これまでまとめたデータを順次公開する。今回は「別席」について公開する。以前、信者数について文化庁の宗教統計調査をもとにまとめたが、今回は天理教が発行している統計情報をもとに、主に別席の数値について検討する。まずは制度を説明する。天理教の内部には信者という明文化された地位はない。天理教統計に計上されている信者数は「用木(ようぼく)」と言われる人数が計上されていると思われる。その用木は主に「別席」という過程を経たものがなる。つまり別席という過程が天理教の信者になる通過儀礼といってよい。そして別席というのは天理教本部において9回の話を聞かなくてはいけないらしい。私は伝聞でしか知らないが、その話は天理教の歴史や心構えのようなもので約2時間近くあるようだ。そして、全く同じ話を9回聞く必要がある。詳しくは天理教ホームページにある。(天理教ホームページは不親切であまり理解できない)
その別席の参加者数と、9回の話を完遂した人数も統計情報として掲載されていたのでまとめた。天理教の教団勢力の衰退というものが手に取るようにわかる。
「天理教信者になる人数(別席の誓い)」も「天理教信者になった人数(おさづけの理拝戴)もここ数年で非常に急激に減少していることは間違いない。別席の誓いをした人数は2013年で1万人くらいなのに、10年ごとに約1万人ずつ減少している。そして完遂者(理拝戴)は10年ごとに約5000人ずつ減少している。恐ろしい推測として、このまま減少率を維持すれば、次の10年で天理教の新規信者数は限りなく0になる。
次にサバイバル率である。最後まで別席を完遂した者数(おさづけの理拝戴者数)を別席の誓い者数(初席者数)で割ったものである。そのまま「別席の生き残り率」であり、完遂者 / 初席者 である。
私が扱った資料は2013年が最新のデータだが、その時点でも「天理教の信者になる」という誓いをした人から「天理教の信者になった」という完遂者の割合を見ると全体で44%という通過率(サバイバル率)ということがわかる。例えば100人が信者になる意向を示していても、実際に信者になるのは44人ということである。興味深いのは、80年祭、90年祭、100年祭、、、と10年ごとの年祭において、急激にサバイバル率が低下していることであろう。これは人集めだけはしたが、信者になってもらう率は非常に低かったということである。つまり、「初席者◯◯人!」と目標値だけ決めて雑に人を集めたが、その後は丁寧に対応できていないということになるのではないか。むしろ、完遂者数と照らし合わせると、年祭で人集めをしても、それだけで満足してしまっている。
正直なところ、私はこの割合が高いのか、低いのか判断ができない。普通に考えると制度的欠陥であることは間違いない。しかし他の宗教と比較しても、信者の基準が多様すぎて比較できない。そこで、知り合いの天理教人にデータを見せて感想を聞いてみた。すると驚くべき回答を得ることができた。
・そもそも別席の話は寝ててもいいし、実際寝ている人が多い。
・各教会が競うのは、完遂者よりも初めて話を聞く人数(別席の誓い=初席者)である。なぜだかわからないが、完遂者を上げようという話にはあまりならない。
・約44%というサバイバル率は実感より高いと思われる。なぜなら強制的に受講しなければならない学生数(天理教関連高校)が毎年数百人いるから。
・9回話を聞かなくてはいけないという点は非常に負担であり、本部も認知している。そのため短期講習のようなものにも力を入れている。
・10年後であれば新規信者が0になることはない。しかしこのままでは若年者や社会的強者からは相手にされずに、よりカルト志向を強くした非社会的集団へと移行すると思われる。実際、原点回帰現象のようなことがおこっており歴史的な偉人、偉業を利用し、権力者への統制を強めている。これは北朝鮮などとまったく同じように組織力学として非常に危険な兆候である。
・末端の教会では100年祭のような圧迫感はないが、「あれしろ、これしろ」という大教会長の鶴の一声ばかりでウンザリ感は強い。
・天理教本部は当然このデータを把握しているだろう。しかし9回を減らすことはしない。それは教えを曲げることに等しい。
以上である。現在、天理教の動きや雰囲気は私の知るところではないため実際の組織内部の声が実感としてわからない。しかし、どうやら今の天理教は来年の130年祭に向けてだけ必死なようである。「現在の信仰」を高めるのではなく、先人の偉業と足跡を利用して凝集性(といっても人と金集め)を高めているようである。これが事実であれば、組織として末期であろう。その昔、天理教の教祖は官憲の厳しい取り締まりを受け、何度も投獄されている。それが天理教では美談とされて、何度も利用されている。天理教が得意とする「節」(苦難)を乗り越えていこうという教えはいいが、それが「社会に理解されなくても、自分たちの信念を貫き通す」ということになれば危険である。現代社会では非常に危険なカルト性となる。そういった原点回帰を教団や権力者が利用しなければならない現状こそが、天理教の布教戦略の怠惰な姿である。これは本部をはじめ大教会長たち権力者たちの責任であることは明白であろう。
