作成者別アーカイブ: Cain

天理教の幹部はお金持ちなのか ぼちぼち結論にしよう 奈良県高額納税者一覧から見る天理教幹部の収入

天理教幹部が贅沢な暮らしをしているかどうかは、本ブログでも何度か取り上げている。私の認識では、天理教幹部は決して贅沢はしていない。私が接したことのある幹部は、贅沢ではないが「普通」の生活をしている(と私は思っている)。この「普通」の生活が、天理教末端の貧しい人からしてみれば「贅沢」なのかもしれない。つまり末端の天理教人は国民年金も保険も払っていない中で、道一条というほぼ副業禁止の生活を強いられている。「神様にもたれれば、成るようになる」という人権無視な言葉とともに。一方、天理教幹部(天理教本部で役員として在籍しているもの)の「普通」の生活は、家を買い、自動車を所有し、複数の子供達を大学に通わせるだけの財力がある。この同じ信仰者の中でのギャップが、天理教幹部贅沢論の根源なのかもしれない。
また天理教の財政状況を調査する中で、使途がはっきりしていない莫大な金額が動いていることはこれまでも明らかにしてきた。人件費がどれくらいで、どの役員がどれくらいの収入を得ているのか、中山家の運営費がどれくらいなのか、さっぱりわからない。そこで、経営学の知り合いに宗教法人に関わる人の収入について相談すると「宗教法人だからといって個人の所得は免除されない。きちんと申告する必要がある。もし所得が高額であれば、2006年まで高額納税者公示制度があるから公開されている」という助言をいただいた。
そこで早速、過去の高額納税者一覧の資料を取り寄せて奈良県を調査した。すると天理教の幹部の一部は毎年奈良県の高額納税者の常連であることが判明した。調査した中での最高納税額は、昭和60年の中山善衛氏の9600万円余りである。約一億円。。。繰り返すが、この金額は所得額ではない。納税額である。私は開いた口が塞がらなかった。私は税法の専門家ではないため、間違っているかもしれないが、累進課税で1800万円以上の所得に対して40%の税率と考えると、当時の中山善衛氏は一人で約2億4000万円の収入を得ていたと計算できる。この金額を見て、私は天理教という組織は真柱のために存在しているのかとさえ思ってしまった。
しかし単純に、これらのお金が何に使われているのか疑問が残る。真柱を維持するための運営費(生活費、警備、護衛費、使用人の人件費などが考えられるのかな)に使われているのか、ここから彼らはどれくらいを天理教本部にお供えや寄付をしているのか明確ではないため、どれくらいを私的な財産としているのかはわからない。ただ言えることは、数億円規模のお金が一度は特定の幹部の財布に入れられているという事実である。

ある幹部の納税額

所得税率に関する参考リンク
所得税の税率ー国税庁

参考資料は青文社の「大阪国税局管内 近畿地方2府4県 1000万円を超える高額納税者全覧」の昭和59年〜平成16年発行を用いた。(それ以外の年代はなかった。ちなみに1991年分も資料がなかった)
教祖100年祭以降、天理教の収入が著しく減少しているのと同じく、中山善衛氏などの所得も減少していることがわかる。それであっても直近の平成16年分の三者の合計は約7000万円余りという納税額である。まるでプロ野球選手の年俸を見ているようである。
まだ私の知り合いの天理教人に感想を聞いてはいないため、天理教人はこのデータを見てどのような感想を抱くのであろうか。私は知りたい。また、この高額納税者一覧は納税額が1000万円以上の人間しか掲載されていない。そのため他の幹部役員が低所得であるということにはならない。納税額が1000万円までいかなくとも、高額な所得を得ている可能性もあるだろうし、奈良県以外なのかもしれないし、私が特定の氏名以外を探さなかったからかもしれない。しかしこれだけの収入を得ているということは、天理教の本部役員もそれなりの収入を天理教から得ていると考えることは自然であろう。

これだけ日本社会で格差是正のために富の再分配が叫ばれている中で、天理教ほど富が偏在しているのは、組織の激しい衰退と無相関ではないと考えるのが経営者の思考であろう。幹部のみなさん、その何億かのお金を道一条の若者の社会保障に回してはどうでしょうか。「勇め、徳を詰め」と言うより、圧倒的にやる気をおこさせるために効果的・長期的な経営戦略だと思いますよ。

今回私の理解が進んだことは、特定の幹部は日本社会の一般常識とはかけ離れているほど莫大な収入を得ていること、そして「貧に落ち切れ」という言説は真偽はさておき笑えないジョークでしかないということである。「お供え金」の解釈や宗教的意味性に関しては、個人の自由という考えが優先されるために特に私から意見はない。しかし私の昔からの知り合いである天理教人は、この事実を知らなさそうなので本当にかわいそうだと思う。

今回は2006年まで実施されていた高額納税者公示制度で公開されている情報をもとに調査した。2006年に同制度が廃止になったのは個人情報保護の観点からである。しかしそもそも宗教法人は税制上の優遇を受けており、その活動は社会的性格上の公益事業であることは宗教法人法でも記載されている。また「宗教活動はまさに「不特定多数の者の利益を実現する」ものであると考える」と藤原は述べている。宗教団体を社会として(宗教団体とは無関係な日本人も含めて)公益性を認めるかどうかは議論が残る。一方で、特定の団体を支える構成員においてはその宗教活動が不特定多数の利益のための活動(陽気ぐらしやおたすけ)である以上、最低限構成員に対して公益性が生じるのは必然である。つまり公益性を担う宗教団体が集めるお金は、そのお金自体に献金者の公益性という性格を帯びる。私も過去に天理教に献金した記録が残っており、私が天理教のお金の使徒を求めることは公益性にかなうことを意味する。加えて個人情報保護法では個人情報を「生存する個人に関する情報」(第2条第一項)と定義しており、中山善衛氏とその妻の中山まさ氏に関してはすでに故人であり該当しない。

話は変わるが、宗教法人法を読んでいると宗教法人の収益事業において興味深い点があった。天理市の信者用宿泊施設(詰所)では、一泊1000円と一食250円というのを聞いたことがある。これは、宗教法人の収益事業にならないギリギリの金額ということである。これ以上の金額を信者から徴収すると収益事業とみなされ課税対象になるということである。天理教は税金対策もよく考えているようだ。
収益事業にあたる場合であっても、墳墓地の貸付け(法税基通15-1-18)や宗教法人の有する宿泊施設に信者や参詣人を1泊1,000円(2食付きで1,500円)以下の料金で宿泊させる場合には税務収益事業(この場合は旅館業)にあたらない』税務会計情報ねっ島

いつもと同様に一覧にした表を下記に用意したので自由にダウンロードしていただいて結構です。コピーフリーですので、自由に使っていただいていいです。しかし誤記などもふくめ、その責任は負いかねます。

[wpdm_package id=’712′]
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

次期真柱(天理教トップの後継者)は天理教をワクワクさせることができるか

天理教の出版社が発行している「すきっと」の過去10冊を取り寄せて、流し読みをした。既報のように、この媒体は誰に向けて何を伝えたいのか全く分からない「すきっと」しない媒体である。
それを一気に読むと、所々に気づいたことがある。それは、二代真柱である中山正善氏の逸話が散見されることだ。正善氏は今の四代真柱の祖父にあたる。
「すきっと」という媒体は、角界の著名人へのエッセイやインタビュー記事が中心になっている。それらの角界の著名人の語りの中で、この中山正善氏との関係を想起する場面が多いことに気づく。つまり、著名人や文化人が、過去に中山正善との関わり間接的にでも持っていたということである。彼は1967年に没するまで交友関係は政財産業界から文化芸術まで幅広かった。彼は東大卒で、政財界に留まらず、学術やスポーツまで幅広い人脈を構成しており、それが天理教の理論的、社会的発展に大きく寄与したことはいうまでもない。新興宗教法人が病院や学校や博物館や図書館など、これらの社会的建築物を作れたのは彼の社会的功績だろう。庶民の宗教として発展してきた天理教にとって、インテリなカリスマとして彼が牽引してきた功績は大きい。戦後という時代的なものもあったかもしれないが、まさしく帝王学に近いパワフルなものである。天理教と同時期に発生した宗教団体が、天理教に圧倒的差をつけられたのも彼の功績だと私は考えている。

一方で二代中山正善氏の作り上げたものが完成したときが、天理教のピークでもあったと私は思う。つまり二代真柱以降、明らかな発展は天理教にはない。三代も今の四代も、二代の業績を維持・発展させたものの、二代と同じようなリーダーシップや、パワーを感じる逸話や社会にインパクトを与えるような業績は見当たらない。彼の不在と時期を同じくして天理教も衰退している。
孤高のカリスマとしての存在は、大阪の橋下市長と維新の会との関係とダブって見えるのは私だけだろうか。

では、五代に内定した時期後継者の中山大亮氏はどうであろうか。彼は今後の天理教を「変える」ことができるだろうか。しかし現時点で、彼に関する情報は乏しい。まずは「みちのとも」に掲載されていた彼の情報を取り寄せた。

———————————————————————————–
平成3年1月23日、中田善亮・道子夫妻の第二子(長男)として出生。21年1月11日おさづけの理拝戴。同年2月天理高校第1部卒業。25年3月関西大学政策創造学部政策学科卒業(みちのとも2013年5月号)

平成3年1月23日、中田善亮・道子夫妻の第二子(長男)として出生。21年1月11日おさづけの理拝戴。同年2月天理高校第1部卒業。25年3月関西大学政策創造学部政策学科卒業。同年4月4日、教祖殿での「養子縁組の儀」で、「養子縁組固めの盃」を戴かれ、中山善司真柱様とはるえ奥様の養子になられた。(みちのとも2013年12月号)

平成3年1月23日、中田善亮・道子夫妻の第二子(長男)として出生。21年1月11日おさづけの理拝戴。同年2月天理高校第1部卒業。25年3月関西大学卒業。同年4月4日、中山善司様とはるえ奥様の養子になられた。同年10月24日、真柱継承者として推戴された。(みちのとも2014年11月号)
————————————————————————————–

