天理教の問題は、一部の人間の問題か、組織の問題か

最近よく言われるのが、「天理教の評判を下げることをやっている人間は、天理教の中のごく一部の人間であるから、天理教全体を悪く言うようなことはやめるべきだ」である。気持ちは非常によくわかる。しかし意地の悪い返事をするのであれば「あなたはそれを知っているのに声をあげないのですね。陽気ぐらしというのは、天理教で苦しんでいる人を無視することですか?」と言いたい。(言わないけど)

フォローをするわけではないが、私がこれまで俎上にあげてきた話題や経験談は天理教の一部の人間によるものである。だから人を苦しめない天理教人には少しの敵意もない。むしろ教えに基づく社会貢献をされている方も多く応援したいと考えている。しかし、私は「天理教は素晴らしい」と言うつもりは全くない。なぜなら、その一部の人間を生んでいるのは、天理教の構造的欠陥だからである。つまり、天理教の一部といえども、それが天理教組織の方針であったり、悪を知りつつ声を上げようとしない天理教人は、すべて共犯関係にあると私は認識している。

私がこれほど天理教にコミットするのは、私の知り合いの、昔から懇意にしてもらっている天理教の方が実際に苦しんでいるからである。特に若者が天理教に苦しめられていることを知った以上、力になってあげたいと強く思っている。

最近、以下の天理教掲示板が賑わっている。書き込まれている多くの方が天理教関係者か、元関係者だと思われる(天理教被害者の方も含む)。
天理教の「お供え」について

ここに記載されている体験談や経験談は、私が経験し発言してきたことと重なることが多い。もちろん教義の解釈などについては私の理解が追いつかない点も多いが、強引なお金の取り立てや権力の暴走は複数の方が同じ文脈で発言されていることは着目すべき点であろう。これを一部として済ませてしまうのは、臭いものには蓋をしてしまえという隠蔽の意図が見え隠れする。

天理教の構造的欠陥については、実の親ではないが「理の親」と呼ばれる信仰上の親の権力性が天理教にはある。私理解では、この理の親は本部や大教会長や会長を指すことが多い。この権力性が強いために様々な問題が生じている。

・若者の婚姻関係にまで第三者である大教会長や会長が意見したり介入したりする。
・結婚式を教会本部であげさせない大教会長のルールがある。
・天理教一れつ会という奨学金財団では、信仰上の権力者である「理の親」(大教会長)の署名を求める。
天理教施設である詰所に在籍する天理大学生は天理教行事に参加しないと、大教会長から退居するように脅迫される。

上記の事例は、これまで私が証言と証拠とともに集めた事例の一部である。そしてこれらこそ、天理教本部の組織や、宗教法人天理教教会本部の責任役員の組織(大教会)でおこなわれていることである。責任役員ということは、天理教の政治的、法的決定をおこなう中心的幹部である。このことをもって、私は「天理教は間違っている」ということをの一部の人間で終わらすことは決してしない。もう一度言う、天理教の構造的欠陥を維持しているのは天理教責任役員でしかない。法的権力もリーダーシップもない真柱などどうでもよい。

私はこれまで、上記の事例については、その都度、奈良県、天理市、京都市などの相談窓口や該当部署に通告している。話は親身に聞いてくれるが、私が当事者本人ではないということで事例に対して対応はとれないということであった。人権窓口は基本的に通告すれば対応の結果まで教えてくれることになっている。私も当事者に確認の上で対応までは求めていないため、行政報告という点で留めてもらうように働きかけている。きちんと声をあげて、上記のような天理教で頻発する類似のトラブルを知ってもらう段階と考えている。

ただ、行政に報告するだけでは何も事態が進展しないことは承知している。1年ほど前より、何名かの研究者と連絡を取り合う中で、今後の動きは練っていた。昨秋には天理教の脅迫的集金方法や天理教責任役員の言動について国にも通報をした。本来であれば宗教法人の管轄は都道府県や文科省管轄の文化庁であるが、戦略的に現時点では総務省と消費者庁に相談した。すると「国としては個別の事象に対応するこは難しい。国が動くためには一定程度の数の声がなければ動けない」という助言をもらった。(総務省は消費者庁に比べて少し素っ気なかったが)。

今月26日には天理教では教祖が亡くなって130年という重要なタイミングである。ここでどのよな発表があるのかはわからないが、この前後で天理教の権力の支配と集金方法に大きな改善の動きがなければ、次の展開に進みたいと考えている。

以前は私も天理教が悪いのではない、”一部の天理教人”だけが問題であると思っていた。しかし調べれば調べるほど、天理教全体の構造的欠陥であると感じるようになった。ノルマ制の集金方法や、人々に不安を与えて努力を強いる言葉は天理時報に溢れている。社会から見たときに、このような狂った組織は、きちんと社会の評価を受けて是正されなければいけないと思う。集金ノルマを課しているような組織が「ひとだすけ」と言ったところで誰が信じようか。

私は以前はおこなってなかったが、現在では天理教幹部の組織図と人名はすべて把握している。天理教の名がついたアカウントはすべて監視しており、天理教という文字がネット上に上がればすべて収集できるようにしている。これも多くの方々の協力だと感じている。これらのおかげで天理教の苦しんでいる方の声なき声と、天理教の異常な組織構造が垣間見れる。

「カインは天理教を潰したいのですか?」と言われるが、まったく違う。
「苦しんでいる人を助けてあげたい」、それだけである。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

天理教の問題は、一部の人間の問題か、組織の問題か」への45件のフィードバック

  1. 探究心

      天理教の問題は、天理教団の組織の問題であります。
      まずもって、組織に民主主義的発想がありません。
      組織の構成に、民意が反映されていないことが、そもそも問題であります。
      次に、その問題点に物申す場所が、一般信者には与えられていません。
      かといって、本部でデモをしてみんなの思いを訴える勇気もありません。
      なんとか、みんなの声が届くように、神さまにお願いするしかありません。
      また・・・・・

