天理教の疑問 その1

記事の更新が滞ってしまっている。
気づいたらもう師走である。

早いものです。

前回、「おさづけは効かない」という挑戦的な記事を載せたおかげで
閲覧者は多くなった。でも反応が全くない。うぅ・・・
さっき、自分でも読み返したのだが読み返してみて思ったのは
「この記事を書いた人間は天理教支持者か?それとも反対勢力なのか?」
というあまりに矛盾した問いである。
確かに、敵か味方か不明な人物に声をかけないのは生存戦略上賢明である。
以前から明言しているように、私は天理教応援者であります。支持者とは異。
私は長い間アカデミックな分野にいますので、批判なくして成熟無しが、ポリシーなのであります。(初めて言ったけど)
今後社会において天理教の発展を遂げるなら、宗教という明らかにすべきでない部分でも、明らかにできるとこはクリアにした方がいいんじゃないの?というモチベーションであります。よろしくお願いします。

続きまして、今回は
やはり師走は忙しくてじっくり記事を書く時間がないので
きになるトピックをサクサクをアップします。

私が天理教と出会って、未解決の疑問がいくつかあるので、
それを小出しにしてブログの更新に換えたいという卑怯技であります。

もちろん、私が抱く疑問は真剣な問いであり、
且つ、誰も真剣に答えてくれなかったので、答えて頂ける方は私見でも
よろしいので教えて頂きたい。批判はしません。再質問はするかもしれませんが。

では

質問その1

おつとめを挟む場合の前後の拝は何をしたらいいの?

です。

説明しますと、おつとめをしない場合の参拝の方法は天理教では基本的に

4拍手、1拝、4拍手

です。1拝の時は長めに拝をし神様に感謝や祈りを捧げるのは自明です。

しかし、おつとめがある場合に

4拍手、1拝、おつとめ、1拝、4拍手

となりますよね。
この場合の拝は前後で違いがあるのでしょうか?
また、礼ではなく拝なので長いですよね。(長い人では5分以上も・・・)

おつとめ前の拝とおつとめ後の拝では、何かしら教えの違いでもあるのかと。
それとも、単におつとめ前の祈りの続きなのかと。
そうしたら、おつとめ前の拝では中途半端になるのでは?
もしくわ、おつとめ前と同じことをお祈りしているのかと。
色々考えております。

天理教を深く知らない私だけが知らないのかと危惧しております。

どなたか親切な方がおられたら答えて頂きたいです。切実です。

よろしく御願いします。

天理教の疑問 その1」への1件のフィードバック

  1. 基本

    中山みきは、二拍手を教えていました。
    「一つ打てば天に響く、一つ打てば地に響く」です。

    神社での参拝方法は、二拝二拍手を基本としています。四拍手は大社系の礼法です。
    出雲大社の方法は、こう示されています。出雲大社の拝礼作法出雲大社紫野教会から引用です。
     出雲大社の拝礼作法が、他の神社とは違う「四拍手」であることはよく知られていますが、もっと正確にいいますと「一拝・祈念・二拝・四拍手・一拝」なのです。
     「拝」とは立っている場合は上半身を九十度に折って、頭を下げることをいいます。

    中山家にゆかりの大和神社(おやまとじんじゃ)では、二拝二拍手一拝で神宮系の拝礼です。
    天理教会が最初所属した大神神社は二拝二拍手一拝で神宮系の拝礼です。
    中山みきは「二拍手」とは伝えられていますが「拝」については教えがありません。

    四拍手にした理由は不明であり、元々には教えに無いものです。
    > 質問その1
    > おつとめを挟む場合の前後の拝は何をしたらいいの?
    拝の対象が天理教会なら4拍手1拝。教会信者の場合お勤めを挟んだら祭主に一致させる。つまり方便です。
    親神中山みきには拝したければ、そんな堅苦しくしない人は会釈程度、拝したければ2拍手で良いという事です。
    お授けの場合、当然いきなり2拍手です。

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