天理教の出版社が発行している「すきっと」の過去10冊を取り寄せて、流し読みをした。既報のように、この媒体は誰に向けて何を伝えたいのか全く分からない「すきっと」しない媒体である。
それを一気に読むと、所々に気づいたことがある。それは、二代真柱である中山正善氏の逸話が散見されることだ。正善氏は今の四代真柱の祖父にあたる。
「すきっと」という媒体は、角界の著名人へのエッセイやインタビュー記事が中心になっている。それらの角界の著名人の語りの中で、この中山正善氏との関係を想起する場面が多いことに気づく。つまり、著名人や文化人が、過去に中山正善との関わり間接的にでも持っていたということである。彼は1967年に没するまで交友関係は政財産業界から文化芸術まで幅広かった。彼は東大卒で、政財界に留まらず、学術やスポーツまで幅広い人脈を構成しており、それが天理教の理論的、社会的発展に大きく寄与したことはいうまでもない。新興宗教法人が病院や学校や博物館や図書館など、これらの社会的建築物を作れたのは彼の社会的功績だろう。庶民の宗教として発展してきた天理教にとって、インテリなカリスマとして彼が牽引してきた功績は大きい。戦後という時代的なものもあったかもしれないが、まさしく帝王学に近いパワフルなものである。天理教と同時期に発生した宗教団体が、天理教に圧倒的差をつけられたのも彼の功績だと私は考えている。
一方で二代中山正善氏の作り上げたものが完成したときが、天理教のピークでもあったと私は思う。つまり二代真柱以降、明らかな発展は天理教にはない。三代も今の四代も、二代の業績を維持・発展させたものの、二代と同じようなリーダーシップや、パワーを感じる逸話や社会にインパクトを与えるような業績は見当たらない。彼の不在と時期を同じくして天理教も衰退している。
孤高のカリスマとしての存在は、大阪の橋下市長と維新の会との関係とダブって見えるのは私だけだろうか。
では、五代に内定した時期後継者の中山大亮氏はどうであろうか。彼は今後の天理教を「変える」ことができるだろうか。しかし現時点で、彼に関する情報は乏しい。まずは「みちのとも」に掲載されていた彼の情報を取り寄せた。
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平成3年1月23日、中田善亮・道子夫妻の第二子(長男)として出生。21年1月11日おさづけの理拝戴。同年2月天理高校第1部卒業。25年3月関西大学政策創造学部政策学科卒業(みちのとも2013年5月号)
平成3年1月23日、中田善亮・道子夫妻の第二子(長男)として出生。21年1月11日おさづけの理拝戴。同年2月天理高校第1部卒業。25年3月関西大学政策創造学部政策学科卒業。同年4月4日、教祖殿での「養子縁組の儀」で、「養子縁組固めの盃」を戴かれ、中山善司真柱様とはるえ奥様の養子になられた。(みちのとも2013年12月号)
平成3年1月23日、中田善亮・道子夫妻の第二子(長男)として出生。21年1月11日おさづけの理拝戴。同年2月天理高校第1部卒業。25年3月関西大学卒業。同年4月4日、中山善司様とはるえ奥様の養子になられた。同年10月24日、真柱継承者として推戴された。(みちのとも2014年11月号)
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以上が天理教が広報誌「みちのとも」で公表している後継者中山大亮氏の経歴である。
学歴差別をするつもりはないが、二代真柱は東京大学で学んだ。そこで学んだ知識と得た人脈が、その後の天理教の社会的発展に影響していたことは間違いない。大学やゼミの同級生が、各界でリーダーとなることは東大では珍しいことではない。正善氏は知り合いの作家、学者に教義の編纂を依頼した経緯もある。「すきっと」でも少し触れているように、多くの角界の要人との交流があったのだ。
天理教の頭首ともなれば、それなりの要人との関係はあるだろう。しかし「政治的付き合い」なのか、「酒を飲みかわせるパーソナルな間柄」の違いは大きいであろう。
私も学歴コンプレックスというものを感じることがある。学歴や出自で人を区別すべきではないという考え方も理解できるが、それはほとんどの人がそれらによって利益を享受しているため、多くが理論成立していないと考えることもできる。天理教人も、天理教コミュニティの中では天理教人としての優位性を十分に享受しているのである。なぜなら天理教コミュニティの中で、私も部外者として疎外感を感じ、天理教人しか通用しない言葉で従属を求められ恐怖を感じたことがあるからである。
私は天理教に限らずに、大学名、学閥、学派、OB、社名、地域というものが、社会で多くの賛同と利益を得ている場面を何度も目にしてきた。たとえばAという人の方が明らかに優れているのに、Bの方が人間関係の上で優先されることなんて社会では普通にある。コネや縁故と言われるものだ。それは悪い面だけでなくても、コミュニティーの形成やセーフティネットという点では非常に効果的なこともある。県人会や社内学閥なんてどこにでもある。
その点でも五代となる後継者が今後”社会”に影響力を持つものだけが集えるメンバーズオンリーの交友関係を持てるかは疑問である。そして、やはりトップ外交として真柱がどのような社交界での存在意義を築くかは、そのまま天理教の社会での存在意義と大きな関わってくるのは言うまでもない。