  2. 古い教会長

    大教会長の不祥事をよく見聞きする。
    本部で手を打っておられるようだが、なかなか上手くいかないようだ。
    大教会長が不在になったら、大教会内の教会長の中から、選ばれて大教会長になればいいと思うが、そうはならない。
    必ず本部から派遣されて来る。教区長も教区内の会長の中からみんなで選んだらよいと思うが、本部の意向が大きく左右する。何の権限もなく独自性もなく教区の下請けが仕事の支部長だけは支部内で決まる。
    支部長といえば何十か所かの教会の長だから、大教会長ほどの権限があるかと思えば、違う。支部内の教会のお世話と下働きが仕事である。
    我々教会長は、水飲み百姓みたいなもので、元気過ぎるいろいろ物を申したり、意見する。死んでしまったらお供えも当番もひのきしんもしてくれない。元気過ぎず、弱り過ぎない程度に生かしておくのが丁度よい。
    そんな感じに思います。
    だから、私は元気過ぎて目障りと思われています。

  3. 匿名

    >我々教会長は、水飲み百姓みたいなもので、元気過ぎるいろいろ物を申したり、意見する。死んでしまったらお供えも当番もひのきしんもしてくれない。元気過ぎず、弱り過ぎない程度に生かしておくのが丁度よい。

    すみません
    笑っていいですか
    あまりにも的確なお言葉に何度も笑ってしまいます
    古い教会長というより明るい教会長さん 楽しすぎ
    ハァ~ 
    百姓一揆起こしましょう

  4. 古い教会長

    匿名さん、有難うございました。
    言葉足らずを訂正します。
    >我々教会長は、水飲み百姓みたいなもので、元気過ぎるいろいろ物を申したり、意見する。死んでしまったらお供えも当番もひのきしんもしてくれない。元気過ぎず、弱り過ぎない程度に生かしておくのが丁度よい。

    我々教会長は、水飲み百姓みたいなもので、生かさず殺さずが丁度よい。
    元気過ぎるといろいろ物を申したり、意見する。
    死んでしまったらお供えも当番もひのきしんもしてくれない。
    元気過ぎず、弱り過ぎない程度に生かしておくのが丁度よい。

    徳川時代の士農工商の身分制度に似ている。
    農は上の立場にあるように見えるが、とても貧しく生きている。

  5. 匿名

    ・ひのきしんをしないから健康になれない
    ・信者家庭の子供が信仰しないのは親がしっかり教えないから
    ・お供えしないからお金に困る
    ・信者がにおいがけしないから信者が増えない
    ・大教会長が動かないから我々も動けない
    ・おつとめをちゃんとしないから事情がおきる
    ・熱心な信者もいればそうでない信者もいる
     どうか助けあって頑張って欲しい(何をどうがんばるのか察して)
    ・夫婦でがんばれ
    ・部内の後継者ができないのは会長の働きが足りない

    以上 教会長の講話 超カンタンに略する  
    一般のダメ信者より 

  6. 匿名

    続きです
    すると・・・
    お金にも困らず、健康で元気な、大きな悩みも無い人はお参りしなくてもいいということですね
    只、神様にお礼申し上げに行くのもありだと思いますが。
    どうしたものでしょう

  7. 匿名

     江戸時代、実際に幕府を動かしていたのは、将軍様では無く、大老、家老たちだったように、天理教組織を支配しているのは、真柱ではなく、本部の幹部、役員達なのですね。そして、我々末端の水呑み百姓たちは、米のほとんどを年貢に納め、ヒエ、アワを食べながら、日々生きていくだけで精一杯といったところですかね。
     江戸幕府が、時代に呑まれ、消えていったように、早く、この古くさい封建組織に、民主的な改革が起こるよう、望んでおりますが・・・、いえ、今、改革の種が芽吹きつつあるかもしれません。カインさんのおかげで・・・。

  8. 一読者

    匿名さんなど、様々な方のコメントを読ませて頂いてきて、色々なご事情や苦労が、とても伝わってきました。
    しかし、いつしか自分が救われてるどころか、どこか貶められているかもしれないということに気付きながら、
    何故それらを許し、自ら低い立場を受け入れたまま、「やめる」ということをしないのでしょうか?
    様々なご事情もおありだと思われますし、このようなことを申し上げるべきではないのかもしれませんが、
    でも、不思議なのです。
    お金持ちの人は、お金をとても大切にされると聞いたことがあります。
    死に金は使いたくないと。だから慎重にもなると。
    これは単にケチだとか惜しいということではなく、大切だから(稼ぐという大変さも知ってるからこそ)
    大事なものだから、慎重に扱うのではないでしょうか?
    だからこそお金にも好かれるのでは?
    だれだって自分を活かし、大切にしてくれる人のところへ行きたいものです。
    お金は悪者ではなく、使う人の心次第で生きも死にもするものだと思います。
    自分のところへ縁あってやってきてくれたお金は自分が責任を持って大切に使ってあげることで活きる。
    こちらのブログのコメント欄にも様々な事実が溢れていますが、神様へ、という名目ではあるが、
    何に使われるかもわからない、誰が使うのかもわからない、「おつくし」「お供え」など独特の説得力のある言葉
    で表現されてはいるものの、何かどこか明瞭ではないことに気付きつつ、見て見ない振りをしながら
    お金を払い続けることの意味がわかりません。
    はだかの王様に出てくる、本当は事実を認識はしているものの、自らの保身の為に見えない振りをして、
    自分も周りも誤魔化し続ける大人ではなく、現実をありのままに真っ直ぐに見る事の出来る子供の純粋な目は
    大人になっても必要ではないでしょうか?
    そちらの方がある意味「神の目線」といえるのではないでしょうか?
    神は見抜き見通し、神の世界には誤魔化しも保身もはぐらかしも存在しないのですよね。
    お金も自分の意思で皆の幸せの為に使えば有効に使われたかを明瞭に見届けることができます。
    お金だってこの世に存在している以上、理由があって神様が与えてくださっている大切なものだと思います。
    だとしたら、皆を不幸にする為ではなく、幸せにする為なのでは?
    神様が与えてくださった大切なお金というエネルギーは自分や皆の幸せの為に役立てるのが御心に
    適っているのかもしれないなどとも考えます。
    上納金のようなお供え制度よりも、それぞれが自立し、会場費等必要経費の明細から人数割りして、
    お互いに学びあう為に必要な金額を明朗にして、皆で無理のない金額を協力して負担しあうのであれば
    問題にはならないのでしょうね。