いつものようにエクセルファイルのダウンロードを用意した。コピーフリーであり自由に使っていただいて結構である。しかし誤記もふくめ責任は負いかねます。
[wpdm_package id=’733′]
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp
テーマ: 教団の臭い物にフタが、カインブログのデーターでばれてしまった
添付のエクセルファイルは作ろうと思って作れるものではなく金でも買えない、素晴らしいカイン氏のレポートである。
この添付ファイル「別席の誓い・おさずけの理拝戴人数一覧」ファイルは必見のデーターである。
この統計数値により、多くの信者が目を覚ますであろう。
これこそ本当のひのきしんである。
おやさまは「ウソとついしょうこれ嫌い」と教えられ、表面だけをきれいに飾り、臭いものキタナイものフタをする教団本部や大教会のやり方は決して許されないであろう。
天理本通りの道友社には置いてない戦前の天理教関係書籍400冊が「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」にアップされている。
中山ミキがなくなってから、昭和20年8月15日終戦までの60年間、神名は天理王の命ではなく「天理大神」(てんりのおおかみ)であった。
戦後中山正善二代真柱により復元が行われたことになっているが、全くもって怪しいものである。
現在の天理教は中山真柱家を維持するための中山教である事が教勢衰退の最大の原因ではないのか。
おふでさき明治13年15-13「さあけふは月日のはらがはぢけたで、しかえていたる事であれども」
<中山ミキに背いた長男夫婦>:
明治13年(1880)9月中山秀司地福寺「転輪王講社」開莚式。
明治14年(1881)4月中山秀司出直し(61歳)、中山まつえ「転輪王講社」副社長。
明治14年(1881)10月「転輪王講社」社長日暮ゆう貞出直し。
明治15年(1882)11月中山まつえ「転輪王講社」副社長出直し(32歳)。
明治15年(1882)12月地福寺引き払う。
<おかしな戦前の天理教教会本部の教え>:
「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」
明治36年(1903年)中山新治郎初代管長「明治教典」(天理教教典)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815852
明治41年(1908年)中山新治郎初代管長「明治教典」(天理教教典)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1104690
明治41年(1908年)中山新治郎初代管長「明治教典よみかた」(天理教教典)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815855
大正3年(1914)12月31日中山新治郎初代管長出直し(49歳)。
おふてさき釈義並に索引(昭和3年4月中山正善)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112846
中山正善管長様御訓話集(昭和17年6月1日)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1025971
昭和16年12月8日諭立第12号、昭和16年12月8日英米に対し宣戦布告(p15)。
必勝日本(中山為信著)昭和17年5月
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099639
昭和42年(1967)11月中山正善二代真柱出直(63歳)。
「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」にアップされている戦前の天理教関係書籍400冊。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099639
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099639
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099639
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099639
<臭い物にフタをし続ける天理教衰退データー>:
2015年6月7日付けカインのブログ添付ファイル「別席の誓い・おさずけの理拝戴人数一覧」統計数値より:
年度 別席誓い おさづけの理 修養科修了 教徒登録 教庁決算
1966年: 112194人 37681人 (記載なし) 4547人 (記載なし)(80年祭)
1976年: 119382人 33933人 (記載なし) 6450人 (記載なし)(90年祭)