「みちのとも」2014年12月号p24の中山大亮氏の青年会長告辞を読むと、まったく当たり障りがない。読む時間が無駄に感じるほど天理時報のテンプレート例文のようなものであった。(天理時報のライターは、同じ例文集から引用しすぎて言葉に中身がない)。彼の個性や強さが垣間見れるものは何もなかった。大学卒業後間もない彼に、過剰な期待をしても可哀想だが。
日本でも有力な政治家がそうであるように、大卒後は会社員や研究者としての社会的経験を積んでから政治家になるのが慣例である。天理教の幹部のように大卒後すぐに天理教という閉鎖的環境に置かれてしまうことを考えると、今後も天理教の社会的ブレークスルーは難しいと思う。彼の人生の幅を考えると、今後彼は天理教を通してしか世界を見れないことを私はかわいそうに思う。天理教バカを育てても経営能力や政策立案、交渉術が無能であっては天理教という時代錯誤の封建組織をまとめあげることは、よほどの戦略と個性がなければ不可能であろう。ましてや自己の正当性のために教義と権力を利用していることに無自覚な大教会長や本部員という元老院たちと交渉するのは厄介であろう。
逆説的に考えてみてはどうだろう。もし彼に会社員経験があるとなれば、私は天理教も変われるのではないかと感じる。もし彼がグーグルやソフトバンクで働いたことがあったり、証券マンや商社マンの経験があったとすれば、私は今後の天理教の変化にワクワクせざるをえないであろう。
今思えば、二代真柱の最大の失敗は、優秀な人材を養成しなかったことにあるだろう。真柱や幹部としての帝王学や覇道を継承する人材とシステムを構築しなかったのは、カリスマ故の盲点だったのかもしれない。
私の知っている天理教の優秀な子弟たちは、天理教の教会を継がずに社会で素晴らしい活躍をしている。中には教会を継がないことで天理教人から「お前は助からない」と最低な言葉を浴びせられたという証言もある。私は「縦の伝導」と言いながら、若者の選択肢を限定させる天理教の構造に(それを見て見ぬふりをする教会長・信者たちに)本当に怒りを覚える。
少なくとも現時点で私が天理教に感じるものはワクワクなんてものは微塵もない。
今後の変化の可能性として五代真柱となる後継者は社会的に非常に優秀な女性と結婚するか、ラリーペイジのような優秀な人材を幹部に登用することであろうか。しかし天理教の崩壊へのタイムリミットがそれを待ってくれるかは別問題である。
一つのポジティブな側面として、みちのともに掲載されていた中山大亮氏の顔を見る限り、私はなかなかの恰幅の良さそうな実直さを感じた。それが良い方向に活かされれば末端の天理教人を救済するような古い価値観を打破して社会の支持を得やすいのかもしれないと思う。しかし悪い方向に向かえば、何も変わらずに相変わらず同じ名字の人間が役職を輪番し、彼を最後に天理教は日本史の教科書から消失することもあるだろう。
天理時報や演説では意気軒昂だが、天理教を信仰している人たちは、綺麗事なしに果たして本当に教祖130年祭や将来の天理教にワクワクしているのだろうか。私には天理教人の130年祭のワクワク感はさっぱり伝わってこない。
都構想にならって、天理教も一度仕切り直しの選挙でもしてはどうだろうか。大教会を中心とする垂直型組織を解体して地域別の教会コミュニティとする選挙でもしたら、どっちが勝つのだろうか。上納金の受け皿となる大教会と教会本部ファミリーの既得権益者たちが勝つか、お金はないが本気で将来を変えよう考えている末端信者たちか。なかなか興味深いが、今の天理教には献金を正当化するだけの知性も体力も勇気はないことは明らかである
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp
善良なる人々から金銭を貪るようにして巨大化したけれど、近い将来撃沈していくことを願う。
100年以上天理教の教団に貢いだけれど、先祖の元を辿れば仏教徒だったので仏教に改宗しました。
今、あちこちの寺で天理教から仏に改宗する人がたくさんみえるそうです。
おっ!天理教が変わるかもしれないと思わせる真柱の3宣言。
1、平成31年までに現教典を廃止する。140年祭までに新教典を公布
2、かなめ会を即刻解散する。
3、別席台本を130年祭を期に改める。
以上 ヨロシク!
昨日、今日と半年ぶりにおぢばがえりをしてきました。
そこで久しぶりにカイン様のブログも拝見しました。
「ワクワクする天理教」ですが、大教会長や役員が考える「ワクワク」と、末端信者が考える「ワクワク」で、まず意味合いが違います。信者数やお供えの額にワクワクするのは役員など(役職が)上の方たちで、末端信者から見れば、毎年のお供えの心定めが減る方がはるかに重要なことです。つまり五代真柱様が「誰にとってのワクワク」を優先するかによって、結果は変わってきます。
このブログにある本部へのお供えに関する統計から考えると、天理教の寿命はあと30年という予測が立ちます。ですが、どれだけ天理教が隠蔽しようと「貧に落ちきれ」の教えは嘘であるという真実(いわゆる矢島論争)は、インターネットが盛んな時代に隠しきれるわけはなく、末端信者の中で受け継がれると思います。また、天理教の衰退が止まらない原因の一つになると思います。
その事実に五代真柱様が向き合い、まず自らが貧に落ちきる勇気(末端信者にお供えを強要しない勇気)があれば、天理教は末端信者が根強く支える宗教として生き残って行くことができると思います。具体的には団塊の世代が減る2020~2030頃に献金(お供え)型の宗教団体でなく、会費制をベースにした宗教団体に変えて最低限の財源を確保しつつ、お願いづとめのような稼ぎ時にがっつり稼ぐといったやり方です。