  9. 匿名

     一読者さんの言われる通りですね。信者は莫大なお供え、空恐ろしい程の金をご本部に払い続けてます。それがどのように使われているか、知る事も無い、知ろうともしない。信者さんのお供えを出す心の内は、ひたすら、神様へのご恩報じ、又、神様のご利益(運命好転、病平癒等)を願ってのことでしょう。只お供えをすることに心を傾け、後のことは、神様におまかせ、としているのですね。
     そして、末端教会は、本部、大教会、上級等の縦組織の最下層に、なぜ甘んじて、上に物申さないのか?
    上に楯突くことができない程、歪曲された教理(理の親、たんのう、不足は切る理、)を叩き込まれ、それらを疑うことが、自らの存在価値を、自分達の足場を失う程の洗脳に縛られているから、ということでしょうね。
     カインさんの記事を眼にして、目覚める末端会長が増えてくれば、こういう、害でしかない、縦組織が壊れていくでしょうね。できるだけ、多くの方がこのブログを眼にしてくれればいいと思います。

  10. 古い教会長

    その昔、修理巡教で来られた本部准員の先生に、「本部の先生方で、天理教改革の談じ合いは、されていますか?」と質問すると、「それはしていません。本部で改革はできません。むしろ地方の教会長さん達に声を上げて貰うことが改革に繋がると思います。」と言われた事を思い出します。

  11. 匿名

     上に素直な教会長程、歪曲された教理に毒されています。
     そしてもう一つ、やはり、教会長が世襲制である、ということが大きいでしょうね。天理教社会の中で育ち、道一条で、世間に出て働いたことのない教会長などは、天理教社会の中の価値観しか知りません。金を得ることが、いかに大変なことかを知らない、単に信者から、無尽蔵に得られるものとしか、認識していない。そして、信者から入ってくる金を、上に上納すること、又、金額が多ければ多い程、教会長としての、神様に対する信仰の篤さを表すものになっているのです。金を上がどう使おうが、上納する教会長は関心が無いのです。
     つまり、一般の世間の感覚とはかけ離れているのです。

  12. 匿名

    本教を愛する信者一同は御供をやめる、もしくは減らす事が本教再生の道でありましょう

    全分教会長様達は真柱様ご招宴の直会によばれますが
    各分教会では信者様に普段よりはちょっとはましな直会はありますでしょうか

    26日 
    真柱様のお言葉は誰に向けて
    感謝と御礼を申し上げられるでしょうか
    当然 教祖に向けて述べられるでしょうが
    慎みの無い会長様に向けてだけはお控え下さい
    寒い中、初めてお参りされる大勢のお客様に喜んで頂けるお話をして下さい
    御供はNGです
    っていうか原稿は真柱様がお考えになっているのか知りませんが。

     今後、大教会やらは詰所や神殿の補修、建て替えなどまだまだお打ち出しされるでしょう
    きりなしふしんは 切り無し不信 これっきりにしてくだい

  13. 古い教会長

    匿名さん、
    >上に素直な教会長程、歪曲された教理に毒されています。
     実は、それは五十歳までの私の事です。
     
    >世間に出て働いたことのない教会長などは、天理教社会の中の価値観しか知りません。
     おかげさまで、世間で働いた経験があったことが本当によかったと思っています。

    >本教を愛する信者一同は御供をやめる、もしくは減らす事が本教再生の道でありましょう
    「お金が集まっている限り本部は変わらない」と、知り合いの会長も同じ事を言っていました。

  14. 徳子

    信仰とは何なんでしょうか?
    権力者にひれ伏すことが、信仰でしょうか?
    ノルマを達成することが、信仰でしょうか?
    信仰にダメも立派もあるのでしょうか?

    組織に属さなくても信仰はできます。

  15. 匿名

    私も同じように信仰とは何か 悩みました

    天理教の場合ですが
    おたすけができる人を立派な信者といってるみたいです
    信仰が厚いとか

    おたすけの解釈
    自分以外の人のために働くこともおたすけだと思っています
    子供の世話
    親の世話
    おたすけです
    世の為人の為になる商品を考える人もおたすけ
    隣の婆さんの暇つぶしに話相手するのもおたすけ

    普通に暮らしてる人は十分おたすけしているわけになります
    間違っていたらすみません

  16. 匿名

      匿名様
     あなたの仰る通りです。別に天理教信者でなければ、おたすけできないなんてこともありません。
    信者でなかろうが、先の見えない、舅、姑さんなどの介護を、明るくこなしてるお嫁さんなども、何と大きなおたすけをしていることと、感心いたします。

  17. 天に唾吐くつもりもなく、ただひとすじにあなたの幸せを祈り、教祖から教わった天理は永遠の天理ですが、それを食い物にする輩は許されるべきものではありません。きっと教祖は130年前に初真柱様と交わした問答の決断は、無邪気な子供を慰められるひと時に過ぎないとお考えになっているとしか思えません。

    しかしながら、今を活かせていただくお互いとしては、今が現実であり、苦しみは苦しみにしかなれません。悲しみのの中をいくら突き進んでもね。俺はきっと中山家の下僕から一生逃れる事は出来ないかも・・・・。それが、あほでした。そんなもん、たんのうなんて喜びに変えられるものではないでしょう。酔っぱらってます、あほですから・・・・

  18. はぐれ雲

    一部の人間の問題か、組織の問題か…。

    僕は。
    昔、天理教と接していた当時や。
    以前のコメント欄に。
    「一部」という言葉を、時々に使いました。
    天理教の全ての方々に、
    問題があるわけではありません。
    かばう気持ちも少しはありました。

    ただ、その一部が。
    もしかしたら過半数以上なのかもしれない。
    と、コメントしたときもありました。

    天理教の問題は、組織でも一部でもなく。
    天理教、全ての方々が、
    つながっている問題です。
    時々に、
    「本当の天理教は…」と語る方々もいるが。
    善くも悪くも、天理教のそのままの現実が。
    本当の天理教であるのも、認めて考えて下さい。

    外面は善くとも、
    内面は人が人を踏み潰し、使い捨てにする天理教。
    社会では犯罪になることが、
    教内では、権力や責任転換を繰り返し。
    誤魔化し、隠蔽し、天理教だ信仰だと正当化する。
    理不尽が罷り通る、社会悪である。

    僕は、昔に。
    天理教、天理教の人々と、争い。
    抗い続けて、家の天理教を整理しました。
    天理教から、離れ、年月がたっても。
    天理教が、信仰だと押し付けてきた理不尽は。
    生涯に消えるものではありません。

    僕は、天理教の体質を。
    虐めと同じに感じました。
    やった側は、自身を正当化し。
    虐めを、武勇伝ぐらいに語る輩もいる。
    された側は、その傷も痛みも。
    生涯に背負い、時々に苦痛となり、沸き返す。