1986年: 84190人 22892人 (記載なし) 4649人 (記載なし)(100年祭)
1996年: 35499人 13546人 (記載なし) 2554人 (記載なし)(110年祭)
1998年: 24994人 10417人 (記載なし) 1990人(記載なし)(4代真柱継承)
1999年: 21970人 9898人 (記載なし) 2162人 (記載なし)
みちのとも毎年2月号(統計)、8月号(教庁決算):
年度 別席誓い おさづけの理 修養科修了 教徒登録 教庁決算
2005年: 19568人 9444人 4201人 2065人 165億円
2006年: 22755人 9991人 3832人 1902人 159億円(120年祭)
2007年: 13619人 7055人 3176人 1528人 155億円
2008年: 13069人 6825人 3040人 1265人 155億円
2009年: 13431人 6763人 3138人 1320人 142億円
2010年: 13424人 6798人 2820人 1284人 137億円
2011年: 10780人 5850人 2451人 1057人 133億円
2012年: 10816人 5375人 2555人 1167人 128億円
2013年: 11862人 5541人 2446人 1069人 120億円(活動1年目)
2014年: 11507人 5274人 2546人 1037人 未発表 (活動2年目)
以上
テーマ: 「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」戦前の天理教関係書籍400冊
「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」にアップされている戦前の天理教関係書籍400冊、下記に訂正します。
http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99&reshowFlg=1&rows=100&sort1=&sort2=
http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?pageNo=2&searchWord=%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99&featureCode=&viewRestrictedList=&facetOpenedNodeIds=&rows=100
http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?pageNo=3&searchWord=%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99&featureCode=&viewRestrictedList=&facetOpenedNodeIds=&rows=100
http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?pageNo=4&searchWord=%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99&featureCode=&viewRestrictedList=&facetOpenedNodeIds=&rows=100
以上
天理教は宗教部門で生計を立てているのではありません。宗教では儲からないから、学校や病院で儲けている。
本業はさっぱり駄目だが、一応頭数だけ残しておかねば信用を失う。
こんな宗教に残る奴なんていない。だから、若者に最低限の所得と結婚、出産、葬式などの面倒はみると約束する。
それでも人が離れていくのだから、よっぽど魅力の無い宗教という事なのだろう。
正規の信者を年寄りと身内で占めている天理教は非正規の一時しのぎの信者を行事の時だけ大量に本部に送り込み
教勢を保っているかのように偽装しようと努める。本部の行事にいる多くの人々の大半は未信者である。
もしくは、仕事を休んでまで参加させられている身内信者と呼ばれる人達だ。
身内信者こそ、天理教内の最大の被害者と呼べるのではないだろうか?
ついでにもう少しだけ書く事とする。
天理教は多産である。何故だかお分かりだろうか?
教勢衰退を出産によって喰い止めようとしているのだ。
そして、将来の教会後継者のみならず、将来の信者(収入源)を自前で生産しているのだ。
しかし、それでも人心はどんどん離れる。身体はどんどん逃げる。
メリットと言えば、自分の子供に訴えられる事は(余程の事が無い限り)無いという事だ。
だから、天理教のトラブルは一般社会には漏れにくい。
その結果、天理教の悪い噂が立たず、多くの日本国民は「天理さんなら悪い噂も聞かないし、安心だ」
という評価をする。
しかし、実際は内部の人々が我慢の上に我慢を重ねた事によって成り立っている砂上の楼閣のようなものなのだ。
こんな馬鹿げた、世間体ばかり気にして生きる姿を陽気暮らしと呼べるのだろうか?