天理貴族と呼ばれる大教会や本部役員はつまらない時代になりますが、100年祭以降の天理教を衰退させたのは、その方たちなのでそろそろ気がついて欲しいですね。
長々と失礼致しました。
「その事実に五代真柱様が向き合い、まず自らが貧に落ちきる勇気(末端信者にお供えを強要しない勇気)があれば、天理教は末端信者が根強く支える宗教として生き残って行くことができると思います。」と書いてありますが、はたして五代真柱個人に、そんな力と自由があるのでしょうか?何か得体の知れない大きな何者(人なのか空気なのかムードなのか雰囲気なのか?)かに動かされ続けるのではないでしょうか。
「天理貴族と呼ばれる大教会や本部役員はつまらない時代になりますが、100年祭以降の天理教を衰退させたのは、その方たちなのでそろそろ気がついて欲しいですね。」と書いてありますが、まず無理でしょうね。その原因は末端教会長と末端信者の責任になっているのですから。
信仰三代目の者です。職場のパワハラ(暴力・暴言)で鬱を患い、教会に相談しました。しかし教会長、上級の会長から何度も「世間はお前の心を映す鏡なのだ。そんなことではお前は助からない」と突き放されました。
そして教会ふしんなどの時期になると突然「お供えを」と擦り寄ってくるのです。
もう我慢ならんと思い、一度上級の会長と一対一で話をしました。そうやって暴言を吐いたことを覚えてますか?と。しかしその人はしらばっくれるばかりです。「そんなつもりで言ったのでは…」の鸚鵡返し。
私も自宅に神様をお祀りしている身でこんな心遣いでは恥ずかしいと思うのですが、純粋に神様を信仰し、困っている人がいる時、自分に手助けできる力があるなら手助けしたいだけなのです。それだけでは良しとされない組織の現状に限界を感じ、今は教会と距離を置いています。本部の神殿に行く(おぢばがえりをする)ことも怖いです。伏魔殿的な恐ろしさを感じるのでしょうかね…。
結局、大きなお供えをする人=いい信者、それ以外=助からない人、ということなのでしょう。
偶然たどり着きました。有意義なブログを設営下さり、感謝です。
身元が割れることは書けませんが、年齢64歳、信仰開始は学齢前から、一般信者・・・・・。
月のお供え額(定期的なもの)3000円、参拝時のお賽銭200円/1回、その他5千円程度の形を変えたお供え。
130年祭活動は真摯に・・・・・。 子どもたちは未信者。 これ以上の自己紹介は書きにくいのでぼかします。
なぜかというと、所属教会の分教会長、夫人たちも多分読んでます。
その人たちを見るにつけ、教会という狭い社会の中での物言いが「残念」なことは環境からいって仕方ないと
理解してます。 だって、ふつうの人たちが天理教の先生なんですから。少なくとも、自分を犠牲にして修行する
必要条件はないですから。経済的に恵まれている姿は隠しようもない事実です。もちろん、貧乏な教会もあります。
なけなしの財布から出すお金にこだわる自分ですが、今に一発当ててやろうと(稼ぎたい!)、3~4年努力中です。
でも、教会の御用があると、シフトも組めません。 ←これは愚痴ですね。 心底、お金がほしい私です。(笑)
大学にも行きたかったし、やりたいことをやっている教会の子弟がうらやましかった!
でもです! 「人柄」に関しては、 学歴、信仰歴、などには左右されません。
所属教会では、心のやさしい人、言葉を大切にする人、周囲に気を配れる人、低い心の人は、希少動物です。
ふつう、信仰者であれば己の内面を磨く作業に努めるとともに、人間的に最長するはずが、
教会内で声高に話される言葉は悪口とゴシップ! 女性たちのヒステリックな物言い!
私は勘が働くので、罠を仕掛けられても事前に察知でき、今のところ無事。
女性たちは「気にしない!」の一言でお道を通ります。 深く考える人を「気にしすぎる」と、あくまで
自分が正しいと勘違いしています。それに、酒飲みが目につきます。こわつ! 家飲みにしてよ!
男性会長達には何も言う気になれません。 世間の神社の神主のような感じかな・・・。
礼拝作法が神社みたいですし。 明治時代の仮の姿のままでは? 一礼4拍なんて気色悪い!
三殿各御前で始めに一礼後、4拍一礼×2、御霊様の前は×4 って、昔は皆そうやっていたよ。
天理教は一神教です。 と、私は言い切りたい!!!
人間を創造した「親神」が教祖様の体を通して教え、導いてくださった。 それより遥か以前には
キリストなんかも同じく「天の神」神から啓示を受けて教えをといた。
「だめのおしえ」って、究極の教え、最後の教えという解釈もできるでしょ?
時系列で天理教は最近の教えだからね。
自分の都合のよい解釈の信仰では成長できないから、ジレンマがあるんだけれど、真摯に信仰を
求めていけば、きっと道は開かれると信じています。そういう人の集合体が教団でありたいね。
天理教は一神教であることに憶病ではいけないのでは?
次期心柱=真柱様は勇気をもって、さらっと、一神教ですと宣言してください。
そして、少なくともおさい銭の用途の再考には出直し覚悟で臨まない限りは、衰退は免れません。
教内という限られた社会の中でのエリート育成はかんちがする人を生むばかりです。
人を助けることは最高の動きです。団塊世代こそ、自分の恵まれた人生の最終章に、次世代のための
よき世界の構築に励みましょう!!! 一人でも活動できますよ!