以上が天理教が広報誌「みちのとも」で公表している後継者中山大亮氏の経歴である。
学歴差別をするつもりはないが、二代真柱は東京大学で学んだ。そこで学んだ知識と得た人脈が、その後の天理教の社会的発展に影響していたことは間違いない。大学やゼミの同級生が、各界でリーダーとなることは東大では珍しいことではない。正善氏は知り合いの作家、学者に教義の編纂を依頼した経緯もある。「すきっと」でも少し触れているように、多くの角界の要人との交流があったのだ。
天理教の頭首ともなれば、それなりの要人との関係はあるだろう。しかし「政治的付き合い」なのか、「酒を飲みかわせるパーソナルな間柄」の違いは大きいであろう。

私も学歴コンプレックスというものを感じることがある。学歴や出自で人を区別すべきではないという考え方も理解できるが、それはほとんどの人がそれらによって利益を享受しているため、多くが理論成立していないと考えることもできる。天理教人も、天理教コミュニティの中では天理教人としての優位性を十分に享受しているのである。なぜなら天理教コミュニティの中で、私も部外者として疎外感を感じ、天理教人しか通用しない言葉で従属を求められ恐怖を感じたことがあるからである。

私は天理教に限らずに、大学名、学閥、学派、OB、社名、地域というものが、社会で多くの賛同と利益を得ている場面を何度も目にしてきた。たとえばAという人の方が明らかに優れているのに、Bの方が人間関係の上で優先されることなんて社会では普通にある。コネや縁故と言われるものだ。それは悪い面だけでなくても、コミュニティーの形成やセーフティネットという点では非常に効果的なこともある。県人会や社内学閥なんてどこにでもある。

その点でも五代となる後継者が今後”社会”に影響力を持つものだけが集えるメンバーズオンリーの交友関係を持てるかは疑問である。そして、やはりトップ外交として真柱がどのような社交界での存在意義を築くかは、そのまま天理教の社会での存在意義と大きな関わってくるのは言うまでもない。

「みちのとも」2014年12月号p24の中山大亮氏の青年会長告辞を読むと、まったく当たり障りがない。読む時間が無駄に感じるほど天理時報のテンプレート例文のようなものであった。(天理時報のライターは、同じ例文集から引用しすぎて言葉に中身がない)。彼の個性や強さが垣間見れるものは何もなかった。大学卒業後間もない彼に、過剰な期待をしても可哀想だが。

日本でも有力な政治家がそうであるように、大卒後は会社員や研究者としての社会的経験を積んでから政治家になるのが慣例である。天理教の幹部のように大卒後すぐに天理教という閉鎖的環境に置かれてしまうことを考えると、今後も天理教の社会的ブレークスルーは難しいと思う。彼の人生の幅を考えると、今後彼は天理教を通してしか世界を見れないことを私はかわいそうに思う。天理教バカを育てても経営能力や政策立案、交渉術が無能であっては天理教という時代錯誤の封建組織をまとめあげることは、よほどの戦略と個性がなければ不可能であろう。ましてや自己の正当性のために教義と権力を利用していることに無自覚な大教会長や本部員という元老院たちと交渉するのは厄介であろう。
逆説的に考えてみてはどうだろう。もし彼に会社員経験があるとなれば、私は天理教も変われるのではないかと感じる。もし彼がグーグルやソフトバンクで働いたことがあったり、証券マンや商社マンの経験があったとすれば、私は今後の天理教の変化にワクワクせざるをえないであろう。
今思えば、二代真柱の最大の失敗は、優秀な人材を養成しなかったことにあるだろう。真柱や幹部としての帝王学や覇道を継承する人材とシステムを構築しなかったのは、カリスマ故の盲点だったのかもしれない。

私の知っている天理教の優秀な子弟たちは、天理教の教会を継がずに社会で素晴らしい活躍をしている。中には教会を継がないことで天理教人から「お前は助からない」と最低な言葉を浴びせられたという証言もある。私は「縦の伝導」と言いながら、若者の選択肢を限定させる天理教の構造に(それを見て見ぬふりをする教会長・信者たちに)本当に怒りを覚える。

少なくとも現時点で私が天理教に感じるものはワクワクなんてものは微塵もない。

今後の変化の可能性として五代真柱となる後継者は社会的に非常に優秀な女性と結婚するか、ラリーペイジのような優秀な人材を幹部に登用することであろうか。しかし天理教の崩壊へのタイムリミットがそれを待ってくれるかは別問題である。
一つのポジティブな側面として、みちのともに掲載されていた中山大亮氏の顔を見る限り、私はなかなかの恰幅の良さそうな実直さを感じた。それが良い方向に活かされれば末端の天理教人を救済するような古い価値観を打破して社会の支持を得やすいのかもしれないと思う。しかし悪い方向に向かえば、何も変わらずに相変わらず同じ名字の人間が役職を輪番し、彼を最後に天理教は日本史の教科書から消失することもあるだろう。
天理時報や演説では意気軒昂だが、天理教を信仰している人たちは、綺麗事なしに果たして本当に教祖130年祭や将来の天理教にワクワクしているのだろうか。私には天理教人の130年祭のワクワク感はさっぱり伝わってこない。

都構想にならって、天理教も一度仕切り直しの選挙でもしてはどうだろうか。大教会を中心とする垂直型組織を解体して地域別の教会コミュニティとする選挙でもしたら、どっちが勝つのだろうか。上納金の受け皿となる大教会と教会本部ファミリーの既得権益者たちが勝つか、お金はないが本気で将来を変えよう考えている末端信者たちか。なかなか興味深いが、今の天理教には献金を正当化するだけの知性も体力も勇気はないことは明らかである

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

30年前に頻発した天理教の不祥事。教勢拡大は、不祥事に繋がるジレンマ。天理教幹部による8000万円脱税事件の背景。

日本が右傾化や好戦的になって言われて久しい。右傾化や好戦的態度と言われているが、国家としての前提なのか、戦争への連続性なのか、立場によって考え方は様々である。私の考えは国家として新聞を賑わしている大国視点ではなく発展途上国視点で弱者を救済するようになってほしい。平和や国益という目的は共有できても、方法論や手段が異なるため議論となり論争となる。
もちろん戦争は最も忌避しなければならないことではあるが、どのような立場であっても特定の視点でしか物事を見れないことに私は最も怖いと感じる。「まーまーしゃーない。ちょっと話ししようや」というような仲を取り持つような大人が最近少なくなっているのではないかと感じる。どのような大人も、たとえ戦争を声高らかに反対する大人でさえも、感情的になり、目くじらを立てている。そこにこそ戦争に近い雰囲気を感じるのは私だけだろうか。どのような立場も否定する気はないが、その人たちから見れば、私こそが平和ボケしているリベラルなのかとさえ感じる。
そのため私は国家総動員のようなスローガンが嫌いである。スローガンとなった途端に、それ以外の言論を封殺し、それに乗れきれない者を排除するような雰囲気が生じるからである。

この文脈で天理教のスローガンや130年祭への総動員的な雰囲気を批判するのは少し場違いなのかもしれない。なぜなら宗教とは、それが必要条件なのかもしれないからである。しかし現在天理教がもつ教祖130年祭に向かう集団主義的な雰囲気は、部外者の私には異様に感じる。天理教の発行物や天理教人にもらう配布物には、教祖130年祭に向かうことしか書いていない。

来年1月26日、天理教では教祖が身体的に亡くなってから130年を迎える。そのため現在、教団では広報誌などを使って「130年祭に向けて」と信者や構成員に対して国威発揚のごとく発信しまくっている。既報のように「130年祭までに3000人を信者に(初席者に)しよう」というノルマ的な数字まである。教会単位では「130年祭までにお供えを◯◯万円させていただこう」という金額まであるようだ。
数字ついて、いつも私が意見を聞いている天理教人に問い合わせてみると「数値目標として設定されているが、ノルマを達成しなくても特に罰則はない。罰則はないが、数字が低い天理教人は「頑張っていない(勇んでいない)」という暗黙の空気を周知することになる。これでも100年祭の頃に比べるとプレッシャーは非常に緩やかになった。100年祭の頃はいろいろあったから」ということであった。いろいろあったことについては「よく知らないけど、上層部からのプレッシャーから、教会長の強盗とか自殺が多かったようですよ」ということだった。

少し気になったので調べてみた。すると「天理教・その堕落と悲劇:300万信者の悲劇、お供え金地獄、教会長残酷秘話、本部の犯罪、相次ぐ離脱・・・」早川和広1988という本が出てきたので、早速取り寄せた。
天理教のお金にまつわる話や真柱中山家に対する批判などが中心であった。どこまで本当の話かは私には判断ができなかったが、この著者は社会派の力のあるジャーナリストのようだ。
そこに書かれていた100年祭前後の事件について引用する。

「東西礼拝場の建設や、百年祭の準備に忙しい昭和59年1月5日の早朝、本部直属教会長たちによる年頭会議が開かれる、おめでたい日を選んで、長崎県の肥長大教会長が天理詰所(宿舎)で首吊り自殺をはかったのだ。」(p20)

「同じ年(昭和59年)の10月25日、今度は山名大教会(静岡県袋井市)の部下教会である静岡県の鮎ケ瀬分教会長が天理の山名詰所で飛び降り自殺をはかった。この日は、東西礼拝場落成の日であり、前日には親神(人間創造の神)が人間を宿し込んだ地とされるぢばの証拠であるかんろだい(甘露台)据えかえの儀が行われ、翌日は秋季大祭という天理教の三大慶事が重なった、とりわけおめでたい日であった。」(p20)

「昭和59年5月28日、船場大教会(大阪市)の部下教会である埼玉県の大請分教会長が、東京・足立区の平和相互銀行千住支店(当時)に包丁を持って押し入り、強盗傷害の現行犯で逮捕されている。」(p21)

これについては、私も当時の新聞を見返した。当該事件の記事はあったが、天理教という文字はなかった。

「それ以前にも、57年12月23日、郡山大教会(奈良県)の部下教会である広島県の竜安芸分教会長が広島市信用組合大河支店に押し入り、やはり現行犯で逮捕されているのである。」(p21)

