天理教平和の会を考える

ネットで「天理教」を検索してみると
「天理教平和の会」という団体がでてくる。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-09/2007040914_01_0.html
扱われている媒体が「赤旗」って・・・敢えて突っ込まないが。

この団体は閣僚に対して9条を守るよう要請したようだ(昨年の話だけど)

彼らの主張は、以下上記URLより引用。

<<「おふでさき」をひき、「教祖の教えの根本は『世界はいちれつ兄弟姉妹』
『陽気ぐらし』世界の建設」であり、「陽気ぐらしとは『むほんの根がきれる。
すなわち恒久平和が実現される』(天理教事典)」ことだと指摘。
「こうした教祖の教え、つまり天理教立教の精神は、恒久平和を原則とする日本国憲法九条の
精神そのものと私たちは確信し、現憲法九条をまもることこそが、教祖の尊い教えを
まもり広げること」だと述べています。>>

なるほど。分かります。
私も個人的思想としては保守リベラルと言われているので、9条は守るべきものだと思います。

しかし、彼らの天理教の教え=9条を守るという推論に対しては同意しかねる。
それは天理教立教の精神が恒久平和を原則とする憲法9条の精神そのものだと
確信するに至った経緯が読み取れないからである。
天理教の教え=平和 というのは分かる。
しかし、9条=平和 というのは未だ社会的合意(成熟)は形成されていない。
三段論法のようにa=b、b=cはa=cで考えると
天理教の教え=平和=9条となってしまう。
これは飛躍しすぎてはいないだろうか。

なぜ9条が恒久平和になるのか、という金科玉条がない。
9条がもたらす平和とは何か?
天理教の陽気暮らしは平和なのか?
平和とは何なのか?
その答えには、辞書(天理教辞典、そんなものがあるのか)で引いた程度の定義しかないのである。
彼らの推論には日本の平和という近視眼的、独善的意図しか見えてこない。

私は当初、彼らの主張を知ったときは「おぉやるなー」と思った。
しかし彼らがどんな理論と哲学を持っているのか読み取れなかった。
また、それを丁寧に説明している形跡もない。
飛躍した推論というのは精神医学では妄想様観念と言う。

天理教の陽気暮らしと世界の平和、日本の平和を一緒にしてよいのだろうか。
しかし、こんなナイーブな問題を彼らは堂々と主張し、為政者に書簡を送るくらいである。
(為政者に対して「9条守れ」という書簡を送ることが天理教的行動として疑問であり、
慎みというものは感じられない)

彼らの単純性を省みると「赤旗」に掲載されている意味がなんとなく読み取れる。

天理教は政治的スタンスにはあまり干渉しない。
それはとても大切なことであり、私はそういった姿勢の天理教に好意的である。
政教分離を考えるならば、政治的スタンスを明確にする宗教者は宗教者としても疑問である。
(「政治的スタンスをとらない」というスタンスは別にして)
もし、彼らが本気で平和を考えるならば、政治的スタンスを明確にすることは賢明ではない。

彼らの視点では、天理教教団が政治に対して消極的過ぎる姿勢も彼らを苛立たせているだろうと思う。

私は以前、「天理教教団は意見を明確にしろ」と言ったことがある(たぶん過去のブログで)
それは平和の会の人たちと同じじゃん?って?

いえ、違います。
私が教団に対して意見を明確にしろと言ったことは、
平和の会が政治的意見を明確にすることとは水準が違う。
それを説明すると、私が「教団は主張すべき」といったのは、確かヒロシマや戦争を論じたときだと思う。
つまり、私が主張したいのは天理教の政治的スタンスではない。
戦争反対やNo more ヒロシマというのは政治的スタンスではなく
既に社会で合意形成された常識なのである。
(右翼などは政治的スタンスとして戦争賛成を言うが、右翼の根底思想は戦争を止める(平和達成)
ために戦争という手法を用いるというパラドックスであり、本来的には右翼は戦争を望んでいない)

戦争反対などという誰も望んでいない「当たり前」のことを主張しなさいと私が言うのに対して
平和の会は具体的な政治スタンスを明確にしろ、と言っているのである。

国会を見れば分かるが、政党や派閥によって色々な意見がある。
しかし、どんなに意見が違おうとも根底には「日本を良くしたい」というものしかない。
私は当たり前のことを当たり前に言えと言っているだけ。

私の言っていることは政教分離において十分可能である。
しかし法律にあーだこーだと口を出すことは政教分離ではない。
彼らが行っていることは政治に干渉できる第二の学会でも作ることなのだろうか。
学会と公○党の関係を見れば、それが不透明で不健康なことぐらい皆知っている。
(同時に宗教全般に対する国民の畏敬の念を低下させている部分もなくはない)

なぜなら彼らの意見(9条を守れ)が政治に介入することは、政教分離を否認することになる。
(書簡を出してまで、まさか自分たちの意見が通らないことを望んでいることはあるまい)

どれにしても彼らの説明不足は否めない。

彼らが政治に言及する理由。
平和が目的なのに、わざわざ9条に固執する理由。
天理教という名を冠することへの理念。

これらにおいて私は宗教、政治、平和に対する軽卒さしか感じられない。

昨年彼らの活動が3周年を迎えたようである。
3周年大会において全国から30人弱の人数しか
集まらなかったそうである。会員は70人程度。
そのことを考えるなら、この会に参加しない天理教人は
怪しいものには近づかない、なかなか優れた身体感覚を持っているのではないかと思う。
http://nara9jou.exblog.jp/7905367/