支離滅裂なことをこの場をお借りして書き連ねました。ご迷惑をおかけしました。
明日も気を取り直して明るく生きたいと思います。
末端教会、末端信者は高齢化し、本当に苦しい。年金からお供えをしている信者の声を聞くのは本当につらい。「天理教も一度仕切り直しの選挙をしてはどうか。大教会を中心とする垂直型組織を解体して地域別の教会コミュニティとする是非を問うてはどうか」というカイン様のご提言、本部主催でぜひこの時旬に全教投票をやってほしい。「勝つ」のは「上納金の受け皿となる大教会と教会本部ファミリーの既得権益者たち」か、それとも、「お金はないが本気で将来を変えよう考えている末端信者たち」か。多数決からすると勝負はついている。
父の実家も以前分教会でした。また、その親戚も寄り合い多数で,,おぢばがえり,,にも参加しました。昭和の時代までは優雅というか、ゆとりというか教団に何か大きな存在を感じていました。しかし、平成になり、間もなく親戚一同衰退の一途を辿り、現在ではその日暮らし的な方たちばかりとなりました。私は、20才ころから40才ころまで創価も、日蓮系のその他の宗教も経験する中、やはり、これは人間の良くなりたいと思う心を利用た金銭集めだと気が付きました。お供え、会費はおろか、集団と言う形を作った段階で規則が出来ます。これは会社組織も同じです。しかし、会社組織は生活の為お金を稼がせてくれる場所として存在します。宗教はお金を出して学ぶ集団。宗教組織を管理する人たちが、心の美しい日本人にボランティア精神で動いてもらったら儲かるに決まっています。しかもお供えまで頂いてです。私は、40代になり日常の仕事や家庭での生活こそが修行だと確信いたしました。初投稿で生意気なことを書いてすみません。 一般人
一般人 様
貴方の認識は正しいです。
ほぼ全ての宗教が「金集め」を目的にしているような状態が今の宗教界です。
でも、教祖様が教えてくれた「みかぐらうた」では全く逆のことが書いてあるんですよ。
一下り目(抜粋)「散財心を定め 何かに作り取るなら 大和は豊年や」
簡単な例をでいうと、
「子沢山の大家族がいるとします。
お母さんが食事を用意します。ご飯を炊き、オカズを沢山作り食卓に大皿で出します。
食べる量はそれぞれ違うでしょうが、皆が満腹になるまでのご飯があれば『豊か』ですね。量が少なければ『貧しい』です。お母さんがたくさん作っても、誰かが独り占めしたりすれば全員には行き渡らないから『貧しい』のと一緒です。だから、まずは独り占めしないという散財心が必要です。
そして、ご存知かと思いますが親神様は人間の『親』です。人間全てが『親神の子』です。
食事の時間になりました。
でも、親神様には手足がありませんので、材料を用意したり料理したりは出来ません。
だから、子供たちが自分たちで食材を作り、料理するしかありません。
私は米を、僕は魚を、私はキノコを、俺は牛を育てて肉を・・・・、と皆が作りとって食卓に出せば、皆が沢山の料理が食べられる『豊か』な食卓になります。誰かが独り占めしたり、何か(お金)と交換じゃなきゃ嫌だ、なんていう人がいると食卓はどんどん貧しくなります。力で奪い合いをするようになれば、食べられない兄弟まで出るでしょう。
今の現実世の中が『貧しい食卓』の世界です。」
この喩えから、「親神の心」を読み取って頂ければ幸いです。
勿論、こんな解釈や教えを説いている「天理教の教会」はありません。
末端教会子弟様へ
拝復 返信ありがとうございます。はい、私が思うに、中山みきさんは天国で悲しんでいられると感じています。また、天理王のみことも・・。ただ、言えることは、中山みき教祖が行ってこられた尊い教えを、素直に実践されている末端の信者が利用されてしまったことに問題があると感じます。また、モラの広池氏も同じく冷や飯を食う羽目となった経緯。そして黙して退いた潔さを本当に尊く感じ、自分自身を納得させるために実行されるべきだとどれだけの信者が気づいているかが今後の宗教組織の課題かと存じます。上記末端教会子弟様の「みかぐらうた」の件も誠に素晴らしいと感じます。実は自分も昔祖母とよく歩いた,,おぢば,,の渡り廊下を今春は訪ねてきたんですよ。明治時代に「蘇生術・病の治療」等あの手この手で人々に気づきをと質素な生活をされつつ頑張られていた中山みき様に感謝です。日蓮もやはり側近による裏切りがあったようです。
天理教を離れて20年以上が経ちました。
仕事も家庭も順調、健康に過ごしております。
成って来るのが天の理、とか。
であれば、天理教の衰退もこれまた天の理ということでしょう。
衰退を無理に止めようとするのは人間思案です。
真柱様もそれは重々分かっておられるのでは?
教祖の元の教えに反した教団は消滅し、
多額のお供えに苦しむ末端信者も救われる。
天理貴族が滅んだその後に、新しい芽が吹くと思います。
昔のように、お助けに明け暮れているよふぼくはどれ程いるのでしょうか?
