修養科という査定ライン

本日は26日。

天理教教会本部の月次祭(つきなみさい)であった。
GWの始まりであり、私も久しぶりの休日で知り合いに連れられて参拝した。
近鉄難波駅から急行で1時間くらい。手軽に行けるものだ。

私は天理教ではないので、天理市の本部には幼少も含め数回しか行ったことがない。
お世話になっている教会にはよく行くので黒法被を見慣れているつもりだが、
それでも大集団の黒法被は見るものに威圧感を感じる嫌なものである。
見るものにマイナスイメージを植え付けるのは好ましくないと思うのは私だけだろうか・・・

儀式的ウエアなら考慮する必要があるが、元々は作業着(ひのきしん着)である。
教義的解釈云々ではないので時代の変遷と共に変わっていってもよいものの一つだと思うが
何故誰も「黒法被そろそろ変えませんか?」と意義を唱えないのか私には分からない。
天理教以外の人間が不快に思うことなんて頭の片隅にでも想像できないのだろうか。
もしくわ黒法被は不快(ダサイ)なものと周知であり、踏み絵のようなものとして存在し
天理教信者を規定する無意識的証明であるのだろうか。

両方間違いではなかろう。

天理教人にとって同じ踏み絵的機能を持つものの一つに修養科がある。
天理教人以外の人のためにも説明すると、修養科とは天理教の修行課程である。
3ヶ月間、天理教の勉強と実践を行うものである。
もちろん詰所と言われる信者施設に泊まり込みで修練するのである。
過去に何回か会社や地域や学校で「天理教施設に3ヶ月行ってきます」と
言った人間がいたが、恐らく修養科に行ったのであろう。

なぜそれが踏み絵的機能を持つかというと天理教人にとって
修養科を経験したか、していないかというのは大きな問題であるらしい。
確かにいい大人が3ヶ月も集中して天理教に没頭するわけだから
ある程度の天理教に対する決意がないと参加できないのも確かであろう。
ということは、修養科を経験した人間は天理教的な一人前という見方がある。
修養科に行かなくては信者になれないというものではない。

なぜ今回のテーマが修養科なのかと言うと
それは今日、修養科に行っていないことで周りの天理教人に陰口や皮肉のように言われ
苦しんでいる人(以下Mさん)を知ったからである。
Mさんは人生半ばで天理教信者になり非常に熱心な信者である。
修養科にも行かなくてはと常々思うが、Mさんは家計を支えているために
修養科には行けずにいる。何年も前から修養科を勧められているが行けないのである。

「それはしょうがないよね」と私なら思うが、
度々、周りの天理教人に「Mさんてまだ修養科行ってないよね」と行けない事情を知っている
人間から言われるのである。

私はこの件に関して非常に怒りを覚えている。
なぜなら、Mさんだけでなく、Mさんのお子さんに対しても天理教人は同じ言葉を言うのである。
「お父ちゃん修養科まだ行ってないのよ。行かないとだめだよ。」というふうに。
私がこの件に関して聞いたのも、Mさんの子どもから間接的に聞かされたのである。
Mさんの名誉のために言うが、Mさんは人として立派な方である。
他者を不快にさせることは決して口にしない方である。
だからこそ、天理教人の振る舞いに対して遺憾に思うのである。

他者の気持ちに敏感であれ。いや、もう敏感にならなくていい。ただ、ただ、
他者に葛藤を仕向けるような振る舞いだけはやめてもらいたいのである。

このケースは私がこのブログで主張したいことの本質でもある。

天理教人は人間よりも天理教の教えが大切なのであろう。
私はそういう方は死んでもらって結構と断言する。

修養科という査定ライン」への10件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 無題
    修養科終了の信仰三代目ですが、私はあなたの意見に全く持って同感です。
    逆に言うと私も含めて「ならず者だから天理教をやっている」という見方もできます。
    私も他人様に、まちがっても天理教は勧めません。

  2. 匿名

    2. 無題
    tenrikyo-huyouさま
    天理教社会学研究所を運営しおります。
    カインと申します。
    つたない文章を読んでいただきありがとうございます。
    tenrikyo-huyoさま(凄い攻撃的ネーミングですね・・)も色々とご苦労されているのが伺えます。しかし、ならず者だから天理教を信仰するという点は同意できません。私が批判している点の一つにそう考えさせられる歪曲された教えの存在であります。ならず者なんて口が裂けても言えません。天理教内において、他者を序列化させているのは由々しき問題です。
    最後にtenrikyo-huyoさまにとって天理教を他者に勧められるように天理教組織が変革することを願うばかりです。