    天理教に抗う僕に対して、生意気だと。
    何十人の天理教な大人達が。
    教内の臭いものには蓋をして、
    認めずに目をそらしながら。
    お前の為だ、教えだ、因縁だ、不足だ…と。
    〆の言葉は、何かあるぞ、何代先に何かあるぞ、
    お前は何も分かってないと。
    理不尽という信仰を、
    強要してきた天理教の人々に対しての。
    年月を経ても、変わらない恨み辛みの根深さに。
    今も、時々に発狂したくもなる。

    天理教人、天理教信者の大半が。
    天理教がこの先どうなっていくのかと。
    さほど考えていないのも現実である。
    天理教上層部、教人、天理教の信者も。
    天理教を必要不可欠とは思っていない。
    もちろん、社会全般は。
    天理教を必要とは思っていない。
    天理教を素晴らしいとも思っていない。

    素晴らしい人とは、カッコいい人とは。
    神や仏、教えなどと語らずに。
    自身の善い面、悪い面を出しながら。
    社会の中で、人の中で、家庭の中で。
    人を傷つけることもあり、
    自身はもっと傷がついている人。
    自身に素直に、そして自身に苦悩して。
    日々、悪戦苦闘し、喜怒哀楽をしてる人、そう思う。

    天理教の人は。
    社会の方々が、日常の普段のままに生活し、
    対話していることさえも。
    わざわざに、それもお助けだと、ひのきしんだと造り上げる。
    神様が、おやさまが、と語り始める。

    そして天理教は、因縁だとか、神様のご用、使命とか。
    たまたまに、生まれた場所に。
    天理教があったということだけなのに。
    わざわざに、天理教の人の株を下げるのうな。
    存在を否定するような、洗脳をする。

    天理教の教理や、守り伝えたいものは。
    僕は、理解する許容力は持ち合わせていないが。
    でも、中山みきの伝え残したかった
    感性や生きざまには。
    創造、造作、湾曲、精神憑依はあったとしても。
    普段の日常に、人として、ふと、考えることが。
    考えなくてはならないことが。
    沢山に詰まっているのかもしれない。
    それは、中山みきの生きざまであり。
    教えでもなく、教祖でもなく。
    一人の人間の生涯である。

    中山みきの残したことに。
    素晴らしいものが、詰まっていたとしても。
    天理教が伝えるから、
    理不尽に変わるのではないのか。
    社会や世間が、天理教を嫌悪するのは。
    天理教に対してでなく、天理教をやっている人…。
    恩着せがましく、天理教を語る人…。
    に対してなのかもしれない。
    天理教の唱える、陽気ぐらしを。
    天理教の人を見て。
    そう成りたい、そう在りたいと。
    周りで思う人は、少ないだろう。

    カインさんは。
    「苦しんでいる人を助けたい」
    ただ、それだけである、と。

    苦しんでいる人とは、天理教内の方々である。
    人助けを唱える天理教が、人を苦しめている。
    散々に、人を苦しめてきて、
    これからも人を苦しめ続けようとしている。
    天理教内の全てを助けたいわけでなく。
    自身の懇意にしている、目の前の方々を助けたいと。

    苦しんでいる人を助けたい。
    その気持ちは、宗教も教えも関係無い。
    人として、個人としての、気持ちであり行動だ。
    「宗教に染まると、心を失うから。」
    僕は、日常の社会でそう伝えている。

    信仰とは、自己満足の形のひとつです。
    天理教の自己満足の押し付けが。
    人助けになっているのか、どうなのか?
    助かった、助かっているのかは。
    天理教が決めるのでなく、相手が思うことである。
    その相手が思っていても。
    その方の家族や、周りは苦しんでいることもある。
    天理教が素晴らしいかどうかは。
    天理教内の人間が決めることでなく。
    社会の方々、周りが決めることだと思います。
    あくまで天理教も、社会や世界の中の。
    一部分に過ぎない存在なのです。
    神を唱える人は、勘違いが勝る人が多いので。
    宗教団体の中に、神は居ませんよ。
    神がいないからこそ、人それぞれに。
    心を見失わないように、そう願います。

    天理教内の苦しみは。
    天理教、天理教の人が作り出すものです。
    天理教内の方々は。
    これからも、見てみぬふりを続けるつもりですか?

    僕も昔に、行政、司法の機関に。
    家族内の問題、天理教による僕が受けてきた問題を。
    相談と解決策を調べに行った経験があります。
    何ヵ所も回りましたし、とても疲れます。
    でも、自身で動くことによって。
    発することによって、進展していくものです。
    もちろん。
    精神的には、すり減りますが。
    何もせず苦しむより、何かして疲れた方が。
    生きている証だと思います。

    天理教内のほとんどが。
    天理教の問題に対して。
    諦め半分に悟り、天理教用語に逃げ溺れる。
    教えが、組織が、体質が、あれがこれがと…。
    いつか変わるだろう、
    いつか衰えて変わるだろうと。
    いつか誰か変えてくれるかなぁ?と。
    いつか…の間に。
    どれだけの人が苦しみ続けるのでしょうか。

    天理教の組織構造であり、天理教のやり方は。
    トカゲの尻尾切りのようでもあり。
    上の立場の人間が、お金や財を巻き上げ。
    自己陶酔に溺れて、理不尽が信仰になる。
    下の立場の人間が、尻拭いをさせられる。
    その尻拭いは、
    天理教に関係のない家族までもがさせられる。
    人生さえも、大きく削られる
    心折れるのも、諦めるのもわかりますが。
    もう、逃げるのはやめませんか。
    問題は、目の前にあるのではありませんか。

    天理教から、離れた人でさえも。
    苦しみは残り、背負ってしまうものもあるのです。
    洗脳や強迫観念、トラウマ、取り戻せないもの。
    借金や現実的な問題も。
    天理教の理不尽が作った後片付けを。
    生涯に背負わされて。
    後悔と恨みの残骸が広がっていく。
    天理教も、充分にカルトです。

    数の声が集まれば、
    何か変わるかもしれませんが。
    天理教の構造は、系統、部内、教区の縦横と。
    数の声が集まりにくい構造となっています。
    部内でさえも、まとまりのないのが現状です。
    「一手一つに」とか、「一列兄弟」とか。
    言葉はあっても、現実にはない。