現代の人たちと関わり、そのなかでどう人に喜んでもらうか、どれだけ心尽くしているのか。
会社勤めの人たちでもそんな事を駆使しながら毎日勤めてるのに。
恥ずかしながら我が教会の信者さんでも、月1回の祭典に参拝されるのみで、普段は世間一般の方の生活ぶりと全く変わりはありません。「お助けに明け暮れる情熱」のある信徒さんは他教会を見てもおられません。わが身のお陰を頂くための参拝であり、人の助かりを願っての参拝ではありませんね。
私、教会長自身の信仰に対する情熱不足、自身の人間力不足、信徒さんを引き付ける魅力不足、依って他への影響力不足と反省しております。
しかし、天理教も矛盾という膿を出し切り、生まれ変わらなければ、世間の人を引き付ける魅力がないのも事実ですね。私自身が興ざめしております。世間一般の人のほうが余程自分に厳しく生きていると思います。。教内しか知らない我々教会長は上から目線で偉そうにしていますが、「甘い、甘い」と世間から笑われているのを知らない「世間知らず」です。恥ずかしい。
本部の子弟は今でも 海外留学 音楽留学をしています。1年間に500円から音楽留学だと800年位かかると言われています。子供の貧困率が問題になっているこの時代にです
今も中学2年生の 本部関係者の子弟M美は「ジュリアートに留学する」と友人に自慢しているそうです。
本部在籍のM野家では 長男が高校から
オーストラリアに留学して去年 帰って来たそうです。
我々 教会の子供は塾にも行けないで ノルマの様に 子供手当てまでかき集めて
お供えしています。
1月28日の匿名様へ
30年前、100年祭の頃の話です。
大教会の子息は、当時、県内で一番授業料の高い私立大学に進学。
末端教会の子息は、中学卒業で、夜間高校に進学。
この悪しき習慣が、ずっと続いている天理教の教会格差。
信者激減、今、実際信者50万人を切っているともいわれるのが納得する。
5代目真柱様に、是非実現していただきたいのは、ネズミ講のようなお供えまみれの教会システムの大改革。
教会長とその夫人は、教えなどは説かず、お供えしろの言葉しか言わない。一般社会を知らないので、天からお金が降ってくる様な物言いをする。
客観的にみていると、30年後の天理教の行く末は、タィ○○○○号か、止められないカサンドラ○○○か。。。
5代目真柱様に、信者大激減を招いているシステムを見直して頂き、その壁に風穴を開けて頂きたいと切に願う。
(偶然見つけたFBの記事)
神ってる?
まさに教会本部「天理村住人」専用、神対応システム!
天理時報、元旦号に掲載された「私を育ててくれた場所」元渕舞(ヴィオラ奏者、米国ニューイングランド音楽院教授)の寄稿を読んで驚いた。
天理幼稚園の5歳からバイオリンを天理教音楽研究会で習い始め、一流の指導者からタダ同然の費用で高校3年の秋まで学び、突然「アメリカへ留学したい!」と言ったら、たった6週間でそれが叶った。
しかも、辛抱できずに帰ってきても復学できるように配慮されたという。まさに神対応。
二代真柱の「教育の本分は徳分を伸ばしてやることだ」の生前どこかで話された一言で、こんな特別待遇か受けられるのだから、
当時はよほど有り余る財力があったのだろうか。その財力の原資は、全国の信者からのお供だろうに、理解に苦しむ。
何処ぞの世界にこんな話があるのか?
まるで「お金も実力」とお隣の国のお馬に乗ったお嬢様のようだ。(この一文はコメントからパクりました)
米国への留学には、年間数百万円以上かかる。大学なら数年を要すから、その数倍数千万円はいる。繰り返すが、たった一人に信者隅々から集められた真実のお供・数千万円が使われる。これが天理教一れつ会を経由してあまり公にされず、捻出される。
確かに彼女には才能があるのだろう。でも、全教には彼女以上の才能をもった教会家族やようぼく家庭の子弟はいるかもしれない。彼女は少なくとも教内の公募の中から選ばれて幼稚園の頃からバイオリンの英才教育を受けたのではない。父親がたまたま道友社に勤務し、傍系ながら(本部員とか本部准員以外)天理村住人だったからだろう。
音楽研究会で弦楽を学んでいる子供の姓を聞くと、案の定、本部在籍者の姓が闊歩している。しかも中には彼らが声をかけた彼らのお友達(未信者)もいる。
教内各地の教会家族やようぼく家庭の子弟には、いろんな才能があるものはいないと決めつけられているようだ。
いや、チャンスが平等に与えられないだけだ。幼稚園からタダ同然で学べる神対応のシステムがないだけだ。
数年後、本部在籍者、天理村住人西村某の子女がまた、ニューヨークのジュリアード音楽院に行きたいと言った。その親は、行かせたいと、必死なっている。もちろん一れつ会から特別にその費用がでる。
国内の大学へ進学する教会長子弟数十人分の費用が、一人に注ぎ込まれる。本部在籍者のみが持つ既得権がまた使われる。そしてそれは公にされることがない。
「谷底せり上げ」ならぬ「谷底切り捨て」の上に、その神対応システムがまた始動する。
複数の匿名様のご意見に共感します。
信者は50万人もいないでしょうね。いても30万人くらいだろうか?当教会のみならず、近隣に点在する教会は末端教会に限らず、部内を抱えている教会でさえも、信者は多くて3,4人です。月次祭の手など揃わないほうが圧倒的多数です。後継者がいないと嘆く教会は大げさではなく大多数。本部勤務を経て本部の汚い部分を見て心がぐらついて、ついていけない後継者候補の若者は多いです。だから後継者と親は期待しても彼らは首を縦に振らない.
当教会が所属している大教会の坊ちゃまも海外留学経験者。末端教会の娘さんは今の時代に中学卒です。まともに就職もままならないと母親の教会長が嘆いています。
どこが「人助けの天理教」??怒りを覚えます。
つい最近も上級会長が「まず金、一番に金。」と冗談のように言ってましたが、大教会のノルマで「お金」に振り回されているご様子。宗教家が信仰の本質を見ずに「お金」集めが目標になって、お気の毒様でございます。
末端教会様
末端教会、この名称にも、何か違和感を感じます。祀られてある神さまは同じで、上下関係などないはずなのに、権力支配を行使する垂直型組織は解体すべき時期にさしかかっている気がします。
拝読いたしました。
実際信者数、30万人程とは、30年前の10分の一!末端教会の後継者不足や進学事情も深刻極まりない。この事実はどこまで届いているのでしょうか。
お供え、お供え!お金、お金!と本当にどこが「人助けの天理教」か、現在は「上級、大教会、本部助けの天理教」にすり替えられてはいないのか?