外面(そとづら)は笑っているが、心は病んでいる仮面鬱みたいな人間を増産して、人間の尊厳を踏みにじる。
それが現在の天理教だ。
化けの皮が剥がれるとボロいもんですね。
その病院も実は儲かっていません。
昨年(平成26年度)天理よろづ相談所病院の収支は・・・
収入:296憶4,205万円
支出:319憶,910万円
赤字:22憶6,705万円
となってます。
悲しきかな・・・
かつての熟練したばかりの医者も今はもういません。
今は同じく平成26年度に改装した同じ天理市のタニタ食堂も出来たT井病院の方が比べ物にならないくらい良質な病院になってます。
向こうは財力もあるのか、優秀な医者をどんどん引っこ抜いてきてます。
おまけに駐車場代も取りません。
どんどん客(患者)が来るという好循環です。
天〇教、お先真っ暗だな・・・
いろんなデータを、集めてくれば極悪な宗教が生まれるのがこのサイトが教えてくれているのかな? 憩いの家に関する投稿がありましたが、あなたは、この病院にかかったことがありますか? 私は、あります。私の場合は、精神的な病いだったのですが、(ぶっちゃけますがパニック障害)先生からまず、あなたは、天理教の方ですか?と尋ねられました。ハイと答えると、究極の質問が来ました。『あなたは、神様にもたれて治すか、薬で治すかどうしますか?』ビックリしました。悩んだあげく神様に祈りながら先生の指示に従いますと、苦し紛れに答えました。修養科の時の出来事ですが、今でも悩みます。憩いの家には、医師とは別に、事情部があり心のケアについても、親身になって答えてくれます。こんな病院が世界中のどこにありますか?私は、赤字の病院だとしても、寄付してでも続けて欲しいです。
別席の話ですが、実際寝ててもいいかと思います。ただ、9回席を重ねてゆくと全ての内容は、頭に入ると思います。寝てて聞いて無い所も、9回は重なりません。そんなものだと諭して誘っております。実際自分がそうだったからですが。
最後の、節の話には多少同感があります。何かと、事ある毎に節、大筋、と例える所があります。私の考えは、自分の不摂生や、自堕落な事が原因の事までも節と言っているのは、どうかと思います。ただ、その方がその節によって、考え方が変わるのであれば、節なのですが。
>>あなたは、この病院にかかったことがありますか?
ありますよ。何せ私は天理市民ですから。一度くらいは皆、あるのではないでしょうか。
精神科系統の部門は医学的に見てもやや特殊な部分があるので何とも言えませんが(ま、宗教の心の部分と精神的な部分とで何かリンク出来てしまう部分があるかもしれませんね)、外科的な部分でははっきり言って現在の憩はミスばかりですよ。
ただ、表沙汰になっていないだけのことです。訴訟されてる案件もちらほらあることでしょう。
ジュニア及びシニアレジデントがほとんどで、医者になりたての卵ばかりで経験も少ないし、モチベーションも低いような医者ばかりです。3ヶ月程すると、〇〇先生は退職されました。とか、そんなのばかりです。
上の指導もどうなってるんだ?というような感じです。
たしかに、憩の家は歴史的に見ても特筆すべき素晴らしい功績は多々あり、日本医学界の中でも最先端高度医療施設として輝いていた時代も事実としてありました。1976年には我が国初の総合診療科を設けたのも有名です。
身上部・事情部・世話部の存在ももちろん存じております。事情部の特有の1つに「おさづけ」とやらもあるそうですしね。
ま、今のいこいのレベルは天理教の衰退と正比例している感じだと思います。
テーマ: 年祭の翌年、別席の誓い・おさづけの理拝戴者人数は大幅減となる。
教団や分教会が、初席者獲得に躍起になる理由は、まづ初席を運ばないことには九回運んでおさずけの理拝戴という事にならないからである。
しかし1回運ぶのと9回運ぶのとでは努力の度合いが全く違う。
1回だけなら付き合いや観光がてら運ぶ人もいるが、9回となると腹をくくらないと運べない。
9回運んでおさずけの理を拝戴する割合は44%。
しかし、9回運んでおさずけの理を拝戴し、ようぼくとなっても教会としてはまだまだ喜べる状態ではない。
教会として喜べる状態とは、ようぼくが毎月それ相当のおカネを教会にお供えとしてもってくるようになって初めて喜べる状態となる。
新たなようぼくのうち毎月かならず教会にお金をお供えするものは半分もいないであろう。
また新たなようぼくが熱心になれなるほど、教会長は心配になる。
なぜなら熱心なようぼくほど、教会、上級、大教会、本部のだらしなさ、いいかげんさに気が付くのが早く、にやがて教会から離れてしまうからである。
現在年祭活動3年目で天理時報では「別席場をいっぱいにして親神様、教祖様にお喜び頂こう」というキャンペーを盛んに行っているが、これは教団本部特有の「ウソ」である。
50年間毎年毎年、別席の誓いもおさずけの理拝戴者も減り続けており、教団本部の言い分に従えば人数が減り続けている50年間、親神様も教祖様悲しみ続けていることになる。
年祭活動中は人数が増えるが、年祭の翌年には「別席の誓い」で四割、おさずけの理拝戴者で二割、三割がガタっと減少するので、3年間平均すれば減少は続くのである。