「そのおめでたい百年祭も終わりに近づいた昭和61年2月14日、天理教本部にとって由々しき事件が起きたことは、ほとんど知られていない。その日、日光大教会(栃木県)部内のある教会の団参一行は、天理へのおぢば帰りを終えた後、鳥羽伏見で一泊、帰路につくことになっていたのだ。ところが、その団参の引率者が入水自殺を遂げるという事件が起こったのである。天理の本部での自殺でなかったことが、教団本部にとってはせめてもの救いであったというべきかもしれないが、自殺の原因は、地元に帰れば、また立教150年へ向けての”きりなしふしん”(お供え金)が待っていると思うと、家路に向かうのが憂うつであり、その苦労を思い悩んでの結果であったと関係者の間では囁かれている。」(p26)

「昭和62年1月26日、立教150年を10ヶ月後に控えた春季大祭に、天理を訪れたブラジルからの団参の責任者が、翌27日、拳銃密輸容疑のため岡山市内の宿泊先で手入れを受け、拳銃数丁と実弾数発を押収されるという事件が起きたのだ。その日流れたテレビのニュースでは、天理教の名前こそ出なかったが、事件を知らされた天理教本部関係者・M氏は、「拳銃に限らず、海外の天理教関係者による密輸は、そう珍しいことではない」と指摘した。」(p30)

「2月18に日午後9時35分ごろ、東京都葛飾区にある天理教本田分教会から出火、木造平屋建ての同教会兼住居のうち、教会部分(70平方メートル)を焼き、高山朝治分教会長(76)と長男のプレス工・節男さん(55)の二人が焼死するという事件があった。翌日の「読売新聞」には、本田署の調べとして次のように書かれていた。<出火場所は、教堂とトイレの境付近とみられるが、火の回りが異常に早く、二人が焼け死んでいる場所が不自然などの点があり、同署できょう19日現場検証して調べる>その結果、本田分教会では、その火災の前にも出火があり、そのときは近所の人たちが消火器を持って駆けつけ、火を消したため大事には至らなかったという騒ぎを起こしていることがわかったのだ。そして、近所の人たちが帰った後、改めて内側から鍵をかけ、二人は石油をかぶった後、火を放って焼身自殺をしたわけであった。亡くなった高山分教会長は、何十年もの間、上級の本畑分教会(東京)に日参するほど信仰熱心で有名だったが、上級の会長の「私たちのまことの表しようは、(本部に)おカネをお供えする以外にないんだ」という姿勢が続く中でのカネ集めに、信者たちが音を上げ、家庭内も揉め、関係者に「ホトホト、お道(信仰)も嫌になった」と漏らすようになっていたという。「火事のあった日の午後も、同じ葛飾区内の布教所に行って、”カネ、カネ、カネといわれるばかりで、もうホトホト嫌になってしまった”と、弱音を吐いていた矢先の出来事でした(東京の教会長S氏)(p31)

「カネがらみではないが、天理教関係者にとって衝撃的だったのが、62年6月5日、香川県木田郡の天理教本田中分教会・佐々木徳雄教会長(49)が修行のため小屋に監禁していた女性(22)を死に至らしめたという事件であろう。地元の「四国新聞」(昭和62年6月7日)には、以下のように報じられた。<A子さんは先月ごろからノイローゼ気味となり、両親が佐々木に「娘の体の調子が悪いので、精神修行してくれないか」と頼み、先月29日にA子さんを預けた。佐々木は教会兼自宅でA子さんの面倒を見ていたが、A子さんが品物を壊したり、走り回ることから、両親に連絡して、1日、A子さんの手足を縛って教会東側のトタン小屋(幅2メートル、奥行3メートル)に閉じ込め、外から施錠。食事は佐々木や両親が運び込み、きちんと食べさせていたが、最近は食欲がなくなり、牛乳やプリンなどを与えていた。佐々木が5日午後7時すぎ、様子を見たところ、A子さんがぐったりしていたので119番通報した。調べに対して佐々木は、「両親から相談を受け、精神修行するためA子さんを預かった。しかし、A子さんが走り回って危ないので、けがをしてはいけないと思い、両親に話して小屋に入れた」などと自供。同署(高松東署)では、さらにA子さんを閉じ込めていた5日間の詳しい状況などを聴いている>彼女の両親は20年ほど前からの天理教信者で、本田中分教会に通っていたという。ちなみに、彼女が閉じ込められていた小屋は、ふだんは物置として使用されていたもの。当時、香川県では30度を超える真夏日が続いており、彼女は急激な脱水症状を起こしたとみられている。直接の原因は急性心不全であった。」(p34)

この事件は、私も当時の新聞を読んだ。同情する点も多く、佐々木会長の人柄もあり地元では減刑嘆願署名運動もあったようだ。

事件ではないが、

「ある教会の後継者で、当時はエリートサラリーマンだった人が、職場結婚することになったんです。相手は天理教とは縁のない人だったので、花嫁修行を兼ねて修養科へ行ったわけです。で、終了間近になって、本部員の先生にお茶に誘われ、二人きりになったら、その先生が「結婚をやめて、ぼくの女になれ」と関係を迫ったわけ。彼女はバカにしないでって、帰ってきたんだけど、地元に帰ってから、そのことを教会長に話したんですね。その本部員というのは、天理教のある施設(いこいの家)の長をやっている人物の関係者ですけど、文句をいっても、申し訳ないでおしまいですよ。(p93)

『T氏は語る。「修養科生に手をつけて有名になったのが、埼玉県の秩父大教会長です。相手が「生徒に手をつけ、女遊びをやっている人が教会長でいいのですか」と、本部に直訴したんですね。直訴されたんで、本部も何とかしなければいけないわけです。で、結局、夫婦仲が悪いから、そんなことになるのだろうというので、夫婦で海外布教に行ってこいと、ブラジルに半年ばかり行かされてしまった。しかし、帰ってきたら、どうせバレたんだからと、本人はもっとおおっぴらに女遊びをしている」(p94)

「教祖100年祭の準備も、ほとんど終わろうという昭和60年11月7日、天理教の幹部役員(本部員)3人が、大阪国税局の税務調査を受け、合計約8000万円の脱税を指摘され、約2500万円の追徴税を課せられていたことが明るみに出てしまったのだ。つまり、本来なら役員個人の支出として計上すべき子弟の学費や結婚式費用を、非課税の宗教法人会計で処理していたというのである。当時の報道によれば、その事件の概要は、以下のようなものである。<大阪国税局の調べなどによると、申告漏れを指摘されたのは、天理教本部で教団の運営に当たっている責任役員18人のうち3人。57年から59年にかけて全国各地の教会で行なった講演の謝礼金の一部や、役員個人が関係した出版料収入などを申告していなかった。また、東京の大学に進学したり、海外留学したりしている子弟の学費や結婚式の費用を宗教法人の会計から支出し、役員個人の申告から覗いていたが、同国税局は「子弟の教育費などは親である役員の個人的な支出であり、役員に同額の所得があったものとみなすべきだ」と課税対象として認定した。(「静岡新聞」昭和60年11月7日)

「60年の春ごろから一部関係者の間で問題視されていた、いわゆる中野大教会(滋賀県)問題であった。親教会の教会長の自殺未遂、ヤクザの介入など、話題は多いが、すべての原因は詰まるところカネに対するルーズさんあった。中野大教会問題とはいえ、問題をおこしたのは、部下教会である。つまり、中野大教会傘下に南濃分教会(岐阜県)があり、その部下に浪越分教会(愛知県)がある。問題はこの浪越分教会で起こった。浪越分教会の会長であった山田晴久氏は、(中略)いわくつきに人物であった。今回の問題の発端は、もともと彼が信者のために墓地の造成を手がけることに始まったのだが、墓地管理だけでは事業的に赤字が増えるばかりで、どうしようもないため、さらに不動産を手がける傍ら、ヘルスセンターをつくるというように、事業の幅を広げていったことであった。だが、しょせん素人のやること、(中略)59年までは、その借金も12億ぐらいだったらしい(中略)その結果、借金のカタに、浪越の部下教会までが担保に入れられ、責任を感じた親教会の南濃分教会長が自殺未遂をするに及んで、問題が表面化してしまった。そして、昭和60年3月半ば、浪越の部下教会長ら十数人は、天理教本部へ押しかけ、真柱が帰ってくるところを待ち受けて、”直訴”に及んだのであった。そこで、彼らは土下座して、浪越分教会長の不始末のせいで、自分たちの教会が担保に入れられているという窮状を訴えたのである。この浪越分教会の借金は、最終的には58億円に及んだといわれるが、そのうちの約40億円がいわゆる「悪しき金融業者からの金」だったと見られている。本来であれば、いくら本部で直訴などしても、本部が救済に入ることなどないのだが、この件に関しては、借金の取り立てに、ある暴力団が間に入って動いたこともあって、本部がその借金を肩代わり、暴力団に金を渡して、騒ぎを食い止めたといういきさつがあった。天理教本部は、その上で、中野大教会以下の各教会長を罷免、それ以上、問題が表面化しないようにしたのであった。(p97)

「中野問題以後、本部は心配になって、全国の大教会の借金の有無の総点検をやった。その結果、全天理教の教会の借金は、中野大教会を除いて、約100億円あったと言われている。」(p100)

「日野大教会は現在、山添理一前会長が実権を握っているのですが、この前会長についてはなにしろ袖の下を使って、上に取り入り本部役員になったと一般に噂されているぐらいで、悪い噂がいっぱいという人物なんです。この前会長時代に、日野大教会は滋賀県の山中に大きな敷地を買って、そこに大神殿を建てた。その費用を、カネに余裕のない部下教会に割り当てたのです。当時は、さらに教祖100年祭に向けて、本部へのお供えもしなければならない時期でしたから、各教会は非常に苦しい状況だったわけです。しかし、日野大教会側の言い草は決まっていて、『親のいうことはハイと素直に聞け!』という天理教の金科玉条を持ち出し、命令に逆らえば教会長の資格はないということで、クビを切られてしまう。そうなると、その教会長一家は路頭に迷うわけです。つまり、大教会に生活権まで握られているから、すべての命令に対してはイエスとしか答えられない。そこで、彼ら教会長たちは窮余の策として、自分の土地や建物を担保に入れて、金を借りまくり、サラ金や高利貸しにまで手を出さざるをえなくなる。ところが、利息も払えない。その結果、暴力団が借金の取り立てにくる。とうとう、部下の教会は逃げ場を失って、最後の手段として天理教の真柱に自分たちの窮状を訴えるために直訴したわけです」その金額が、全体で36億円であったというのだが、結局、天理教はその36億円を天理教の”御用銀行”である地元の南都銀行に立て替えさせたのである。そして、部下教会は、今度は南都銀行に、借金の返済をするという形にしてのであった。(中略)つまり部内で36億円という借金を生み、暴力団が介入、真柱への直訴騒ぎまで起きたにも関わらず、本来、そうした問題を起こしたことに対する責任が問われる山添理一前教会長は何も処分されず、逆に天理参考館館長に就任、出世までしているのである。」