と疑問が、次々に湧いてくる。
八つのほこりに、うそ と ついしょう を加えたほこりの心遣い。
上級教会へと上へいくほど、皮肉にもこれが 「 8つのほこり見本 」かと感じる事がある。
お供え集めに必死で、教会長も、教会長夫人も何も貴方方が偉い人ではない自覚が全く無い。ひょつとしたら、まだ門外の人間かと思える発言や行動をされるのに驚く事がある。
現在の上級教会長職も世襲の3代目、4代目あたりとなれば、思考停止装置のようなものをつけられている様にも感じ、ふせこみとか称して、お金とお供えの話しかしない。
これでは、純粋に信仰したい信者は離れていくのは、世のならいであろう。
上級教会、大教会、本部への上納金制度改革を、何よりも迅速にと願う。
元渕舞というビオラ奏者、姉か妹でオリンピックに出場した飛び込み選手、その母親の講演を天理で聴いたことがある。もう20年近く前のことである。
母親の話は、「自分たち親子は夢のような幸せな思いをさせてもらっている」と。
聴衆皆がうっとりするような、真にうらやましいばかりの話であった。
そして最後の締めくくりが「この夢のような幸せは、素直にお供えをしてきただけなのです。」でした。
当時洗脳状態にあった私は、「お供え」の威力を再認識し、やっぱり苦しくても倹約しても「お供え」だけは欠かさずやろう、こんなに幸せになれる人もいるんだ、と心に深く刻み込んだものです。
そして、およそ20年の月日がたち、この掲示板によって、彼ら一家が本部からの特別待遇であったことを知った。身を削りお供えを心に決めた無垢なる信者のお金を使って湯水のように厚遇された元渕一家。
本部は彼ら一家を広告塔として天理教主催の講演会に素性を伏せて出させていたのだ。
あのような成功話を聞けば一般信者は騙されます。今更に本部の二枚舌根性。信者を裏切り続けるこの組織から身を守らねばと心底強く思います。
完全に騙された後味の悪さを今思います。
末端教会 様
このような事例は他の宗教にもありました。
職場の上司に誘われて、町の文化ホールへ行きました。演じられたのは、不良少年が仏の加護によって見事に立ち直る演劇でした。ここで〇〇会長の名前出てきて目的が分かり、なんだと思ったのです。
更に、演劇の休憩中に見た光景は今も忘れることが出来ません。当時は建物の中の喫煙は大っぴらでした。
廊下に出た会員たちはタバコを吸い出したのです。廊下が煙で曇るほどでした。仏を信じている方が、このざまは何だと思いました。
何事も、手を変え、品を変えて謀を勧誘をしても、早かれ遅かれ、いずれ本性が暴かれる日が来るものです。
これまで教団内では、「信仰一筋=教会の仕事のみ」するのが偉いのだというような間違った考え方が蔓延しており、他の仕事と掛け持ちをしている教会長は肩身の狭い思いをしてきたとお聞きしています。しかしながら、大亮様はそのことを教会長の多くいる前できっぱりと否定され、「信仰一筋=教会の仕事のみ」というのは間違いであり、掛け持ちしている教会長が肩身の狭い思いをする必要はない、誇りを持ってほしいというような内容を語られました。以上のことは当たり前のことなのですが、上層部からそのような内容のことを語られたことはなかったのではないでしょうか。古臭い慣習にとらわれ時代錯誤もはなはだしい教団を変える上で、次期後継者はわくわくさせてくれるのではないかと”少しばかり”希望が持てましたし、大いに期待したいと思います。
私の大亮様の第一印象は体育会系の雰囲気がモンモンしていたので、根性論振りかざして教団を引っ張っていくのではないかと心配していましたが、多少は安堵したかなぁ。多少は。
それと加えて、私は「本部の汚い部分」を直接目で見たいのですが、どうすればいいでしょうか。本部勤務をすればいいですか?
いきいき新鮮 様
>私は「本部の汚い部分」を直接目で見たいのですが、どうすればいいでしょうか。本部勤務をすればいいですか?
汚い部分は覆いかぶせられていますので、簡単には見えません。
一番分かるのは、本部在籍者になって本部員になることです。(というのは、本部の汚い部分は本部在籍者・本部員が一番よく分かっているからです。)
時間をかけても分かりたいのでしたら、事情教会を受け持って下さい。
それが無理なら、大教会の住み込み人として大教会で生活をして下さい。
今すぐに確認したいのでしたら、本部在籍者の友人を作って、一杯吞みながら本音を聞き出して下さい。
(注意・本部在籍者と本部勤務者とは立場がちがいます。)
『ワクワク』
残念ながら、僕は、真柱の名前も知らない、読めない。
表棟梁、本部役員の名前すら、知らない。
興味がないからだ。
会ったこともないからだ。
天理教という、組織のリーダー。
血縁と欲にがんじがらめの上層部。
派閥をつくり、首脳陣方々、上層部の方々。
天理教を信仰する方々が、どのような気持ちで。
神殿に参拝しに来ているかわかりますか?
命の重さを、感じ取ろうとお考えですか。
天理教を信仰する方々が、どのような気持ちで。
天理教を信仰しているかわかりますか?
寄り添おうと思う気持ちがありますか?
~様と祭り上げられて。
勘違いを起こしている。
勘違いさせる、周りも悪い風習だ。
末端の苦しみを理解しようとしていますか?