    そして、強迫まがいであり。
    勘違いを生み出す縦社会。
    天理教の権力など。
    教内で先生、会長と呼ばれようが。
    一歩社会に出れば、何も通用しない。
    だから天理教社会の中だけで、自己陶酔する。

    改革の可能性としては。
    志の残る大教会長、数のある上級会長が。
    系統、部内で話し合いを重ね合わせ。
    意見書を本部に申し立てる。
    そんな志は、
    誰にも残っていないかもしれませんね。

    そして、青年会とは。
    本当は野党であって欲しいのですが。
    天理教の青年会は、社会の青年とは違い。
    洗脳色もうかがえたり。
    上の顔色を見てしか話が出来ない。
    青年なのに、青年の心のない集りのような。

    カインさんは、自分のスタンスで次の行動に移そうとしています。
    天理教の方々は、何もしないのですか?
    得意の神頼みでしょうか。
    今までも、これからも。
    保守的に、行動はせず、結果もださず。
    人頼み、他人任せ、時間任せですか。

    教会に日参に通うのことを、
    楽しみに続けている。
    おじいちゃん、おばあちゃん達に。
    声を挙げろとは言いません。
    声を挙げ、行動出来る世代の人達が。
    天理教にも沢山いるはずです。
    声を挙げ、
    行動しなくてはならない立場の方々も。
    沢山に、いますよね。

    天理教の全て変えろとは言いません。
    でもせめて、自身の目の前で理不尽があれば。
    天理教用語などは、必要ありません。
    多少に感情的でも、きつい言葉使いでもいい。
    「それは、貴方の理不尽じゃないですか!」
    と発して下さい。

    天理教言葉でなく。
    神様がみているとか、
    おやさまが嘆いているとかでもなく。
    知りたいのは、
    その人のその人の、それぞれの言葉と心です。

    お供えの金額、信者数、別席、修養科…。
    年々減る一方らしいですね。
    僕は、天理教の衰退とは。
    悪いことだと思いません。
    当時の景気や、時代背景もありますが。
    天理教が登り調子の時は。
    数が多いということは。
    それだけ今よりも。
    多くの人が苦しみ、
    犠牲になっていたということです。
    昔も今も、天理教が理不尽をしていたことには。
    何も変わらないのです。
    昔の天理教は違ったなどと、
    創作してはいけない。
    昔から、教内の問題は挙がり続けていて。
    人を踏み潰して、成り立ってきたのだから。

    天理教を潰したいのか…。
    天理教が潰れてしまっても、教団が存続できなくても。
    社会や世間は、何も気に止めません。
    僕個人としては、スッキリするかもしれません。
    天理教に対しての嫌悪感は。
    生涯に消えることはありませんから。

    家、日常、周辺から。
    天理教がなくなった時に。
    新たに気がつけることも。
    新たに感じることのできる日常があるのです。
    その時に改めて。
    宗教と信仰を考えればいいのです。
    本当に必要なのか、と。

    天理教が潰れることはなくとも。
    潰すぐらいの覚悟と気持ちで。
    天理教に向き合い対話しないと。
    天理教が変わることなど、ないですよ。
    社会悪の天理教に対するのならば。
    天理教の改革を望むのならば。
    自身が、必要悪にならなくてはなりません。
    戦わずして、結果はでません。

    天理教の上層部の方々。
    弱い立場の人を脅すだけじゃなく。
    上納金を集めるばかりじゃなく。
    嘘偽りを守るのでなく。
    天理教にプライドをもっているのならば。
    守りたいのならば。
    もっと全力で、天理教を見せてください。

    教内の、多分八割ぐらいの。
    天理教がどうなろうが、関係なく思う方々は。
    自分に合った距離で接して下さい。
    見切りをつけるのならば。
    早い方が良いのは確かです。
    天理教よりも、大切なことは沢山あります。
    お金も時間も、家族も仲間も大切に。

    教内の問題は。
    組織、本部、大、上級教会…。
    異常な権力構造が作り出しているのも確かですけど。
    増長させているのは、天理教全体が作り上げているのです。
    天理教にメスをいれる度に。
    天理教特有の浅はかと、根深さに。
    洗脳や卑怯さを、さらに知ると思います。

    ひとつ言えることは。
    天理教がなくなれば。
    天理教で苦しむ人も、なくなるということです。

    僕は、やっぱり。
    天理教が許せないんだ…。
    今までもこれからも…ずっと。
    僕個人の私怨かもしれませんが。
    ブログや掲示板をみて、
    書き込んで痛感しました。
    自身の残る根の深さも感じました。

    それが例え、画面でも。
    天理教に接すると。
    結局は、嫌な気持ちになるので。
    天理教のブログも掲示板も。
    極力見ないことにしようと思います。
    もしかしたら。また、いつか。
    のぞいて書き込むかもしれませんが。

    これからも、日常で、社会の中で。
    天理教の理不尽さを。
    拡散は、続けていきます。

    人は宗教などに。
    振り回されてはいけません。
    宗教団体には、神はいません。
    在るのは、目の前の現実と。
    世の中の森羅万象です。
    大切なものは、守りたいものは。
    自分自身で決めて、生きていくのです。
    抗って、抗って、最期の時まで。

    世の中の理不尽が、ひとつでも無くなるように。
    今日も、精一杯に自分として生きれるように。
    そう、祈り願うのです。

  19. 匿名

     はぐれ雲さん、お別れを仰ってるのですか?そんな、寂しいこと仰らないで欲しいのに・・。

  20. 匿名

    はぐれ雲さんの虚飾のない正直な言葉が、
    真っ直ぐに心に届きました。

    >天理教がなくなった時に。
    >新たに気がつけることも。
    >新たに感じることのできる日常があるのです。
    >その時に改めて。
    >宗教と信仰を考えればいいのです。
    >本当に必要なのか、と。

    本当に必要なのは、
    立派な名前がついた○○教でもなく、
    お金を掛ける信仰でもなく、

    真に人を幸せにする「信仰心」だけなのではないでしょうか?