<年祭の翌年、別席の誓い、おさづけの理拝戴、大幅減少データー>:
2015年6月7日付、カインのブログ添付ファイル「別席の誓いおさずけの理拝戴人数」統計:
(2015年―2017年は過去のデーターより推計)。
別席の誓い おさずけの理 おさづけの理
年度 別席の誓い 対前年減少数 拝戴者数 対前年減少数
1966年: 112194人 37681人 (80年祭)
1967年: 85535人 26659人減 32245人 5436人減 (年祭翌年)
1976年: 119382人 33933人 (90年祭)
1977年: 59353人 60029人減 28259人 5674人減 (年祭翌年)
1986年: 84190人 22892人 (100年祭)
1987年: 46951人 32739人減 19938人 2954人減 (年祭翌年)
1996年: 35499人 13546人 (110年祭)
1997年: 21978人 13521人減 11172人 2374人減 (年祭翌年)
1998年: 24994人 10417人 (4代真柱継承)
2006年: 22755人 9991人 (120年祭)
2007年: 13619人 9136人減 7055人 2936人減 (年祭翌年)
2013年: 11862人 5541人 (年祭活動1年目)
2014年: 11507人 5274人 (年祭活動2年目)
2015年: 18000人推計 5800人推計 (年祭活動3年目)
2016年: 19000人推計 6000人推計 (130年祭)
2017年: 10000人推計 9000人減推計 4000人推計 2000人減推計(年祭翌年)
以上
地元の方の意見なら、そういう感じに思われているのですね。ただ、私の感じでは、地元の大学病院より(結構有名です。)親身になって対応してくれると思います。まあ、先生によっての違いもあると思います。
別席場をいっぱいにできるくらい、がんばる姿に親神様や教祖がお喜び下さるわけで、数に喜んでおられるのではないのでは?
百万のものより一厘の心を受け取る。(手元に資料がないので正しい言い回しか分かりません)と教祖はおっしゃっているわけで、素直にこの道の教えをつたえたい、また人をたすけたいと動く人の真実を喜ばれるのです。
ついつい数字を見てしまいますが、その一つ一つにおたすけ人の真実がこもり、数々のドラマがあるのです。
年祭活動における、別席場をいっぱいにしようという取り組みは、人をたすける心をつくるきっかけのようなものではないでしょうか。
ただし減っていることについては事実ですから、真摯に受け止める必要があると思います。
「別席場をいっぱいにできるくらい、がんばる姿に親神様や教祖がお喜び下さるわけで・・・」と書いてありますが、あたかも幼稚園児が一生懸命、頑張っている姿を見て親が喜んでいるようなもので、「世界たすけ」を標榜する、よふぼくであるなら、今の世界情勢を見ると、別席場を一杯になんてことは、実はどうでもいいことで、世界に向けて親の思いを発信していくことが大切ではないでしょうか。神名流しも路ぼう講演も別席も世界に向かって発信しているように見えますが、実は教内の人に向かって、私はこんなに頑張っていますよと、発信しているようにうつるのです。
本当に深い思いがあるなら、黙って黙々と親の思いを実行することが大切です。
一番の問題は本部です。親神様の教えは天理教の一部の人の専売特許ではないのです。世界中の人の為のものです。全ておおらかに世界に向けて、包み隠さず発信することが大切です。
おっしゃるとおりです。何をもって「せかいだすけ」と言うのか。
神名流し、路傍講演、別席、修養科も不要です。
神を身近に感じることのできる神殿が、ただただあればいいのです。
そして、教えを心底信じた者が広く世間に出て、各々の場所で教祖の教えを胸に
実践しながら、地域社会で日常生活を営む。
それでいいのではないでしょうか。腐った組織は不要です。
「世界に向けて親の思いを発信していくことの大切さ」はもちろん分かりますが、その方法論を知りたいです。また、幼稚園児の一生懸命な姿でいいじゃないですか。それで人ひとりがたすかるならば。教えを知ってもらえるきっかけになるならば。
前にも申しましたが別席場をいっぱいにというのはきっかけのように思います。教えを伝え、声をかけるのは組織ではなく人です。
世界に向けて発信するという大それたことは私にはできませんが、身近な人に教えを伝え、支え、困った人に手を差し伸べることはできます。
一方で古い教会長さんのおっしゃる「黙って親の思いを黙々と行うこと」と「世界への発信」が私の頭ではうまく結びつきません。
また、布教者の実働の姿をみて、そのように思われるのは残念です。古い教会長さんはさぞ立派な、おやさまがお喜びになる通り方をされているのだとは思いますが、名もなき布教者たちの姿にもおやさまはお喜び下さっていると思いますよ。
本部や組織ですることをもはや性悪説的捉えておられる節が見られますが、うまく付き合っていく方法はないのでしょうか?