上納金を、お供えと偽り。
贅沢三昧、保障を、我が為だけに使い。
それを、神様への奉納だという。
天理教を信仰していると、ワクワクしますか?
僕は、天理教組織に対して、恨み辛くみしか残っていません。
縦の伝導って、何ですか?
ピラミッドのことですか?
エジプトのピラミッドが。
何万年を経ても、人にに崇められ、感動をあたえるのは。
一番下の土台が素晴らしいからなのです。
天理教も、ピラミッドだ。
だが、天理教のピラミッドは。
土台が上部に使いふるされ。
白蟻が食い尽くしたような、崩壊が始まっている。
もちろん。
白蟻は、天理教のリーダー、首脳陣、上層部だ。
末端教会は、働き蟻ではない。
人生を持つ、個の人間だ。
人が人を踏みにじり成り立つ、天理教のピラミッド。
崩壊するのは構わないが。
どれだけの犠牲者が出るのだろうか。
すでに、何万という犠牲者が出ています。
真柱様。
がんじがらめの牢屋に閉じ込められているようなもの。
派閥、血縁の、暗黒渦巻く牢屋に閉じ込められているようなもの。
でも、真柱様に、勇気があれば。
天理教は変われるはずだ。
結局は、真柱様にも、変革する勇気がなかっただけだ。
天皇陛下がなぜ、あれほど国民に愛されるのか。
手をふり、笑顔で、被災地の方々へ。
膝を着いて、寄り添って話しかける。
とても、微笑ましい映像だった。
真柱様。
本当は辛いでしょう。
真柱に成りたくてなったわけでわないのだから。
歴代の真柱のことも、僕は知らないが。
投稿を読んでいると、歴代の真柱のワガママ、奔放ぶりが伝わってくる。
悲しい話だ。
真柱という尊厳をもち。
もっと、天理教を根本から見直し。
天理教という、誇りを持って欲しい。
現真柱は、病気らしく。
近い将来、真柱も交代するだろう。
新真柱には、誰も期待はしていない。
もっと、崩壊が進むだろう。
天理教は、ワクワク出来る宗教には成らないだろう。
でも、末端、中間教会。
辞めたくても、辞められない方々が多いだろう。
親神さまがいるのかは、僕はわからない。
でも、トップが腐っても。
信者さん方々には、天理教毒には浸って欲しくない。
天理教が、広く世界に受け入れられる組織になることを。
天理教が、大手術をし、変革することを。
願うばかりです。
真柱始め責任者ご一同様。
はぐれ雲様のおっしゃる通りです。エジプトのピラミッドは土台が素晴らしいから時を超えて崇められる。
大事な土台を使い古して尚、しゃぶり尽くそうとする親って何なのですか?子は大事に愛情持って育てられてこそ、親を大切に出来る子に育つのです。
愛情をもらわず育った子は知らず知らずに精神が傷つけられ、自分を大切に思えず、インナーチャイルドが大人になってもいつまでも心の奥深くで苦しむのです。
とても人助けが出来る状態ではないです。簡単に人助けせよとは言ってはいけない。人助けがどんなに覚悟がいる行為か。
言ってる割には人助けの成果を数に出せとは言わない。初参拝者数だとか、お勤め奉仕者数を競わしたり、お供え金額で信仰の深さを測ったり。ズレてます。
天理教世界でどれだけの人達が天理教により心を奪われて今も癒えない苦しみの渦中にいるか。
現状見てもわかる通り、心配しなくても神は既に掃除にかかっていると思えますので静かに沈んで行くのを見守りたいと思います。
『ジワジワ』
匿名様の投稿に、心が響きました。
とても、素晴らしい内容です。
天理教の親子関係は、崩壊しています。
親子、家庭が在るからこそ。
世界はあるのです。
ジワジワと、天理教も沈んで行っています。
沈んでいく天理教に、被害者を減らさなければなりません。
僕は、怪我で、手術を3回受けています。
天理教本部は、大手術を受ける勇気がないのです。
社会学ブログを通じて、メスを入れ続けていく責務が、天理教人にはあります。
これからも、声をあげ、メスを入れ続けていく所存です。
匿名様。
響く声を届けていただきまして。
本当に、ありがとうございます。
『このままでいいのかな?』
匿名様の投稿を読んで、色々と考えさせられました。
僕は、天理教の末端の極貧を越した教会に生まれました。
婿養子の親父は、天理教も信仰もせず、
ギャンブルで借金を作ってくる人でした。
母は、上級の顔色ばかりを気にして。
親父ダメな人間だから、お前は天理教継いで。
お前が天理教をやらないと、家を追い出されると言いました。
ギャンブル狂い、信仰と名ばかりの母。
借金を作ってくる兄弟。
でも、お前はしっかり天理教を継げと。
家庭崩壊しているのに、何が教会だ。
いい加減にしろ!と、喧嘩の毎日でした。
子供の頃の傷は、消えないものです。
人格さえ、人生にはさえ変えてしまいます。
子供の頃から、天理教の意義さえわからずに。
親の尻拭いばかりの人生でした。
母が介護が必要になり、僕が介護しました。
車イスに母をのせて、子供の頃からの、傷を話しました。
母は、反省するふりをして、天理教信仰に最期までそまっていました。
都合がよすぎすのです。
形ばかりの信仰で、助かろうとか。
神様がどうとか。
尻拭いをしてきたのは、障害者の僕でした。
今でも、子供の頃の傷は絶えません。
それが為に、困っている仲間にお金を貸したり。
でも、お金は返してもらえませんでした。
人助けの習慣が、自分を地獄に落としました。
天理教の上級は、たかりだ。
上納金を、たかり、本部が成り立っている。
中間教会でも、大教会でも。
たかったお金で、人助けに成らない建物をたて。
会長、先生と呼ばれ。
親身に、人の相談など親身に聞き入れず。
お前が天理教会長になれとか。
勉強不足だとか。
上級の会長に約束さえ破られて。
親にも上級にも、裏切られた。
子供は純粋だ。
濁った天理教をなぜ押し付けるのだろうか。
親なら親らしく、子の将来を案じ盾に成るべきではないのだろうか。
親として子を産んだ責任感さえない。
金、上納金をばかりをかき集め。
天理教の看板だけ守ろうとしている。
天理教は何がしたいのか、全く理解できない。
効かないお授け、都合よく改ざんされた教典。
何十年と隠蔽された、黒い歴史。
真柱、役員、上層部。
本部の中庭に連れ出して。
罵倒されればよい。
現在の天理教人方々は。
現行天理教をどう思いですか。
このままでいいのかな?