    「信仰心」とは、大袈裟な表現のように感じられますが、
    自らの良心に忠実でいる気持ち、
    思いやりある言動、
    自らを正直に省みることの出来る素直さ、
    意地の悪いことや陰険なことは、肩書き等に誤魔化されずに
    認めることが出来る純粋な正義感など、

    殺伐とした社会環境の中では時には失いがちであるものの、
    普通の感覚を持った真っ当な大人が、皆が「陽気暮らし」をし、
    気持ちよく幸せでいる為には、何を大切にしなければならないかを
    守り大切にする、当たり前の「真の常識」のことではないでしょうか。

    人々の幸せの為に、この「信仰心」を喚起させるのが
    本来の宗教の役割やと思いますが、
    このブログの多くの記事やコメントにあることが事実だとしたならば、
    人の道を示すはずの宗教が、信仰の名の下に
    歪んでゆくのは何故なのでしょうか?

    団体内での地位や名誉を得ることへの野望?
    人を自由にコントロールできる立場にいることへの陶酔?
    金銭や地位がもたらしてくれる自己万能感への執着?
    組織団体の勢力拡大への欲望?
    組織内での立場がもたらす歪んだプライドと勘違い?

    もしも、宗教という美名の下に、
    そういった腹黒い欲望や弱いもの苛めなどが
    蔓延っているとしたら、
    本当の「信仰心」を持っている人ほど、
    違和感や嫌悪感に苦しめられ、
    そこにはいられなくなるという、
    皮肉な状況なのではないでしょうか。

    また、もしもこういった「本音」があったとしても、
    宗教組織になると、「神様の徳」や「良き因縁」などという
    都合の良い言い訳や理由を被せて誤魔化すこともでき、
    組織内での立場を駆使して多くの人にも同調してもらえる為、
    自らの「欲」を認識している一般の人よりも、
    話しが見えにくくややこしくなりがちなのかもしれません。

    本当の「信仰心」のある人は、当然のように
    その信仰心で自らを律する努力をされているのでしょうが、
    それが出来ているのかが、何教を信仰してようと無宗教であろうと、
    本物か偽者かの見分け方にもなっているのかもしれませんね。

    どのような立場や肩書きであろうと、思いやりのない言葉や態度、、
    上から目線、はぐらかし、弱いもの苛め、陰険さ、などは、
    自ら「偽者」であり「俗物」であると宣言しているようなものです。

    以前「しくじり先生」という番組で、芸能人の辺見えみりの母である
    辺見マリが宗教に大金を注ぎ込んだ話を見ましたが、
    このご時勢、曇りなく「物事を見極める目」を
    磨いておかんと、と思います。

  21. 匿名

    はぐれ雲さんへ

    上手くいえてなかった
    信仰とは おたすけが出来る人について
    天理教内では
    おさづけをよくする人を
    熱心だと思われて上から
    褒められたり
    話の台になったりしますよね
    ご存知だと思います
    私もそれがどうしたと言いたいのです

    天理教のいわゆるおたすけをしなくても
    人々は助けあって生きています
    自分=おたすけ=信仰  違います

    はぐれ雲さんの痛み、願い
    十分伝わってます

    匿名 すみません

  22. 匿名

    >天理教の教理や、守り伝えたいものは。
    僕は、理解する許容力は持ち合わせていないが。
    でも、中山みきの伝え残したかった
    感性や生きざまには。
    創造、造作、湾曲、精神憑依はあったとしても。
    普段の日常に、人として、ふと、考えることが。
    考えなくてはならないことが。
    沢山に詰まっているのかもしれない。
    それは、中山みきの生きざまであり。
    教えでもなく、教祖でもなく。
    一人の人間の生涯である。

    ありがとうございます
    仰るとおりです

  23. 匿名

    はぐれ雲さん、おっしゃるとおりです。私も教会に育ち、おおよそ同じような思いをしてきました。父母・祖母・我々子供たち。世間一般の子供たちが享受していた娯楽も精神的余裕もなく、一家で心身ともに上級に虐げられたました。今更ながら楽しかるべき幼い日々の親子、家族の時間と莫大なお供えを「返してくれ」と叫びたいです。はぐれ雲さんの切実な思い、天理教がいかに社会悪であるかの的確な指摘。私には怒りこそあれ、表現力がないため、どうぞこの社会悪天理教の実態を発信し、拡散し、世の中に、特に天理教内部の上層部の人間に知らしめて欲しいです。上に行くほど権力を握り、あぐらをかき、勘違いし、自己陶酔し、においがけと称して一般市民がひっぱりこまれ、悩みを抱える人間が増えていく。信仰とは神と自分との一対一の対話。神の目にかなうであろう生き方の模索と思います。組織に入って歯車のひとつになることが信仰ではありません。一人で真摯に神に向き合い自分や他人の命、森羅万象を畏敬の念を持ってひれ伏す心。ひれ伏すのは天然自然の真理・法則・摂理に対してであり、生まれた時から立場を与えられている上級の若や大教会の若やいずれ真柱になる若であるはずがありません。組織に右往左往させられ、自由を奪われるのは止めにしようと末端教会や心ある教会関係者の方々、みんなで目を覚ましましょう。

  24. 信仰は自由であるべきもので、教祖は神の存在そのものに迷う人に対して、「あるといえばある、無いといえばない、願う心の真実から見える利益が神の姿やで」と話されている。

    更に「無理に来いとは言わんでな、つき来るならばいつまでもよし」とも話されている。これが我々のベースであると考える。加えて談じ合うことの必要性も強調しておられる。

    私見であるが、天理教という組織を立ち上げることについて、最後まで反対しておられたのは、正に教祖ご自身である。講を作れとはみかぐらうたにあるが、発展して教会になんてことはお考えではないと考える。

    ここで、色々な人のメッセージを見るが、正にその通りとしか思わない。当然である。現在の教会制度は往法の道を選んだ成れの果てだからであろう。選択したのは人間であるのであるから、教勢の衰退もまさに天理をみせておられると思う。潰しにかかっているのは教祖ご自身である。

  25. さっちん

    2016年1月25日 5:01 PM の匿名様
     
     あなたのすばらしい文章、<天理教被害掲示板「御供え」について>、に載せさせてください。事後了承ですが、お許しくださいませ。

  26. とり

    初見です。このようなブログがあった事を知らずコメント含め一気に読みました。

    非常に沢山の方々が信仰について悩み、傷ついていることにとても心を痛めました。
    天理教を信仰する上で一分の不満もなく、社会的にも満足する人生を得られている私にとっては中々興味深い内容でした。

    ただ、あらゆる宗教は根本的には自己を客観視する指針を神という視点に与えているという原則があります。
    つまり、神と自己との一対一の信仰というのが本来の形だといえます。かみ砕いた言い方をすると、「自分を変える事は可能だが、他者や世界を直接変える事は殆ど不可能である。しかし自分を変える事で他者と世界を変える事は十分可能なのだ。」 という事です。

    幸いな事に私は前述の様な教えを頂いたお蔭で何一つ不自由なく信仰も社会生活も送る事ができています。天理教に限らず、あらゆる宗教でこの様な信仰を出来ている方は同じように信仰による平安を享受されているのでないでしょうか?