  3. 匿名

    3. 失礼します。
    日記を読ませて頂きました。

    感動しました。
    私は去年修養科に行ったのですが、私自身に信仰心はなく、信仰している親のたっての願いで志願しました。

    朝つとめや教典や修練など、慣れるまで吐き気がしてしょうがありませんでした。
    特に黒法被に囲まれる本部でのおつとめは、苦痛以外の何物でもなかったです。
    修養科生はずっと法被を着用してなければならないのも、疑問でした。

    そして、一番腑に落ちないのは、みな兄弟、平等の教えがありながら、どう見ても教会同士、そして教会内でも上下関係があることです。修養科で直に天理教にふれて、ピラミッド式の図しか見えませんでした。

    長々と申し訳ありません。

  4. 匿名

    4. 無題
    コメントありがとうございます。
    cocoaさまのコメントを一読させていただきました。「信仰のない中、親のため」という思いには深く感動すると共に、そんなcocoaさまに今の天理教は必要なのかと考えさせられました。天理教人を見渡した時に、天理教を信仰しない人の方が「まとも」な方が多いと感じられ、cocoaさまもこのご時世に親を大切にされているということで非常に「まとも」な方だと思いました。
    天理教の教義は大切にすべきですが、その他の人工的価値や概念は洗い直す時期にきていると思いました。

  5. 匿名

    5. お返事ありがとうございます。
    そんな立派なものじゃありません。
    修養科がどんなところかなど全く知らず、あんなにも拘束されるところだとも予想せずに、ただ流されるまま、という感じです。
    天理で会うご年配の方々には「若いのに偉いね。親御さん思いだね。」などと褒められ、それも不気味に思えてしまって、正直エライところに来てしまった、などと思う始末でありました。

    でも天理教に興味をもったのも事実です。
    詳しく知り、そのうえで現状とのズレを指摘したならば、ふんぞり返っている大部分(と私は感じました)の会長"先生"がたは何を感じるだろう、程度のもので、カインさんの足元にも及ばない軽い考えですが。ごめんなさい。

    カインさんのブログは、非常に参考になり、興味深い意見ばかりでした。
    これからも拝読させていただきたいと思います。

    最後に、
    私は"天理教"の集団は嫌いですが、教えや信者の方々個人個人は、素敵だと思っています。
    修養科で出会えたある教会の娘さんとは今でも連絡を取りあい、良い友達です。
    少し、弁解までに^^

  6. 匿名

    6. 無題
    世界の皆が、根源神を自覚できたとき、もはやこの世に宗教は不要になると思います。
    しかし・・・・私は・・・親神(根源神)=中山みき・・と信じたい。

  7. 匿名

    7. お返事のお返し
    cocoaさま
    お返事ありがとうございます。全くもって私はcocoaさまに同感です。同時に尊敬を覚えます。それは宗教と人間というものをきちんとわけておられる点であります。その融合を目指すために信仰があるのだと思います。それがごっちゃになっている人は見ていてシンドイですね。もちろん、そう考えた時に人間として尊敬できる天理教人は沢山おられると思います。「誰に出会うのか」この問いが天理教を信仰する上で致命傷になりかねる状況では天理教の信頼は高められないと思います。

    tenrikyo-huyouさま
    世界の皆が根源神を自覚なんてできるのでしょうか?そもそも根源神って何ですか?

    信じる気持ちを誰も否定はできません。自由です。私の考えは陽気暮らしは決して達成できない、しかし、そこに天理教の存在意義はあります。

  8. 匿名

    8. カインさま
    お返事ありがとうございます。
    根源・・・なんて偉そうな事言ってしまいました。
    正直・・・お道のみならず宗教というものが、人間にとって必要か不必要かで日々もがいてるんですよ。
    私は、陽気ぐらしどころか、「この世は苦の連続だ」と考えてる始末です。まずは、生かされているという感謝の気持ちをもつことが私には必要なんでしょうけど。宗教は難しいですね。
    とりとめもなくてゴメンナサイ。

  9. 匿名

    約30年前 修養科いきました。親の勧めもあってです。私も独立する前だったので 最後にケジメつけとこうかなぐらいでした。曽祖母からですが いろいろ強要されたこともなかったので 軽い気持ちで行きました。人生修行の場所とか言ってたかな ホントに軽い気持ちだったから 帰ってきてから「修養科出たのなら〜 修養科出たくせに」と後々の人生にまで 関わってこられたことに おどろいてます。Mさんのように 働いて養う子供がいるのなら無理にいく必要ないと思います。10年前の話にいまさらですが

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