何千の投稿があっても、天理教は変わって来ているのかな?
天理教がために、僕も、知り合いも泣いてきた。
上級の前、今の会長にくってかかったことさえあった。
人間には、感情がある。
その感情を、豊かにするのが信仰なのではないのだろうか。
その場しのぎ、都合のよい解釈。
天理教本部、大、中間教会。
人をバカにするのも、いい加減にして欲しい。
天理教本部、上層部、のために。
自己満足のために。
どれだけの人が、犠牲になってきたのか。
天理教人は優しいかもしれない。
でもね、人として、いつまでも。
神様にもたれかけている場合じゃないのではないのか。
社会学ブログは素晴らしいブログです。
月日も長く運営しています。
でも、天理教本部、上層部。
末端の意識、構造、行動は変わりましたか?
このままでいいのかな?
オウム天理教に、いつまでも、やりたい放題でいいのかな?
組織が大きいから、変革は難しい。
でも、顔と顔を合わせて。
意見を述べることさえしてこなかったのではないのだろうか。
そんな話は、聞いたことさえない。
初代から何代まで続けて来た教会だからとか。
昔からの風習だからとか。
陰口は山のように聞いた。
そろそろ、立ち上がるべきではないのだろうか。
これほどの声が届いて、行動は少ないのではないのだろうか。
人助けなどしてる暇も、気力もない。
天理教さえ邪魔になっている。
何が怖いのですか。
怖いのは、自分に嘘をついて。
それを、信仰だ、我慢だと。
自分自身に、嘘をつき続けることじゃないのか。
天理教が素晴らしかったら。
これほどの声は上がらないのではないのかな。
小さい行動を集めて大きな行動に、しなくてはならない時ではありませんか?
僕は、煽っているわけではありません。
でも、上級、部内会長たちと争い。
家の天理教を整理しました。
何十年も、一人で闘いました。
立ち上がるべき時を、理由をつけて延ばしてるようにも感じます。
社会学ブログという、素晴らしいブログがあり。
声が集まり。
あとは、社会学ブログをどう活用するべきかもしれませんね。
でも、全国にこれほどの声が上がってるのは。
僕のみてきた天理教そのままでした。
このままでいいのかな?
僕は、よくないとおもいます。
そして、天理教の若い世代。
オウム天理教に毒されずに。
若者らしく、反骨の精神で。
現行天理教を変革していって欲しいです。
どうせ聞く耳を持たないんだから、ほっとけばいいんです。
ここの、コメント覧の常連は、無視するか、否定ですよね
せっかくの風鈴浮浪雲さんのコメントも、一切無視、聞く耳持たないですよね。
まあ、私は、元から、天理教に距離を置いてますからね・・・
それでも、コメントは読ませて頂きました。
勉強になりました、ありがとうございます。
何も変わらないでしょう、このまま、衰退するでしょう。
風鈴はぐれ雲さんの的を得たご意見を無視している訳ではありません。はぐれ雲さんは至極真っ当なご意見を述べられています。ご自分の過去の辛かった経験を踏まえた、天理教に対するご提言は、どの言葉も、尤もなことであると思います。
ただ、人間の欲でガチガチに固められた今の教団を改革しようとしても、とうてい無理なことであると思わざるを得ません。本部や上層部が、教団の悪習を変える意志が全く無いようですし、坐して莫大な収入が入ってくる今の地位、立場、既得権を捨てたくないでしょう。
私は、このまま天理教団が潰れていってくれれば良いと思っています。若者を守らねばならない、というのは当然ですが、組織を改善しようとして上に意見を述べても、上が変わるとは思えませんので、社会学さんのブログや投稿を見て、天理教から距離を置くか、離れるかして欲しい、それが一番だと思います。
追加
そして、勿論、はぐれ雲さんの、心に深く響いてくる今までの投稿全て、たくさんの悩める信者さんや若者たちを救ってくださったと確信しています。
はぐれ雲さん、ありがとうございます。今、鬱病状態にあるとのことで、お気の毒に思います。
お身体を労わって、のんびりされて、早くお元気になられるよう、心より願っております。
いほり様。
ただの親父様。
返信をしていただいた上記の匿名さま。
返信おそくなりましたが。
ありがとうございました。
僕のような勉強不足な、青臭い投稿を、読んでいただき。
返信までしていただいて、本当にありがとうございます。
これからも、社会学ブログで全国の声を聞き。
僕自身も、心におさめる言葉は、勉強していこうと思います。
皆様方の投稿を楽しみにしております。
僕もまた、青臭い投稿をすると思いますので。
社会学ブログが、ますます発展していくことを、願っております。