記事の更新が滞っており申し訳ない。
3週間ほどほったらかしで、放置最長期間である。
私事で申し訳ないが、この間公私含めて休まる暇がなかったのである。
おかげで、友人の医師からは睡眠障害の診断を頂戴した。
睡眠障害と言えば、眠れない不眠症が一番メジャーであるが、
私の睡眠障害の特徴は早朝覚醒なのである。その名の通り朝早く目が覚めるのである。
入眠はスムーズである。
朝のおつとめがある天理教の人には羨ましがられるだろうが、
通常の私の起床時間は7時前後である。8時の時もある。
しかし、たっぷり寝ているわけではない。夜は大体2時3時くらいに就寝である。
それが早朝覚醒になり、夜中2時3時に寝ても5時には目が覚めるのである。
また日中にはヒドイ睡魔に襲われることもあり、慢性的な頭痛というおまけつきだ。
睡眠障害というのは本当に辛い。この辛さはなって頂かないと分かってもらえない。
しかし7月も今週が終わればストレッサーであるプロジェクトも落ち着くはずである。
早く今週が終わってほしい。
それはさておき、3週間放置していた間に3つくらいメールを頂いた。
その返答を今回の記事にかえたい。
長々と書かれたものや、なんだかよくわからないものもあったが
メールの内容を簡単に説明するなら「お前は誰だ?」ということである。
私は誰か。アイデンティティなど私も教えて欲しいくらいのアポリアである。
メールの質問項目に沿って答えると
私は学者ではない。
宗教学は専門ではない。
天理教に興味がある。
天理教信者ではない。
社会学者でもない。
普通にサラリーで働いている。
メディアには基本でない。
天理教の教義をよく理解していない。
私は女ではない。
天理教の味方でも敵でもない。応援はしている。
天理教教義は素晴らしいと思う。
天理教の縦組織構造は歴史的使命を終えたと思う。
年は30後半である。
天理大学に在籍はしていない。
どこの教会にも在籍していない。
(関わらせて頂いてはいる)
以上だったかな。
ただ、以前も言ったと思うけど、
匿名にしている意味はちゃんとある。
理解されないかもしれないが、宗教のような濃くてコアな話をすると
誰かが被害を被る場合がでるからである。それは何としても避けたい。
また、そのために有益な経験談を隠すこともしたくない。
なので、読者の方には「こういった屈折した考えの人もいる」程度に考えてもらえればよい。
ただ、プライバシー保護により脚色はしているものの、ほぼ実話である。
また個人を特定できないように配慮しているため
上記に挙げた私の個人情報も場合により脚色してあるため
2、3本当でないことも書いてある。
(本当ではないが、嘘でもない)
ご了解ください。
いつも お世話になっておりますm(__)m
新しい予言書を発見しました!
見ていただけると光栄です。
「神々様からのメッセージ」
http://kisu.me/RNE
神々様からのメッセージ。読ませていただきました。
教会に生まれ、教会長を引き受け、先祖供養、つまり朝夕のお勤めに精神的かつ肉体的両方の負担を感じております。出来ない自分をご先祖があの世で憂いているかもとか、今の自分の姿を残念がっておられるのではないかなどなど。
神々様からのメッセージ中、先祖供養についての項を読み、いつ何処にいても両親始めご先祖は、今現在の自分がより良く生きる事のみを応援してくれていると言う事に大きな安堵感を覚えました。
祈る心の姿勢は大事です。しかし神前にぬかずかなくても拍子木を打たなくても、何処に居ても自分がより良く生きる姿勢を求めて努力している限り神もご先祖様も今の自分を応援下さる。
なんだか妙に納得しました。我々が天理教団で教えられた神は怖いもの。しかし神と言うものの真相は全く別物かもしれませんね。
悩める者を暖かくも安らぎの境地にいざなう素晴らしい神々様のメッセージをご披露下さりありがとうございました。
預言者さま
引き続き投稿失礼します。天理教本部に御坐する人間元始まりの「世界だすけの親神」からのメッセージが受け取れるならばご披露くださいませ。
天理教の神は現在の教団の在りようを如何に見ておられるのか?知りたいところです…
匿名様。
>教会に生まれ、教会長を引き受け、先祖供養、つまり朝夕のお勤めに精神的かつ肉体的両方の負担を感じております。出来ない自分をご先祖があの世で憂いているかもとか、今の自分の姿を残念がっておられるのではないかなどなど。
教会に生まれ、教会長を引き受けているだけで、十分親孝行です。
神から見れば、あなたが機嫌よく毎日を暮らして居ることだけで十分満足されていると思います。
難しく考えないで、自分の生活を一番に楽しく通って下さい。
お金がなければ、お供えはしなくてもいいのですよ。そんなことで怒る神ではありません。
>お金がなければ、お供えはしなくてもいいのですよ。そんなことで怒る神ではありません
金銭を必要とするのは宗教法人や人間であって神仏ではありません。「信じる者は救われる」ということです。
神仏を信じてその教えを現実の中で実践することこそが信仰生活というものです。お金を出すとしたら、宗教法人に献金という形でするよりも、近所の幼稚園のバザーに行ってコーヒーでも飲んで、地域の教育機関に寄付という形でしたほうがよほど神仏の御心にかなうのです。