ようやく天理教のお金に関する資料がまとまってきた。時間を見つけてコツコツと資料をまとめてきた成果がようやく結果として出てきた。ご協力いただいた方には感謝申し上げたい。
データはすべて毎月発行される教団誌の「1960年以降のみちのとも5月号」から引用した。毎年5月号には、2月26日に実施される本部員会議というもので決議されたデータが掲載されている。この本部員会議というものがどういったものかはわからないが、国会の予算委員会に近いと思う。そして、その会議では前年の予算に関する補正予算も同時に決議される(これが、今回私を悩ませた点の一つである)。これらの元データは、主要図書館や大学の図書館などで閲覧が可能である。
まずは「歳入歳出総計」を説明する。最初に、今回掲げる総計に関しては補正予算決議後のデータを前年の予算決議と突き合わせた結果を採用した。
1985年が突出して高い。金額にして約540億円である。540億円ときいて、天理教の規模の大きさに驚いた。500億円というのは、市レベルの予算である(滋賀県草津市平成27年度予算が約500億円)。そう考えると、このときの天理教は540億円ものお金を一体何に使っていたのだろうか。
ちなみに直近の2013年の総計は145億円である。下のグラフを見ればわかるように、1985年の教祖100年祭前年以降は、ほぼ下降の一途をたどっている。年祭というのは主に1月に行われるため、年祭の前年に最高金額を記録すると思われる。そのため下記グラフでも10年ごとの年祭の前年だけ、一時的に上昇していることがわかる。多少の増減はあるものの、110年祭以降は120億円前後、120年祭以降は115億円前後で推移していることがわかる。
次に「お供え金収入」についてである。これは前掲した「収支総計」とほぼ同じ増減を示している。1985年の100年祭の前年には513億円ものお供え金が教会本部に集まっていることになる。2013年のお供え金は126億円である。126億円という金額に対して、これも凄い金額である。天理教が衰退していると言っているが、平均すると毎月10億円が天理教本部に集まってくることになる。ただ、数字の大きさに惑わされそうであるが2013年が126億円、2003年が174億円、1993年が221億円と考えると、10年ごとに約50億円ずつお供え金が減少していることもわかる。これも凄い減少スピードである。単純計算で、20年後の2033年後の天理教のお供え金は26億円かもしれないし、30年後の2043年にはお供え金はゼロになるかもしれない。
これからの天理教を担う若者は、これまで天理教を担ってきた恵まれた中高年世代とは比べものにならないくらいに大変だと思う。財政的に考えると今後天理教の施設は順次、統合・閉鎖もしくは消滅することは間違いないだろう。
次に「やしき整備費」である。これは天理教本部を四方に囲む「おやさとやかた」と言われる建物の建築費及びその維持費であると思われる。これも総計やお供え金と同じようなグラフだが、収入が多いため、やしき整備費も多いというのではなかった。私の推測では、必要に応じた予算配分だと思われる。収入が多い年なんかは「お金あるし、あれもリフォームしちゃえ」という感じだが、収入が減少傾向にある現在では「お金ないからリフォームしたくないけど、最低限あれは修理しないとマズイね」という感じのような気がする(あくまで想像だが)。ここ数年は「整備に回すようなお金はない」というような状況に思える。
さて、今回最後にあげたのが、大卒初任給の金額である。これは経済状況の指標として用いた。当然のことながら今の100円の価値と50年前の100円の価値は異なるため、これまでの財政データを単純比較はできない。私が100年祭以降の数字を主に取り上げているのもそういった事情による。例えば1973年の大卒初任給は5万5千円である。1985年には11万8千円と約2倍である。これは個人がお供え金に回せるような可処分所得が2倍となっていると考えられる。これまで5千円をお供えしていた人が、1万円をお供えできるということである。そう考えると、1965年の教祖80年祭(前年)から、1985年の教祖100年祭(前年)までの急上昇は、そういった高度経済成長や所得倍増という点も考慮しなくてはいけない。国家公務員の大卒初任給で考えるのであれば、1994年以降は18万円前後でフラットとなっており、現在の貨幣価値と比較可能である。その点で、ここ30年くらい天理教の財政状況が悪化しているのは誰の目にも間違いはない。
今回データをまとめているときに浮かんだ問題点と疑問点を列挙しておく。
1 天理教のお金を語るときに、天理教は「財政状況を公開している」と聞かれることがある。しかし天理教が公開している財務状況はざっくりした金額と用途であり、結局大枠の予算内で何に使われているのかはっきりしない。例えば、歳入の「出向費」「資料集成費」「内事総合諸費」、歳出の「予備費」というものが、一体どのような実態があるのかわからない。法人といえど、これが宗教法人の特殊性なのかもしれない。こんなことでは、天理教に限らずに宗教法人が何をやっているのか分からない。天理教でいえば真柱の生活の運営の費用や、教会本部で働く人たちへ支払われる人件費(名前は何でもよい)すら分からない。こんなことでは、社会の側から財政面で天理教に理解を得るのは無理である。それとも公開してはマズイようなことでもあるのか。
2 月刊誌「みちのとも」であきらかになっているデータは、天理教が「表に出していいデータ」であることは間違いない。現在でも毎月10億円を集めている天理教本部は、たとえば「◯◯大教会からのお供え金は今月は◯◯万円」という各大教会ごとのお供え金を記録した詳細なデータを持っていることは間違いないであろう。今回は天理教本部だけのデータであるが、全国にある各教会のデータがあり、それらは各教会どこも公表していないことは改めて明示しておく。公表してはいけないルールなんてないはずである。
3 こういった財政的逼迫や人員の減少を大多数の教会の会長や信者などはどう思っているのだろうか。つまり天理教本部は「天理時報の手配り」という悠長なことを言っているが、普通の教会長や信者の中でこうした天理教が消滅するような、生き残りをかけるような会話や対策がなされることがあるのだろうか。なぜなら、このブログにコメントしていただく方や、私にメールを送ってくださる方は、ある意味「意識が高い人(危機感を感じている人)」と考えることもできる。毎日数百人が、このブログを見てくれているが、私は天理教人や若者の大部分がこうのような切迫した状況をどのように感じているのか常に疑問を感じている。天理教本部や大教会は「阿保になれ」「素直になれ」「親の思いに寄り添え」といった相変わらず天理教の消滅を早めるだけにしか作用しない思考停止装置を発動している。しかし普通に足し算と引き算ができれば、いまの天理教が思ったより早く消滅に向かうことは明らかではないのだろうか。それとも本当に「どうにかなる」と信じているのだろうか。信じることが宗教の本質ではあるが・・・・このままでは天理教が無くなる日は必ずくるであろう。
いつものように、私と助手のK君が必死で入力したデータを下に掲げておくので、自由にダウンロードしてもらいたい。エクセルデータだが、所々と抜けている点はご容赦願いたい。ちなみに黄色で塗りつぶしてあるセルは、予算案と補正予算案の数値が合致した年で、オレンジのセルは合致しなかった年である。これは「みちのとも」のデータが間違っているのか、私の入力が間違っているのか分からない。それを確かめる労力はなかった。
[wpdm_package id=’619′]
次回は、天理教本部から各法人への「回付金」について検討したい。
今回、何人かの方にご協力いただいたことは感謝したい。データ入力も元データを見ながら手入力だったため誤りがあれば謝罪して訂正する。このブログに挙げたデータは、リンクフリーでコピーフリーであり自由に使ってもらって結構である。しかしそれに伴う責任は負いかねるのでご注意ください。
何かアドバイスやアイデアなどがありましたら、下記アドレスまで連絡をいただければ幸いです。
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp