです。

しかし、企業や社会組織がそういったことを敢えてコンテンツを用意している理由は単純ですね。
それは、閲覧者の信頼を得るためです。
閲覧者の信頼を得るため、「我々はこういった組織ですよ」とか「何か分からないことがあったらメールくださいね」といったコンテンツを用意するのだ。

そして大切なのは、HPを公開するという意味は「世界中の誰でも見ていいよ」という意味である。
もうすでに信者である人たちに対しては天理時報や他の出版物や伝聞で教団の情報は伝えられている。現在のHPの少ないコンテンツでは信者用として不可能である。
もし、信者向けを主としているならコンテンツを充実させて天理時報に劣らない様々な情報を掲載しなくてはならない。教義の概略なんて、信者には不要であろう。

つまり、天理教のHPはほぼ”天理教信者以外を対象”としていることが分かる。

“天理教信者以外を対象”としているならば、コンテンツの少なさや教義の骨子は納得できる。
そして、同時に、余計に、内部情報とコンタクト窓口のなさが問題になる。

なぜなら、”天理教信者以外の人間”が欲望するものは表面的な教えではなく、その組織が信頼を得るに相応しいかどうかという教団の足下である。

例えば、どれだけ素晴らしいことを掲げている企業でも資本金が少なくて、監査も置かず社長のワンマンとなれば、契約に値しないと思うビジネスマンは多いだろう。
さらに実態の掴みにくい社会活動家や公共団体は、余計に出資報告や体系という足下をしっかりしておかなくては誰も興味を示してくれないだろう。

HPという容易な広報手段は、その使い方を間違えると真逆の効果をもたらすことがある。

天理教HPから教団は、足下を見るような醜い人間を毛嫌いしているようにも感じる。
それだけ、HPと閲覧者との距離を感じる。

教義云々よりも、まずは「これってどういう組織?」とか「お金の動きは?」といったコンテンツをまずクリックするのは私だけなのであろうか。

天理教はあまりに人間臭い人間はお嫌いなのだろうか。
天理教が理想とする人間像とは、一体どういった人間なのだろうか。
素直に「はいはい」と言うことを聞く人間だけなのだろうか。

今後、天理教HPに内部情報コンテンツと教団メールアドレスが現れたら
私は安堵のため息をつくであろう。

ITというテーマのくせに、天理教HPの話だけでしたね。こりゃ失敬。