以上である。その他、天理教関連の裁判事例や、大教会などの建物建築に関する問題、天理教の問題点を指摘したものへの罷免、除籍問題(中山みき研究ノート、八島問題、ほんみち)などが詳しく書かれている。とても興味深く、一気に読める。いずれ天理教関連の訴訟や裁判についても詳しく調査したいと思う。こうった事件や出来事は、天理教人の中では皆が知っている当たり前のことなのか、それとも知らない人が多いのだろうか私は知りたい。暗い過去としてタブーなのだろうか。

来年の教祖130年祭に向けて天理教本部は構成員にハッパをかけたいが、ハッパをかけすぎると教祖100年祭のように反社会的な事件が頻発してしまうジレンマを抱えることになる。もし100年祭のことのような事件が起これば、今の情報化社会では一気に社会から天理教批判が噴出するであろう。

私が最も興味深かったことは、天理教幹部(本部役員)による脱税事件である。私が知っている本部役員数人を見ると、本部役員はお金持ちという実感はない。生活に困っている感じではないがネット上に散見されるような、「天理教幹部は贅沢三昧」という批判は妄想的なお門違いだと私は認識していた。しかしこの事件で明らかになった脱税額は8000万円と高額である。3人の総計としてもかなり高額である。ということは、本部役員はかなりの高額なお給料を貰っていることになる。確かに今思うと、私の知る本部役員も贅沢な暮らしはしていないが、年の近い子供数人を大学まで行かせている。息子さんの結婚披露宴もそれなりのホテルで盛大にやっていた。そう考えると、贅沢に映らないような生活をしているけど、不自由のない生活であることは間違いないだろう。もちろん私の知り合いの末端の天理教人は、奨学金なしで子供を大学に行かせる余裕なんてなく全くなく、結婚式も明らかにお金がかかっていない教会での手作りであった。教会での手作り結婚式が悪いというわけではないが、信仰者の中のこの格差はきちんと明らかにすべきだと思う。
前回、天理教の財政統計をまとめた中で、「結局使途不明金が多くて、何に使われているのかはっきりしない」と感じた。しかし今回確信したことは、本部に集まるお金の中から数億円規模で本部役員の給料となっていることは間違いないだろう。また役員は、それぞれ病院や学校などの役員も兼任しており、役員報酬も得ている。もし違うというのであれば、天理教本部はより詳細な財務状況を公表すべきだ。

私は特に天理教と直接的な関わりがなく、お供え(献金)もしていないので、究極的にはどうでもいい。しかし、私の知り合いの多くの若者が、大教会で青年という立場で月2,3万円の給料(お与え)の中で生活し(衣食住はほぼ無料だが)、さらにその金額から毎月のお供えをしなければならないという生活である。もちろん年金も社会保障もない。また代々と続いている教会を継いだ若者なども、週に数回アルバイトをして日中は布教をして必死に生きている。毎月十数万の収入の中から家族を養い、教会を運営し、毎月のお供えもしている。信者からの献金は、そのままほぼ手をつけず上級教会へ献金し、最終的には天理教本部に上納される。もちろん、教会にいる彼らも年金や社会保障などできていないことが多い。しかし大教会や教会本部からは「たんのう(現状を喜ぶ)しろ」や「素直になれ」というレトリックを用いて弱者を洗脳している。こういった組織構造や既得権益を維持するために、教会本部や大教会が発するありがたい言葉は何の説得力もないだろう。私が当事者であれば、「なんじゃあこの組織は。あほらしい、やってられん」と思う。しかし組織構造に組み入れられた身分階層社会では、低位固定された末端の天理教人は「やってられない」と逃げることもできない。低位固定という概念は日本人にはピンとこないかもしれないが、ヨーロッパの階級社会と同様の構造である。

この状況を放置している天理教が、今後も社会の承認を得ることは難しいであろう。

天理教の財政的変遷 -天理教本部に集まるお供え金は2013年は126億円だが、10年ごとに約50億円ずつ減少している-

ようやく天理教のお金に関する資料がまとまってきた。時間を見つけてコツコツと資料をまとめてきた成果がようやく結果として出てきた。ご協力いただいた方には感謝申し上げたい。
データはすべて毎月発行される教団誌の「1960年以降のみちのとも5月号」から引用した。毎年5月号には、2月26日に実施される本部員会議というもので決議されたデータが掲載されている。この本部員会議というものがどういったものかはわからないが、国会の予算委員会に近いと思う。そして、その会議では前年の予算に関する補正予算も同時に決議される(これが、今回私を悩ませた点の一つである)。これらの元データは、主要図書館や大学の図書館などで閲覧が可能である。

まずは「歳入歳出総計」を説明する。最初に、今回掲げる総計に関しては補正予算決議後のデータを前年の予算決議と突き合わせた結果を採用した。
1985年が突出して高い。金額にして約540億円である。540億円ときいて、天理教の規模の大きさに驚いた。500億円というのは、市レベルの予算である(滋賀県草津市平成27年度予算が約500億円)。そう考えると、このときの天理教は540億円ものお金を一体何に使っていたのだろうか。

ちなみに直近の2013年の総計は145億円である。下のグラフを見ればわかるように、1985年の教祖100年祭前年以降は、ほぼ下降の一途をたどっている。年祭というのは主に1月に行われるため、年祭の前年に最高金額を記録すると思われる。そのため下記グラフでも10年ごとの年祭の前年だけ、一時的に上昇していることがわかる。多少の増減はあるものの、110年祭以降は120億円前後、120年祭以降は115億円前後で推移していることがわかる。歳入出総計

次に「お供え金収入」についてである。これは前掲した「収支総計」とほぼ同じ増減を示している。1985年の100年祭の前年には513億円ものお供え金が教会本部に集まっていることになる。2013年のお供え金は126億円である。126億円という金額に対して、これも凄い金額である。天理教が衰退していると言っているが、平均すると毎月10億円が天理教本部に集まってくることになる。ただ、数字の大きさに惑わされそうであるが2013年が126億円、2003年が174億円、1993年が221億円と考えると、10年ごとに約50億円ずつお供え金が減少していることもわかる。これも凄い減少スピードである。単純計算で、20年後の2033年後の天理教のお供え金は26億円かもしれないし、30年後の2043年にはお供え金はゼロになるかもしれない。
これからの天理教を担う若者は、これまで天理教を担ってきた恵まれた中高年世代とは比べものにならないくらいに大変だと思う。財政的に考えると今後天理教の施設は順次、統合・閉鎖もしくは消滅することは間違いないだろう。

御供金収入

次に「やしき整備費」である。これは天理教本部を四方に囲む「おやさとやかた」と言われる建物の建築費及びその維持費であると思われる。これも総計やお供え金と同じようなグラフだが、収入が多いため、やしき整備費も多いというのではなかった。私の推測では、必要に応じた予算配分だと思われる。収入が多い年なんかは「お金あるし、あれもリフォームしちゃえ」という感じだが、収入が減少傾向にある現在では「お金ないからリフォームしたくないけど、最低限あれは修理しないとマズイね」という感じのような気がする(あくまで想像だが)。ここ数年は「整備に回すようなお金はない」というような状況に思える。
やしき整備費

さて、今回最後にあげたのが、大卒初任給の金額である。これは経済状況の指標として用いた。当然のことながら今の100円の価値と50年前の100円の価値は異なるため、これまでの財政データを単純比較はできない。私が100年祭以降の数字を主に取り上げているのもそういった事情による。例えば1973年の大卒初任給は5万5千円である。1985年には11万8千円と約2倍である。これは個人がお供え金に回せるような可処分所得が2倍となっていると考えられる。これまで5千円をお供えしていた人が、1万円をお供えできるということである。そう考えると、1965年の教祖80年祭(前年)から、1985年の教祖100年祭(前年)までの急上昇は、そういった高度経済成長や所得倍増という点も考慮しなくてはいけない。国家公務員の大卒初任給で考えるのであれば、1994年以降は18万円前後でフラットとなっており、現在の貨幣価値と比較可能である。その点で、ここ30年くらい天理教の財政状況が悪化しているのは誰の目にも間違いはない。

大卒初任給

今回データをまとめているときに浮かんだ問題点と疑問点を列挙しておく。
1 天理教のお金を語るときに、天理教は「財政状況を公開している」と聞かれることがある。しかし天理教が公開している財務状況はざっくりした金額と用途であり、結局大枠の予算内で何に使われているのかはっきりしない。例えば、歳入の「出向費」「資料集成費」「内事総合諸費」、歳出の「予備費」というものが、一体どのような実態があるのかわからない。法人といえど、これが宗教法人の特殊性なのかもしれない。こんなことでは、天理教に限らずに宗教法人が何をやっているのか分からない。天理教でいえば真柱の生活の運営の費用や、教会本部で働く人たちへ支払われる人件費(名前は何でもよい)すら分からない。こんなことでは、社会の側から財政面で天理教に理解を得るのは無理である。それとも公開してはマズイようなことでもあるのか。

2 月刊誌「みちのとも」であきらかになっているデータは、天理教が「表に出していいデータ」であることは間違いない。現在でも毎月10億円を集めている天理教本部は、たとえば「◯◯大教会からのお供え金は今月は◯◯万円」という各大教会ごとのお供え金を記録した詳細なデータを持っていることは間違いないであろう。今回は天理教本部だけのデータであるが、全国にある各教会のデータがあり、それらは各教会どこも公表していないことは改めて明示しておく。公表してはいけないルールなんてないはずである。