私も本部や組織的なものに、これでいいのかと思うところはありますが、古い教会長さんのおっしゃっることには怨恨のようなものさえ感じます。原因は本部にあるのかもしれませんが、私にはその姿が悲しくうつります。
別席や、修養科を今の世の中がどうとかで意味が無いと思う人は、頑張って政治家になって世界を助けて下さい。私は、おさづけをいただき人を助ける事の出来る人を増やしたい。どうでもいいのは、数字です。
「世界に向けて親の思いを発信していくことの大切さ」はもちろん分かりますが、その方法論を知りたいです。・・・・・とのことですが、それは一人ひとりが、ちゃんとした教理を掘り下げる(と言っても、掘り下げる資料がないのですが・・・)、まず「これで、いいのか・・」と疑問を持つことです。何も考えずに、ご本部の言われることは神の声と信じ込むことは、駄目です。(それは神じゃないからです)
自分の頭で考え、自分が責任を持って行動し、決して人のせいにしない。「別席場をいっぱいに」と本気で思うなら、あなたが精一杯がんばればいいのです。人に押し付けるのではなく、みんな一緒にではなく、あなたが、やればいいのです。
素直というのは自分の考えを無くすことではなく、自分に素直に「これでいいのか」と、常に素に直ることです。
だから、あなたの思い信念に素直に責任を持ち、自信を持って行動して下さい。
「名もなき布教者たちの姿にもおやさまはお喜び下さっていると思いますよ」・・・・・それでいいじゃ、ありませんか。只、人に言われて行動しているのはなく、自分の意志で頑張っておられるのなら素晴らしいです。
只、「別席場がいっぱいに」なったとしても、130年祭が終わった後、天理教も、世界も何も変わっていないと私は思っているだけです。悲しませてゴメンね。
ありがとうございます。
正直言って、わかったようでわからん感じです。
私は幸いにも理の親にめぐまれており、年祭活動の取り組みで初めて人だすけに携わらせていただくことができました。中には長く患っておられる身上が回復するような姿も見せていただきました。
そこに至るには様々な人に導いていただきましたし、影響されました。また、その中で、自分のあり方をただすことが多々ありました。
別席場をひとりでいっぱいにすることは私には出来そうにありませんが、この取り組みがあったから、たすかっていただけた方もありました。
病の根を切るたすかりにはまだ遠いですが、別席がそのきっかけになったことには意味があると思っています。
ひとりで世界が変えられるなら、変えてみたいものですが、私には無理です。それに私はおたすけや信仰について良いも悪いも話せる仲間がいて幸せです。原始仏教のような孤独な信仰は私はできません。
年祭が終わって目に見えて変わることはほとんどないかもしれません。私も同意します。
けれど、悲観して道の将来を嘆くだけでは、自分すら変えられないような気がします。
いずれにせよ、古い教会長さんも深い思慮に基づいて信仰されているんですね。同じ考えではありませんが、私も信念を持って道を通らせてもらおうと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
憩いの家は、二代真柱が居たときは良かったのです。その当時は、理事長や医師達も天理教じゃなくても宗教(天理教)に理解を示し、よろづ相談所しか出来ない日本屈指の総合病院にしようと邁進していたが、現在では、京大の若手医師達が経験を積んで、京大病院に帰ったり、他の病院行く為に箔を付ける為だけの病院です。
なので、医師の入れ替わりが激しく、天理教の医師はほぼ居ない。看護師も天理教の人が半分も居ない。
医師は、京大8割、阪大2割弱、奈良医大少々と聞いた事があります。
二代真柱さんの構想から出来たのは知ってます。高円宮殿下から、何故天理教は病院持たないのか?と言われたのがきっかけだったようですね。初代、山本俊平名誉院長は当時の大阪の北野病院の方でした。建物は竹中工務店
しかし、1966年に出来てすぐに二代さんは急遽他界されましたね。この急死は、現在の天理教に繋がる部分において、もっと長生きされて人事を上手く制度されてれば、また違っていたかもしれないとも思います。
真の意味では、個人的に「関根豊松」さんに非常に興味を持ってます。本物とはこういう方なんだろうと思える方です。
『先生』と呼ばれる人たちの話に必ず出てくる決め台詞「おふでさきに〜とあります」。そして続くのは「私はこれを読んで〜と思うのです」。
原典がとても大切なのはわかります。しかし、あなたの解釈を聞かされて納得できなかったら、それは不足と受け取られるんですよね?