    この視点に立つと、宗教組織や体制についての議論は非常に建設的だとは思いますが信仰とは全く次元の違うもの
    (誤解の無いように断りますがどちらが高次元という意味ではありません)だと思います。

  27. 匿名

      とり様

     非常にお幸せな信仰をされてると思います。とり様の仰るように、猥雑なものに捉われず、神と向き合い、自分の心を変え、成人することで、世界とも他者とも良い関係を築けること、これが、本来のお道と思います
     しかし、宗教組織に属しており、宗教組織との関係を強いられ、それが、信頼できる宗教組組では無かった場合、又、信頼できないからといって、関係を切ることが難しい場合、様々な苦しみを背負わねばなりません。
     神と自己との一対一の信仰と、宗教組織との関係性、両者は乖離しており、その狭間を破綻なく、通ることを、強いられております。

  28. 古い教会長

    とり様、
    幸せな信仰生活を送っておられますね。何よりです。
    でも、人それぞれ生きていると様々なことがあります。

    >「自分を変える事は可能だが、他者や世界を直接変える事は殆ど不可能である。しかし自分を変える事で他者と世界を変える事は十分可能なのだ。」 

    との書き込みがありますが、みんな、それに向かって悪戦苦闘しているのです。
    答えが導かれる前に正解を見せられると、何も言えなくなってしまいます。
    いろんな人が、いろんな意見を言い合うなかで、それぞれが自分の生き方を見出していければ良いのではないでしょうか。

  29. とり

    匿名様、古い教会長様。一方的な私の書き込みに早速ご返信を頂き恐縮するばかりです。

    私は本当に恵まれており、繋がりを持った天理教の関係者が素晴らしいと思える事が幸せだと思います。
    少なからずそういう指導者がいる事も事実であれば、そうとは言い難い状況の方も多いのでしょう。
    私自身とうてい教祖の教えを満足に通り切れているとは言えませんが正しい道を教えて頂けるというだけ
    でも相当良い環境ではあると思います。

    陽気ぐらしや世界たすけといったお言葉も単なるスローガンでは無くそれ自体に深い意味があり信仰の本筋
    があるという事を教えられる指導者が一人でも多く現れる事を願うばかりです。

    信仰がある故に苦難に遭っておられる方もどうか絶望せずにいて欲しいと願います。万が一天理教という宗教
    法人が消滅したとしても、教祖の教えと信仰というのは不滅なのですから。私も微力ながら手の届く限り信仰
    を伝えてゆければと思います。

  30. 匿名

       とり様     最後は、人間同士の関係に左右されるところが、大きくありますね。いくらりっぱな教義を説いて頂いても、会長さんが、人間的に信頼できなかったりすると、聴く方もお話が、心底まで届かず、表面的なものだけで終わってしまったりします。
     とり様の所属されている教会の会長さん、周りの方々も、すばらしい方々ばかり、というのは、羨ましいことです。本来は、教会というのは、宗教組織というのは、そうあるべきですね。早く、今の大勢の方々が不満に思っている事が、解決され、陽気ぐらしのスローガンが嘘、偽りではない、教会、組織に、変わって頂けるよう、待ち望んでおります。

  31. 徳子

    う~ん?
    どんな素晴らしい言葉でも、浮いた話しは信じるに値しません。
    教団の組織的な金集めには、どうしても納得できません。

    本当に素晴らしい教えなら、なぜ借金させてまで金銭を欲求するのか?
    不労所得の人間を養えるほど、今の日本経済は成長しておりません。
    非正規労働者の若者が増え、日々悪戦苦闘している時代に労せずお金を得ることのみを考え、権力でもって信者を縛り続けることが、素晴らしいんでしょうか?

    私は、大教会長の顔を見ると「他人の金で飯食ってえらそうこくな~!」っていつも思ってました。

  32. 匿名

      徳子様
     あなたの一刀両断ぶりは、笑える程ですね。普通なら憚って言えないことをスパッと言って下さいます。
    これからも、どうぞ、本音でのご発言楽しみにしております。

  33. 徳子

    匿名さま

    徳子は、いつも馬鹿っぽく生きておりますが、馬鹿は馬鹿なりに智慧を絞り、世を生きやすくするにはどうしたらいいだろうかと日々考えながら今まで生きてきました。

    事情があって天理教から離れることができない方もいらっしゃるとは思いますが、そのドロドロのなかでも、心をかるくすることはできるのではないでしょうか?
    そういう方に、徳子は力になりたいです。

  34. 悩み人

    天理大学生は、詰所に住む人達には、ある程度強制的な事はあるかもです。
    私の詰所は、月額35000円で居住費用、水道代、光熱費、食費(炊事本部)込みです。
    天理市探しても、それだけの全ての費用含んで1ヶ月35000円で過ごせる所は無いと思います。
    教会の子供とか、信者の子供とか関係なく同じ料金です。
    月に何回かの事務所当番や、詰所の月次さ祭なんかは参加するように言われてますが、強制ではありません。
    最近の学生は、甘いので「もっとこうして欲しい」とか、色々要望が多く困っている詰所の方が多いと聴きます。
    自分の思う様にしたいなら、詰所を出て生活すればいいのにと思いますが、詰所が安くて出たくないが、自分たちの言い分は通したいのです。
    多分、天理大学は学費がメチャクチャ安いみたいなので、周辺学生の進学理由第2位に学費が安いとのアンケート結果が出ているそうです。
    因みに、天理大学の8割以上が天理教信者の子弟ではなく一般の方です。

    問題は、一般の人達にもにをいが掛からず、大学の赤字を教会本部から補填してもらっていることです。
    カインさんのいう通りで、助けたい気持ちが強くあれば、今いる組織に変化起こると思います。
    ですが、私は組織が駄目だとか変わらないといけないとか、色々言っていますが、煙たがれるだけで組織の中からは省かれていってます。
    こんなんだから、成長も何もかも無いのでしょうね。