3 こういった財政的逼迫や人員の減少を大多数の教会の会長や信者などはどう思っているのだろうか。つまり天理教本部は「天理時報の手配り」という悠長なことを言っているが、普通の教会長や信者の中でこうした天理教が消滅するような、生き残りをかけるような会話や対策がなされることがあるのだろうか。なぜなら、このブログにコメントしていただく方や、私にメールを送ってくださる方は、ある意味「意識が高い人(危機感を感じている人)」と考えることもできる。毎日数百人が、このブログを見てくれているが、私は天理教人や若者の大部分がこうのような切迫した状況をどのように感じているのか常に疑問を感じている。天理教本部や大教会は「阿保になれ」「素直になれ」「親の思いに寄り添え」といった相変わらず天理教の消滅を早めるだけにしか作用しない思考停止装置を発動している。しかし普通に足し算と引き算ができれば、いまの天理教が思ったより早く消滅に向かうことは明らかではないのだろうか。それとも本当に「どうにかなる」と信じているのだろうか。信じることが宗教の本質ではあるが・・・・このままでは天理教が無くなる日は必ずくるであろう。

いつものように、私と助手のK君が必死で入力したデータを下に掲げておくので、自由にダウンロードしてもらいたい。エクセルデータだが、所々と抜けている点はご容赦願いたい。ちなみに黄色で塗りつぶしてあるセルは、予算案と補正予算案の数値が合致した年で、オレンジのセルは合致しなかった年である。これは「みちのとも」のデータが間違っているのか、私の入力が間違っているのか分からない。それを確かめる労力はなかった。
[wpdm_package id=’619′]

次回は、天理教本部から各法人への「回付金」について検討したい。

今回、何人かの方にご協力いただいたことは感謝したい。データ入力も元データを見ながら手入力だったため誤りがあれば謝罪して訂正する。このブログに挙げたデータは、リンクフリーでコピーフリーであり自由に使ってもらって結構である。しかしそれに伴う責任は負いかねるのでご注意ください。
何かアドバイスやアイデアなどがありましたら、下記アドレスまで連絡をいただければ幸いです。
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

ポスト130年祭の天理教はやはり衰退を止めることができなさそう

先週末、3月27日の産経新聞にて天理教の人事がニュースとして流れた。「天理教人事 内統領に山澤氏を再任、表統領は中田氏」という見出しで、内容は「天理教(本部・奈良県天理市)は27日、祭儀などを担当する内(うち)統領に山澤廣昭氏(65)を再任し、布教や伝道を担当する表(おもて)統領に中田善亮氏(53)を任命したと発表した。任期はいずれも3年。」という内容であった。
私はこのニュースに注目した。なぜなら、天理教は来年1月に教祖が死去してから130年という区切りの年(教祖130年祭)であるからである。
私見では、今後の天理教の趨勢は、まさしく130年祭後の動き方(次の140年まで)でほぼ決すると見ている。1986年の教祖100年祭以降、天理教の人員と財政は下降の一途である。天理教や天理教本部の求心力の低下は、「ポスト130年祭問題」として私はここ数年が分岐点であると感じている。
分岐点というのは、天理教構成員数や財政の数値として天理教が政治的・社会的に現影響力を保持したままの組織として維持できるか、あるいはこのまま沈没して社会にとって「いてもいなくてもどうでもいい存在」として更に下降するかのどちらかである。具体的に言えば、毎年の天理市への10億円を超える寄付金や、大学への30億円、病院への10億円、一れつ会への10億円の回付金が運転できなくなったとき、天理教の存在価値は低下することは言うまでもない。
今回発表された任期3年という天理教の執行機関としてのトップ人事は、今後の天理教を占う上での布石といっても過言ではない。
はじめに説明しておくと、産経新聞にもあるように、内統領とは主に天理教の神事に関するトップである。一方、表統領とは広報なども含めた天理教組織の行政機関のトップという考えでほぼ間違いではない。つまり、この表統領がどういう行政采配や思想をもっているかということが天理教の将来を決める大きな役割となる。
私は、早速この中田善亮氏に関してググってみた。この人は天理教トップである真柱の後継者となっている中山大亮氏の父親であるようだ(真柱に実子はいない)。つまり表統領となる中田善亮氏は、真柱の弟である。真柱に後継者がいないなら継承順位にならって権力の移譲をすればいいと思うが、養子縁組までするなんて天理教の血を巡る執着が、この平成の時代に異様に感じられ引いてしまうのは私だけであろうか。大塚家具もびっくりではなかろうか。
さらにググってみると、この中田善亮氏は、表統領の前は布教部長という役職についていたようだ。布教部長?そんな冗談があるのか。布教部長として天理教の衰退を止められなかった人間が、なぜ表統領として登用されるのか、通常の社会人であれば理解できない。営業の成果をあげられなかった営業部長が、社長に就くようなものではないか。この時点で天理教は、本気で天理教を立て直す気がないことは明白である。何よりこの人事発表に際する知り合いの天理教人のメールの反応は、驚きでも、絶望でもなく「ふーん、くらいですね。大して関心がないですよ」と聞いたのがそれを物語っている。
さらに天理教の週刊新聞である「天理時報」の手配り活動を推進した責任者の一人であることは間違いないようだ(天理教福岡教区 黒門より)。このようなミクロレベルでの一つの政策が、天理教の一大プロジェクトとなっていることに、天理教の布教戦略の手詰まり感が否めない。営業でいばヤクルトを郵送で送るかヤクルトレディを動員するかの違いでしかない。そもそものヤクルトの品質を高めるという議論こそが今の天理教には喫緊に必要であろう。未来の天理教を真剣に議論した結果として「この人なら」という人間が選べない古い輪番制組織である。どれほど良心的な私でも、今後の天理教に明るい光を見出すことは到底無理であると思うニュースであった。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

お正月のお節会に参加したことのある政治家と、著名人を利用する天理教の戦略

予告通り、天理教本部で毎年1月5日〜7日に開催される「お節会(おせち)」に参加したことのある政治家について検討する。これは、私が天理教のデータを収集しているときに偶然に発見したデータ群である。もともと、天理教を信仰する政治家や、このお節会に参加した政治家がいることは知っていた。しかし天理教週刊新聞である天理時報で毎年発表されているとは知らなかった。今回は量的データではないが、非常に興味深い公人データであるので引用した。2004年以降のデータであるが、発表されていない年があったりもした(理由はわからない)。
政治家が特定の宗教法人にコミットすることは、政教分離の点でメディアの俎上に挙げられることがある。昨年末には、あるメディアで公開された天理教と政治家の話もあったようだ。
私は、個人の信仰心として政治家が宗教法人にコミットすることは信教の自由の観点から特に問題ないと感じる(近隣国との関係は抜きにして)。しかし、公僕としてそのお金の扱いは、注意する必要がある。上記のリンクでは政治家が「お節会」に参加した際に、天理教本部へのお供えを公費から支出したような記載がある。記事では、地元の買収として公職選挙法違反ではないかとある。私はもし公費から天理教への支出をしたのであれば、ちょっとどうかなと疑問が残る。例えば、物議をかもしている首相や官僚の靖国参拝などでは、肩書きは公人のまま、玉串料などは私費で支出しているとの報道が多い。靖国神社は私費で、天理教は公費というのであれば、その違いに疑問が残る。年明け2週間後に発刊される天理時報からの引用を下記に列挙する。

—————————————————————–
天理時報4313号2013年(立教176年)
国会議員32人ら 新春の親里に来訪
お節会期間中、衆参両院の国会議員32人をはじめ、各党関係者がおぢばに来訪した(敬省略、総務部渉外広報課把握分)。

【5日】
(衆議院)泉健太、岸本周平、武正公一、田嶋要、馬渕澄夫、山口俊一
(参議院)石井一、大河原雅子、尾立源幸、榛葉賀津也、羽田雄一郎、前川清成、前田武志、松井孝治
【6日】
(衆議院)奥野信亮、川崎二郎、小林茂樹、近藤昭一、桜井宏、田野瀬太道、田村憲久、中谷元、橋本英教、福井照、前原誠司、盛山正仁、山井和則
(参議院)大家敏志、北川イッセイ、福山哲郎
【7日】
(衆議院)重徳和彦、西野弘一
—————————————————————–
天理時報 2012年(立教175年)
お節会期間中、衆参両院の国会議員40人をはじめ、各党関係者がおぢばに来訪した(敬省略、総務部渉外広報課把握分)。
【5日】
(衆議院)石関貴文、泉健太、稲見哲男、大谷啓、大西孝典、岸本周平、楠田大蔵、小山展弘、阪口直人、高井美穂、滝実、武正公一、辻恵、萩原仁、松岡広隆、馬渕澄夫、森山浩行、吉川政重
(参議院)大河原雅子、尾立源幸、榛葉賀津也、中村哲治、羽田雄一郎、前川清成、前田武志
【6日】
(衆議院)川崎二郎、後藤田正純、高市早苗、竹本直一、田野瀬良太郎、田村憲久、中谷元、福井照、三ツ矢憲生、三原朝彦、山井和則
(参議院)大家敏志、北川イッセイ
【7日】
(衆議院)北神圭朗
(参議院)松井孝治
—————————————————————–
天理時報4213号2011年(立教174年)
お節会期間中、衆参両院の国会議員43人をはじめ、各党関係者がおぢばに来訪した(敬省略、総務部渉外広報課把握分)。
【5日】
(衆議院)泉健太、稲見修二、稲見哲男、今井雅人、大島敦、大谷啓、大西健介、大西孝典、岸本周平、楠田大蔵、小宮山洋子、小山展弘、阪口直人、平智之、高井美穂、滝実、辻恵、長尾敬、萩原仁、橋本博明、羽田孜、森山浩行、吉川政重、吉田公一
(参議院)石井一、大河原雅子、尾立源幸、榛葉賀津也、中村哲治、前川清成、前田武志
【6日】
(衆議院)川崎二郎、熊田篤嗣、高市早苗、田野瀬良太郎、田村憲久、中谷元、福井照、山口俊一、山本拓
(参議院)北川イッセイ、藤田幸久、松井孝治
——————————————————————
天理時報4163号2010年(立教173年)
国会議員37人来訪
お節会期間中、衆参両院の国会議員37人をはじめ、各党関係者がおぢばに来訪した(敬称略、総務部渉外広報課把握分)
【5日】
(衆議院)石井進登志郎、稲見哲男、大西孝典、加藤学、岸本周平、熊田篤嗣、小宮山洋子、高井美穂、滝実、辻恵、萩原仁、橋本博明、羽田孜、平岡秀夫、向山好一、森山浩行、吉川政重
(参議院)大河原雅子、尾立源幸、林久美子、藤田幸久、前川清成、前田武志
【6日】
(衆議院)小原舞、川崎二郎、北神圭朗、後藤田正純、高市早苗、竹本直一、田野瀬太道、田村憲久、中谷元、前原誠司、山口俊一、山本拓
(参議院)浅野勝人、北川イッセイ
——————————————————————
天理時報4112号2009年(立教172年)
参議院議員おさづけの理拝戴 中川雅治さん
参議院議員の中川雅治さん(61歳・東右京分教会所属・東京都世田谷区)が昨年12月20日、おさづけの理を拝戴した。
中川さんは昭和44年に大蔵省(当時)入省。その後、国税庁調査査察部長や環境省事務次官などの役職を歴任し平成16年の参議院議員選挙で初当選。これを機に、知人の紹介で別席を運び始めた。
晴れてようぼくとなった中川さんは「現在、主に環境問題に取り組んでいる。2日の生活の中で火水風の御守護に感謝し、互いにたすけ合い、陽気づらしへ向かって成人していくこ姿が、環境問題解決の決め手になるのでは」と話した。