そしてさらに「先人先輩方は官憲の迫害を受けながらも命を賭けて道をつけて下さった。ところが今はどうですか?堂々と信仰できるじゃないですか。こんなに結構なことはない」
だから書物を紐解けばわかりますって…。要するに「テメーらもっと必死こいて尽くせやオラ!」としか聞こえないのです。
あぁ。こんなこと思ってるから助からないんだろうなきっと。わかってる。わかってるけど…。
私の友人は常に言われたそうです。
「天理教が人を助けるのではありません。助かる道を教わって、その道通って助かるのです。信仰しているからいい、天理教やっているからいいでは、何年通っても、運命は切り替わりません」 更に 「神様、こうして下さい、ああして下さい・・・と頼むのじゃなくて、教祖のひながたを見つめて努力することが、信仰そのものなんです。神様を拝むのが信仰でもなければ、お参りするのが信仰でもありません。お金を供えるのが、もちろん信仰ではありません。 『今日も一日、教えられた道を守って通る努力をさせて頂きます。・・・』と心にきめて、努力することによって、自然に与えられてくるのが天理なんです。」と。
教内の者だけが理解出来る言葉を使い、納得する。世間の人はまるで理解出来ない。そんな自己満足な信仰がはびかっている限り、教祖の嘆きは益々増えて来るでしょうね。
今日、中席者を、お連れした。別席を終えて出て来られた、その方が「今日は、只たんたんと顔も上げずに、話されて、語尾がよく聴きとれませんでした。」「途中で部屋を出たり入ったりする人がいましたが、注意することなく、同じペースで話されていました。先生と一度も目が合いませんでした。」とのことです。
遠い所から、お連れした方です。神様の思いの一端を感じられる別席になって欲しいですね。
これからの社会、教えに対して疎い人が増えていくでしょう。
しかし、私は、そんな人たちにも、教えの喜びを知ってもらいたいです。
そのため、私は日々布教活動に、勇んでつとめさせていただいています。
会長後継者 様
日々、布教活動に勤めておられる様子、誠にご苦労様です。
水を差すようですが、現行教団本部の教え、在り方に疑問を感じている一人です。曽祖父母の代から信仰を受け継いできたものですが、ついに私の代で現行天理教から引きました。
確かに、喜びの教えが存在したことは認めます。しかし、究極は、教会との関係がお金の多い少ないの問題に転嫁されてしまったのです。
所属教会、上級教会、大教会そして本部と際限のない建築、記念祭に息切れしてしまったのです。私は80歳目前の老人です。少ない年金で市町村民税も非課税の家庭です。
それでも、所属教会長から、少ない中からでもお供えをするか、子供たちに出さすのが、まこと真実だと聞かされて、門徒から嫁に来たにも拘わらず「おさづけ」を拝戴した妻が信仰から離れる決断をしたのです。
その結果、今日まで信仰に多少の理解を示してくれていた3人の子供たち(といっても40歳代から50歳まで)も天理教と絶縁してしまったのです。
喜びうる教えを披歴するのが現行教団の緊急の課題ではないでしょうか。
教団が教えの在り方を根本から見直さずに、個々人に現行の教えの実行を求めるのは本末転倒ではないかと思うのです。
お供えしろの連呼では、「過労老人」や「老後破産」という現実が論じられている今日、このような問題の解決に有効な「教え」を披歴できなければ、教団は社会的な存在感を喪失するだけです。