  35. 匿名

    とり 様
    2016年1月27日 1:10PM

    教祖の「真の教え」は誰も知りません。知らされていません。教団が隠しているのです。
    「談じ合い」すら出来ませんよ。何を目標に談じ合うのですか。中山教は信じてはいけません。

  36. はぐれもの

    とんでもないポンコツ教団です。教理そのものを宗教法人の蓑をかりて北朝鮮並みの暴力と威圧、そんなところに談じ合い、練り合い存在しません。中山家系の人、それに従属する小作人本部員。全く中山家、中田家なんか信用してないのにたまたまちょっとした気分で腸用されてるBクラス本部員、の二つに分けられますよね。

    本部員の皆さま自分の立ち位置を知りましょう。中田◎亮という頭のない目先の利益に傾倒するこざかしいahotouryouの人間性は、これまでの人生で人から怒られたことのない、極安甘の人間性。わがままのし放題。でも世間には全く通用しません。でも、なんぼ握らされているかわかりませんが忠誠を誓っているのですものね。

    同罪ですね。何も言えないのは。130年祭のようぼくの集いは大失敗でした。一人500円の受講料をすべて本部に収めさせるわけですから、支部には苦役を強いても、苦しい台所は救えませんでした。

    こんなのはじめてでしょ。

  37. 匿名

    命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
    「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
    http://inochinonakigoe.grupo.jp/

    >一読者

    2016年1月19日 9:38 PM

    匿名さんなど、様々な方のコメントを読ませて頂いてきて、色々なご事情や苦労が、とても伝わってきました。
    しかし、いつしか自分が救われてるどころか、どこか貶められているかもしれないということに気付きながら、
    何故それらを許し、自ら低い立場を受け入れたまま、「やめる」ということをしないのでしょうか?
    様々なご事情もおありだと思われますし、このようなことを申し上げるべきではないのかもしれませんが、
    でも、不思議なのです。
    お金持ちの人は、お金をとても大切にされると聞いたことがあります。
    死に金は使いたくないと。だから慎重にもなると。
    これは単にケチだとか惜しいということではなく、大切だから(稼ぐという大変さも知ってるからこそ)
    大事なものだから、慎重に扱うのではないでしょうか?
    だからこそお金にも好かれるのでは?
    だれだって自分を活かし、大切にしてくれる人のところへ行きたいものです。
    お金は悪者ではなく、使う人の心次第で生きも死にもするものだと思います。
    自分のところへ縁あってやってきてくれたお金は自分が責任を持って大切に使ってあげることで活きる。
    こちらのブログのコメント欄にも様々な事実が溢れていますが、神様へ、という名目ではあるが、
    何に使われるかもわからない、誰が使うのかもわからない、「おつくし」「お供え」など独特の説得力のある言葉
    で表現されてはいるものの、何かどこか明瞭ではないことに気付きつつ、見て見ない振りをしながら
    お金を払い続けることの意味がわかりません。
    はだかの王様に出てくる、本当は事実を認識はしているものの、自らの保身の為に見えない振りをして、
    自分も周りも誤魔化し続ける大人ではなく、現実をありのままに真っ直ぐに見る事の出来る子供の純粋な目は
    大人になっても必要ではないでしょうか?
    そちらの方がある意味「神の目線」といえるのではないでしょうか?
    神は見抜き見通し、神の世界には誤魔化しも保身もはぐらかしも存在しないのですよね。
    お金も自分の意思で皆の幸せの為に使えば有効に使われたかを明瞭に見届けることができます。
    お金だってこの世に存在している以上、理由があって神様が与えてくださっている大切なものだと思います。
    だとしたら、皆を不幸にする為ではなく、幸せにする為なのでは?
    神様が与えてくださった大切なお金というエネルギーは自分や皆の幸せの為に役立てるのが御心に
    適っているのかもしれないなどとも考えます。
    上納金のようなお供え制度よりも、それぞれが自立し、会場費等必要経費の明細から人数割りして、
    お互いに学びあう為に必要な金額を明朗にして、皆で無理のない金額を協力して負担しあうのであれば
    問題にはならないのでしょうね。

    なるほどと思い
    引用させていただきました

  38. 一読者

    2016年4月9日 1:22 PMの匿名様
    拙文を引用して下さり、ありがとうございます。

    命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
    「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
    http://inochinonakigoe.grupo.jp/

  39. 匿名

    命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
    「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
    http://inochinonakigoe.grupo.jp/

    教会も信者も全て自己の存在感を認証してもらいたいがために
    天理教をしていたのですね
    考えれば愚かなお粗末な大集団です
    右向け右 に従うこと無く 自分の道は自分で決めましょう

  40. 匿名

     TVで見ましたが、医者であり、お坊さんでもあり、日本ではまだ数少ない臨床宗教師(人生の終末を迎えている方に寄り添い、その方が安らかに人生の最後を迎えられるように手助けすること)をされてる方なのですが、ご自分がガンで余命数か月しかない、その生きている間に、多くの臨床宗教師を養成することを目的として、希望者に指導をされておられました。
     教会組織で多額のお供えを集め、屋敷普請をしているばかりの、天理教組織が何の値打も無いものに思えました。人助けに、神様のお心に叶うことに、宗教、宗派は、関係無いことだとつくづく思った次第です。

  41. 神戸天理組

    神が大きな普請をせよと云ったんじゃなくて、中山家の坊ちゃん達が云ったんだよ。

    神は神楽勤めや手踊りをせよ。と云っただけ。
    又、天啓の後継者達を残したかっただけ。

    お地場はその為の普請はしても、それ以外はすべてオマケ。
    先々の教会から血の涙を集めてするようなものではないの。
    そうゆう無茶をすると、当事者達の未来、来生に暗い陰を落とす事になるの。

    間違った普請は即時凍結し、造っちゃったものは、底辺の困った人達の為に役立てる。

    善亮君、聞いてますか~??

  42. ほどほど

    「国としては個別の事象に対応するこは難しい。国が動くためには一定程度の数の声がなければ動けない」
    天理教に関係している人は、現在の天理本部の体制を知っており、批判すべきことも知っている。
    まったく関係のない人には、天理教組織など、どうでもいいのである。
    天理教をしている人が、他の宗教で似たことがあったとして、関係がなければ声を出すことは控えるのではなかろうか。
    じゃあ、どうすればいいんだ。
    わからん。

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