—————————————————————-
天理時報4061号2008年(立教171年)
国会議員も多数来訪
衆参両院の国会議員41人をはじめ各党関係者が、お節会でにぎわう親里を訪れた(敬称略、渉外広報課把握分)。
【5日】
(衆議院)大島敦、小宮山洋子、仙谷由人、武正公一、田島一成、羽田孜、細野豪志、馬渕澄夫
(参議院)大河原雅子、大家耕平、尾立源幸、榛葉賀津也、高橋千秋、中村哲治、長浜博行、白眞勲、羽田雄一郎、林久美子、藤田幸久、前川清成、前田武志
【6日】
(衆議院)泉健太、岡本芳郎、奥野信亮、鎌田忠兵衞、川崎二郎、北神圭朗、木村隆秀、後藤田正純、木挽司、関芳弘、高市早苗、田村憲久、福井照、前原誠司、三ツ矢憲生、盛山正仁、山井和則、山本拓
(参議院)北川イッセイ、松井孝治
—————————————————————-
天理時報4010号2007年(立教170年)
衆参両院の国会議員35人をはじめ各党関係者が、お節会でにぎわう親里を訪れた(敬称略、渉外広報課把握分)。
【5日】
大島敦、小宮山洋子、武正公一、田島一成、羽田孜、古川元久、馬渕澄夫、大塚耕平、尾立源幸、榛葉賀津也、白眞勲、前川清成、前田武志
【6日】
奥野信亮、川崎二郎、木村隆秀、後藤田正純、高市早苗、田村憲久、中谷元、三ツ矢憲生、三原朝彦、盛山正仁、山本拓、荒井正吾、北川イッセイ、北岡秀二、関芳弘、北神圭朗、細野豪志、山井和則、福山哲郎、松井孝治
【7日】
鍵田忠兵衛、後藤博子
—————————————————————–
天理時報2006年(立教169年)
国会議員らも来訪
お節会期間中、衆議院から田村憲久議員、山本拓議員、七条明議員、田野瀬良太郎議員、前原誠司議員ら28人、参議院から8人の議員が親里に来訪した。(渉外広報課把握分)

素晴らしい教えをみんなに
四国比例区選出の衆議院銀、岡本芳郎さん(62歳・福島1区)が6日、おさづけの理を拝戴した。
川端守・浦庄分教会長の導きで別席を運び始めた岡本さん。一昨年おさづけの理を拝戴した後藤田正純代議士とも親交が深く、初席は共に運んだ。また、毎回、自身だけではなく秘書や友人、家族なども誘って別席に。「こんなに素晴らしい教えをぜひみなさんに聞いてもらいたかったので」と。
おさづけの理を拝戴した後、「別席の話を聞くたびに学ぶことが多くあった。今後はようぼく議員として、新人議員なども誘っておぢばに帰りたい」と話した。
—————————————————————–
天理時報2005年(立教168年)
後藤田代議士がおさづけの理拝戴
徳島3区選出の衆議院議員、後藤田正純さん(35歳)が12月24日、おさづけの理を拝戴。「ようぼくとして、教えを日本のみならず世界に向けて伝えていきたい」と話した。
後藤田さんが初めて別席を運んだのは4年前、かねて交流のあった川端守・浦庄文教会長の導きによるもの。
親里で聞いた陽気ぐらしの教えに感銘を受け、「運命的な出会いを感じた陽気ぐらしはまさに私の目指す生き方そのもの」と、秘書と共に公務の合間を縫って、おぢば帰りを重ねてきた。
——————————————————————
天理時報3860号2004年(立教167年)
国会議員がお節会に
衆参両院の国会議員らが、お節会でにぎわう親里に来訪。5日には民主党から17人、7日には自民党から11人が、本部神殿に参拝し、会場に足を運んだ。国会議員らは、お雑煮に舌鼓を打ち、その後、餅焼き場を見学した。
——————————————————————–

以上である。2004年以前も同様のものはあると思うが、面倒なので資料請求しなかった。もちろん、上記の表からは政治家が天理教にお供え金を支出したのかは分からない。同じく、どれくらい天理教にコミットしているのかも分からない。支援者にたまたま天理教人がいて、ふらっと来ただけなのか、信者として参加したのか。ただ全国組織の天理教という票田を考えない政治家はいないだろうが、純粋な天理教信者はどれくらいいるのか分からない。例えば2005年はお節会参加政治家一覧という記事はなかったが、後藤田正純議員が天理教信者(よふぼく)になったという記事もあった。(あの後藤田正晴の息子)
私は某学界のように、信者である著名人を広告塔としてあまり利用しない天理教に非常に好感を持っていた。しかし、近年天理教でも天理教道友社が発行している「すきっと」という雑誌が、「有名人」を利用した販売戦略をおこなっている。天理教のイメージ向上と定期刊行物で安定収入を得るという政策が考えられる。しかし天理教の古典的な布教政策が何も変わっていないことを考えると、目的を見失った迷走しか感じられない。しかも、この雑誌に登場する「著名人」は、天理教信仰者ではないそうだ。実際のところは私は確認していないが、知り合いの天理教に聞くと「ほとんど天理教信仰者ではないだろう」ということだ。
たとえば、「すきっと」vo.24を見てみよう。登場する人物として名取裕子(女優)、輿水精一(サントリー・名誉チーフブレンダー)、小松政夫、コメディアン)、桑野洋一郎(JALオペレーションコントロールセンター長)、≪特別寄稿≫ 中村修二氏 ノーベル物理学賞受賞記念(写真・文 小平尚典)、ご登場の主な方々椎名 誠(作家)、藤井一興(ピアニスト)、大八木淳史(ラグビー元日本代表/芦屋学園理事長)、島田久仁彦(国際ネゴシエーター)石井英夫(コラムニスト)、片山恭一(作家)、小平尚典(写真家)、中江有里(女優)という面々があげられる。
天理教を信仰しない著名人に天理教道友社が取材料を払って、一般的な話題を取材することにどんな意味があるのか私には分からない。まさか無償で取材を受けているなんてことはないだろう。
「天理教って著名人にも認められているんだぜ」という対外戦略か、対内的な発揚か。それとも出版販売からの収益か。私も数年前に読んだことがあるが、この内容でとても「売れる」とは思えなかった。もちろん、天理教の信仰を篤く語っている著名人もいない(天理教関係者はいたけど)。

天理教は著名人を利用しないというのは、認識を改めたほうがよさそうである。

追記
上記引用に関して、氏名の誤字脱字などがありましたら修正しますのでご連絡ください。
本サイトはコピーフリー、リンクフリーですが、データの孫引きなどされる場合は、責任を負いかねますのでご注意ください。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

お正月に天理教本部でお餅を食べる行事「お節会(おせち)」の社会学的考察  -お節会開催中に土日が入っていれば参加者は増える-

これまでに報告したように、現在天理教の財政に関するデータを収集している。何人かの読者の方にもご協力いただいて、過去1960年以降の「みちのとも」のデータが集まった。まずお礼を申し上げたい。

天理教のデータをいくつか調べていると、興味深いデータがたくさん出てきたので、財政データと合わせて現在、収集と整理をおこなっている。各年のデータを収集し、入力・整理をしなくてはいけないために結構な時間と労力がかかる。主にデータを引用しているものは「天理教統計年鑑」という天理教表統領室調査課が毎年発刊している資料である。大学や主要図書館に置かれているので、誰でも閲覧することができる。
立派な冊子であり、1年間の天理教の動きが量的に把握できる貴重な資料である。これほど詳細にデータを公表しているのには好感が持てる。
当初、私は天理教の財政をテーマに掲げて資料を探したが、他にも多くのテーマが見つかった。財政データは量が多く、解析もなかなか難しい。そこで、データ整理が終わり、公表できるものから順次公表していきたいと思う。(もったいぶって小出しにしているわけではない。大量のデータを処理しているので大変)
今回は、毎年お正月の1月5日〜7日の3日間に天理市の教会本部で開催されている「お節会(おせち)」についての参加人数データである。その中で、統計学的に有意な 差を認めることができたので、考察として報告する。このブログの下部にローデータのエクセルファイルを添付しますので、ご自由にお使いください。

まずはグラフである。グレーの折れ線が開催中の合計参加人数である。ブルーとオレンジの折れ線は、団体と一般の違いと思われる。1956年からのデータである。1956年から1980年までは開催前日には「村方」と言われる「お節会」のプレオープンがあったと思われる。また、現在は1月5日〜7日の3日間の開催がスタンダードだが、以前は8日までの4日間開催されたこともあったようだ。
1990年以降の過去30年を考えると、参加人数は減少が続いている。2014年では78,715人であった。2015年のデータはない。近年でもっとも人数が少なかったのは2011年の70,789人である。興味深いのは、年祭がある年は増加しているが、教祖100年祭の年だけ大きく減少していることである。これは100年祭の開催が約1ヶ月間あったために、団体参加 者が1月の中で分散したためではないかと思われる。まだ全てを提示していないために言い切れないが、100年祭以降の「お節会」の参加人数の減少は、お金や信者数に比べるとそれほど大きな減少とは思えない。これは、イベントとして一定の認識・成功を収めているのではないかと思われる。

お節会参加人数

次に、私が着目したのは「なぜ2011年が最も参加人数が少ないのか」ということである。これは「参加人数が減少の一途をたどっている」という仮説を棄却することになる。この疑問をデータを見ながら検討していると、お節会を開催した曜日が参加人数の大きな因子になっているのではないかと感じた。それは、私自身が「1月5日では仕事が始まっており参加できない」という経験に由来する。つまり「お節会が開催する「曜日」によって、参加人数が大きく変動するのではないかと考えた。ということで、過去の開催日を遡り開催日を平日or土曜日or日曜日に振り分けた。その結果、下記表のように、土日が2日間含まれていると統計学的に有意に参加人数が多いということがわかった(p=.036)。方法は、平日の参加人数vs土日の参加人数のt検定である。ちなみに平日vs土日のどちらか1つでは有意差は検出されなかった。団体参加か一般参加にも有意な差は検出されなかった。
お節会のt検定表

考察
①お節会に参加するためには、参加受付が必要であり、計上された数値は、それほど実態とは離れていないと思われる。
②1990年以降、10年ごとの平均値比較では参加人数は減少している。しかし年祭の実施年は一過的に増加する。
③一般は団体ではなく「一般受付」という枠組みで受付をしたと知り合いに教えてもらったが、何名以上が「団体」受付の対象で、何名以下が「一般」受付の対象なのかという基準はわからなかった。ただ、一般と団体の差は、もともと団体数が多かったが、近年は一般が団体を上回ることもある。
④上記のことから、団体という組織力は低下している代わりに、個人単位(家族などの小単位?)での参加が多いと思われる。(団体数の減少率に比して、個人での減少率は低い)
⑤個人単位での一般参加割合が増加していることに関しては、教会単位での組織力の低下を裏付けることができる。一方で、一般の参加の減少率がさほど低下していないことに関しては「お節会には参加したいけど、団体でいくのは嫌」ということなのだろうか。天理教人はこの現象をどう考えるのか参加していない私には想像ができない。
⑥単純な疑問として、お供え物のお餅が足りなくなったり、余ったりすることはないのだろうか。そういった場合の対応方法が、週刊新聞の天理時報や月刊内部誌の「みちのとも」を探してもどこにもなかった。興味深い。
⑦問い合わせた知り合いの天理教人は「「お節会」は天理教の初詣として、天理教を信仰しない人でも参加しやすいし誘いやすい(においがけしやすい)」と言っていた。天理教信仰者とそうではない者の割合がわかれば、より興味深い数値だったと思う。そのデータは探しても見当たらなかった。
⑧毎年1月5日〜7日に開催することにどのような宗教的意味があるのか分からない。しかし僭越ながら助言させてもらうと、土日に開催した方がイベントとして大成するのではないだろうか。ちなみに来年は火・水・木なので参加人数は少ないだろう(年祭という行事がどう影響するのかは考慮していない)。
⑨「天理時報」の新春1号の次の2号では、お節会に参加した政治家一覧がほぼ毎年掲載されていた。そのデータも興味深かったため、次回にアップしたい。

[wpdm_package id=’569′]
追記:このブログで発表する一連のデータは、協力いただいた方からの資料提供と国会図書館の資料で構成している。統計結果を含めて、データの誤記や統計解析の過誤については責任を負いかねます。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

権力者の脅迫行為には徹底的に反対する。

本日から大学生を対象とした「学生生徒修養会 大学の部」(略して学修)というのが天理市で開かれるようだ。天理教学生会にコミットする大学生(おおよそ500人)が、1週間「講義、グループワーク、にをいがけ、ひのきしん、修練(おつとめ勉強)など。」をおこなうということである。おそらく期間中には、天理教のハッピを着た若者が関西の主要都市で集団で絶叫するという異様な光景を人々は目にすることになるだろう。
この参加要項を見ると、どうやら参加は公募である。誰でも参加できる。受講資格を見る限り、「天理教信者」である必要はない。しかし申込方法には「最上級教会長の署名・捺印をいただいた後、学生担当委員会事務局に申し込んでください」とある。ん?なぜ最上級教会長の印がいるのだ?最上級教会長というのは、主に大教会長のことである。大教会長が、学生を対象としたイベントの個人の参加まで職印で了承する必要があるのか?参加する学生は、よくその印の意味を考えるべきである。私は天理教の権力者による広範な権力の適用に関して、やりすぎであると思う。そして、そこに天理教の著しい衰退の要素があると思う。その意味を以下に説明する。
このブログを開設してから、私は天理教の権力構造の異常さを多分に知ることができた。ネット掲示板のように、流言や噂話など信憑性のないものもたくさんあった。一方で、実際の資料や記録を送っていただいたり、当事者の方とお会いし明らかな天理教の人権的課題に接することができた。
先日も、ある研究者と話をし2020年の東京オリンピックを一つの区切りとし、日本の人権的課題を克服しなければならないと話をした。近年議論となっているLGBTや、在日外国人、障害者などの権利擁護などの人権状況を一気に向上させるために、官民揃って国民の意識と制度を向上させる必要がある。それらは国際社会の一員としての日本の責任と使命であると感じる。
一方で、天理教の会長や大教会長の信者に対する広範な(宗教活動から生活まで)権力の適用に対して、私は時代遅れのカルト教団とさえ感じており、その権力構造の複雑さやしたたかさは、今後社会のいろいろな場で啓発していきたいと思う。
話を戻そう。今日から始まる学修大学の部に関して、京都市にある天理教河原町大教会(深谷善太郎会長)では、「今回の学修大学の部に参加しないと、その者の居住権を剥奪する」という脅迫的な命令(号令)がくだされたようである。つまり天理教施設に居住する大学生に対して、条件を提示して意に沿わない場合は、この施設に住むなということである。私は複数の情報源からこの話を聞いている。これがもし事実であれば、発信者は憲法13条前段「すべての国民は個人として尊重される」と憲法25条の生存権を軽視していることになる。もし退居させることが事実ではなくても、このような脅迫的発言がなされていたのであれば、弱者の権利擁護を真っ向から否定することになり断固として批判する(このような命令が口頭で下ったことは事実のようである)。「実際に退居させるつもりなどない」では済まない問題である。
私は常々申し上げているように、天理教の金科玉条である「陽気暮らし」は弱者の権利擁護(人権的救済)を包含している。天理教人こそ、弱者に寄り添いその方の権利を救済しなければならないと私は思う。その対極にあるのが、脅迫である。脅迫とは権力を用いて、自分の意に沿うように人をコントロールすることである。DVや虐待まで行かなくとも、うつ病で仕事に行けない人に「怠けているんじゃない」と責めることや、障害者差別なども同様である。権力者が脅迫を用いることは、人として最低の行為である。差別や脅迫は、私たちの日常に普通にある。だからこそ権力者は権力の行使には慎重でなくてはならない。今回とは関係ないが天理教人から日常的に聞かれる「理を立てる」や「徳を積め」「そんなことでは助からない」「素直になれ」「あなたが病気になったの心遣いがよくない」などといった権力者から弱者への言動も、弱者をコントロールする脅迫的要素があることに自覚しなくてはならない。そして、こんな言動をする天理教人には決して近づいてはいけない。
もし、天理教施設への入居時に「学修大学の部に参加しなければ退居すること」ということが明文化されていれば、事務手続きとして粛々と進めるべきであろう。しかし前提として天理教は私企業でもなければ、住居斡旋会社でもない。信教の自由を担保した宗教法人である。
私が学生時代に恩師から教わったことの一つに「権力者の脅迫に対抗するためには、より強大な権力を用いて正々堂々と権力を排除すべきだ」がある。国際社会が人権というテーマに取り組んでいる今こそ、天理教も時代遅れにならずに本当の意味での「陽気暮らし」を考えるべきである。なぜ天理教が衰退しているのか、権力者は言われる身になって考えるべきだ。天理教学生担当委員会がわざわざ「大教会長の印をいただく」なんてわけのわからない謙譲表現を募集要項ですることが、権力者を勘違いさせていることに自覚的であるべきだ。天理教学生担当委員会は、大教会長におもねるような活動しかしていないのであろう。組織として若者育成の哲学や理念はないのか。いくら立派な活動をしていても、自分で考えることを放棄すれば、それは責任を放棄したものと同様である。
今回の話は、天理教全体のことではなく一部のことである。しかし、こういった一部の反社会的な権力者がいることで、天理教がおこなっている里親や災害救援などの素晴らしい社会貢献活動も、「結局は人集めのための売名行為」となってしまうのではないかと危惧する。もし100歩譲って、権力者が「間違っていない」というのであれば、内部の狭い権力構造でコソコソやっていないで、広く社会に天理教の実情を情報発信をすべきである。見てもらえばいいじゃないか。権力者の都合が悪いから信者のブログを閉鎖するように圧力をかけたりするように、権力を行使し言うことを聞かせることは普通の学習をしてきた責任ある社会人はしない。奥さんを束縛しているDVの夫や、学校に行かせずに子供を虐待する親と、構造がまったく同じではないか。天理教は加速度的に衰退しているが、それが誰の責任かは明白である。

以下、参考までに天理市と京都市の人権相談窓口のリンクを掲げる。
リンク
天理市啓発係
京都市人権文化推進課

「こういうことがあったけど、これってどうなの?」ということがあれば私にメールを送ってきていただいても結構です。
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

 

天理教の衰退と歴史的変遷を数字で表す 文化庁の宗教統計調査から

昨年から、このブログの運営にはKくんが助手として手伝ってくれている。といっても空いた時間に迷惑メール対策や、保守点検をしてくれている。以前、本ブログに「自立人生」さんがコメントを残してくださいました。そのコメントはリンクが多く、当初はサーバーで迷惑コメントとして判断され、掲載が遅れてしまっておりました。申し訳ありません。
今回、本ブログはせっかく「社会学」という名を冠しているので、たまには社会学っぽくデータで物を言いたいなとKくんと話をしていた。その中で以前の「自立人生」さんのコメントにデータが多用されていること思い出し読み返した。大変、素晴らしいリサーチで見習いたいと思います。
今回は、公開されているデータから天理教を数値で表したい。その上で、考察をおこない今後の課題が出てきたので、読者の方にもご協力していただけたらと思う。(コメントしたのに、表示されない場合などがありましたらメールにてご連絡ください)

今回使用したデータは、文化庁が毎年発行している「宗教統計調査」である。これは日本に存在する宗教法人が毎年、文化庁に組織概要を報告しているデータをまとめたものである。だからといって、宗教法人が文化庁に「本当のデータ」を申請しているかどうかは私にはわからない。たとえば「信者数」は信者とする基準などは、各宗派でバラバラである。あくまで宗教法人の任意に基づくデータであることは注意が必要である。今回使用したデータは、その中の統計が開始された1949年〜2011年までのデータを使用する。カテゴリは「教会数(宗教団体数)」「布教所数」「宗教法人の教会数」「男子教師数」「女子教師数」「教師数合計」「信者数」という分類である。今回は天理教のデータのみ使用した。(量が多くて他の宗派までやってられない)

まずは「教会数(宗教団体数)」。これは単純に全国に天理教の教会がどれだけあるのかという数字であると思われる。ところどころに不自然な上下がありますが、1985年あたりから、ほぼ16,500強でほぼ横ばいと思われる。それにしても1950年代から1985年までの増加率は凄い。
教会数
次は「布教所数」。布教所というのは教会になる前の小単位である。1965年から、急激な増加がみられるが、1985年ごろをピークに下降している。単純に驚いたのが、教会数よりも多いということ。

布教所数

次は「宗教法人の教会数」である。これは一番最初に掲載した「教会数(宗教団体数)」とは、どういう意味の違いがあるのか私にはわからない。しかし天理教の月刊誌である「みちのとも」を見る限りの教会数は、最初にあげた「教会数(宗教団体数)」の数値の方が最も近いと思われる。教会によって、法人登録がしてあるのかどうかということなのだろうが、教会によって法人登録をしている教会としていない教会の差が私には分からない。
宗教法人の教会数

次は天理教の「教師数」。「教師数」は天理教でいう「よふぼく」の上位概念である「教人」であると思われる。元データでは「男子教師数」「女子教師数」「教師数合計」に分けてあったが、ここではややこしいので、一緒にまとめた。2000年以降、ガクッと下降したことが見てとれる。何があったのだろうか。すでに死んだ人間なのに算入されていた教人を排除したのかな。
性差では、女子教師数の方が男子教師数よりも圧倒的に多いのは興味深い。教祖が女性であったことと何か関連があるのだろうか。
教師数

最後に「信者数」。「信者数」は天理教では「ようふぼく者数」であると思われる。驚くほどのバラツキがある。自然科学から見ると、このデータは明らかに不自然である。人口統計学でいうと、大量虐殺や大災害でもなければ、このようなグラフは描けない。何らかの統計処理に関する人為が入っていることは明白である。おそらく1966(教祖80年祭)後と1986(教祖100年祭)前にデータ整理がなされたために、急激な減少となったのだろう。注目すべきは、急減した1967年(教祖81)から1983年(教祖97)に270万人近くまで盛り返していることである。しかし一方で、1984年(教祖98)から1986年(教祖100)までは10万人弱の急激な増加率を記録しているものの、1986年の100年祭を機に再び減少に転じており、その後1996年の教祖110年祭まではゆっくりとした増加率でしかない。これまでと同様に2006(教祖120)後も、急激に信者数が整理(削減)されている。本データは2011年のデータまでしかないが、現時点では天理教の信者数はおよそ120万人と考えることができる。270万人のときと比べると半減以上である。来年の130年祭に向けて、もし信者数が130万人近くになったとしても、130年祭が終わった後のデータ整理では天理教の信者数が100万人を切ることも十分に考えられる。(データ整理では、毎回20万人〜30万人が削減されており、特に高齢化社会の影響は大きいと思われる)。
信者数

以上、文化庁の「宗教統計調査」のデータをもとに天理教の形をグラフ化した。Kくんとデータを整理しているときの問題点について下記に列挙しておく。もし読者の方にご協力いただけるのであればご意見を賜りたい。特に今後、天理教のお金の収支について調査するつもりだが、これは天理教の月刊誌である「みちのとも」を見なくてはいけない。「みちのとも」は、私は購読しておらず、特に過去数十年となると国立国会図書館や天理大学図書館まで行かなくてはいけない。それは非常に面倒なので、協力していただける方は是非助けていただきたい。本当はこれらのデータを統計解析して、何らかの有意な減少率を明確にしたかったのだが、文化庁発表の天理教データは、不自然なデータが多いため難しい。しかし、今後金銭の収支データが集まれば、人員規模との間に何ららかの相関を出したいと思う。

データで見る天理教の考察と問題点
1  教師数や信者数が減少している中で、教会数は大きく減少していない。教会を支える人間の減少と苦しい経営が予想される。
2  教師数や信者数で、ある時にガクッと減少するのは、天理教本部がデータ整理をしたことによるのではないか。(すでに死んでしまっている信者を削除したり)
3  本部がデータを整理したということは、天理教の信者などによる、いわゆる信者数が死去した場合の「死亡届」のような天理教本部へ申請する制度はきちんと機能していないのではないか。(「みちのとも」では毎月の教会数と信者数が明記されており、中には「出直し」(死去)という項目もあるが)
4  天理教の主な出来事として「1966年に教祖80年祭」「1976年に教祖90年祭」「1986年に教祖100年祭」「1996年に教祖110年祭」「1998年に教祖生誕200年、真柱継承」「2006年に教祖120年祭」があり、「教会数」の頭打ちと「布教所数」の減少は1986年の教祖100年祭がポイントである。
5 文化庁の公表データであり、300強ある海外の教会や支所については計上されていないと思われる。
6 2011年のデータでいうと、1教会あたり約10人の教師と約70人の信者がいることになる。私がいくつかの教会を見てきた中では、実感とはかけはなれているが、天理教人はどう思うのだろうか。
7  前回の記事で述べたように、天理教が構成員に課すノルマの負担は、人も金もない中で年々大きな負担となるだろう。リアルに歴史上にみられた社会主義の崩壊の情景が頭をよぎる。それと同様に、現行の上意下達の天理教システムでは、明らかな制度疲労がおきており、どこかの水準で一気にクラッシュが起こるのではないかと危惧する。たとえば追い詰められた教会長による重大事件の頻発であったり、天理教信者による被害弁護団の結成などのモラルハザードである。

最後に、こちらでまとめたローデータの一覧表は、下記エクセルファイルにて公表しますので、ご利用ください。天理教の主な出来事も記載しました。
[wpdm_package id=’467′]

お願い
「みちのとも」に掲載されている天理教の収支報告である「一般会計歳入歳出予算」の過去、数年分をお持ちの方がおられましたら、写メールやコピーで結構ですので下記メールまでお送りいただけましたら幸いです。なお、毎年度の天理教の収支報告は「みちのとも」5月号に掲載されているのではないかと思われます。(今年度予算は、昨年2月26日の本部員会議にて予算が決議され、5月号の「みちのとも」にて掲載されていました)。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

来年の天理教教祖130年祭に向けて 心が大事と言いつつ、要は数字ってこと

年明け早々に、宗教に関連する大きな出来事がシリアでおこったことは記憶に新しい。しかし海外の報道と日本の報道で大きな違いがあると感じている。日本では殺害された方の話題や、自己責任論や、政治的論争として扱われる。しかし、海外ではイスラム教そのものに対する話題や議論や嫌悪感が多い(私のソースはCNN.comWSJであり、違うと言われれば訂正する)。

日本では、こういった宗教の存在意義に対する議論がないのが残念である。一方で、こういった議論がないのが日本の宗教の特徴であり、誇るべきものではないかとも思う。持論になるが、海外では、宗教というのは個人のアイデンティティを形成するものである(最近では欧米の若者の宗教離れも問題になっているが)。しかし日本の宗教の本質は、寛容を示すものだと私は思う。八百万(やおよろず)の神という概念を持つ日本の特徴は、アニミズムや偶像崇拝でさえも許容する。これは日本以外ではほぼ考えられない。日本では宗教系の学校法人はたくさんあるが、たとえばミッション系の学校に通っていても仏壇がある家庭は多い。そして初詣をし、クリスマスを祝い、お盆をし、七五三をし、「私は無宗教です」と言う。端からみれば無茶苦茶な国である。このような無節操を海外ですれば、刺されると思う。しかし、この多様性を受容することこそ、日本の宗教の本質であると私は思う。反対に、寛容さを失い何をやっているのか見えない閉鎖的な宗教は日本では受け入れられない。どの宗派であろうと、いろいろな価値観を許容し、他を尊重するという姿勢を持つ宗教が今の時代に生き残っているのではないか。私の知っている坊主は、「教え以前に、やるべきことが人間にはある」と言い切っているのに驚いたことがある。

天理教も寛容な教義を持っている(天理教特有の禁止事項や排他的な折伏は特にないという意味)。そういった意味では、非常に好感が持てる。しかし一旦、組織の中に入ってしまうと、その寛容さは失われる。それが本ブログの大きなテーマである。天理教を外から見たときの寛容さと、中にコミットしたときの非寛容さは、天理教人たちが口にする「教えは好きだが、組織は嫌い」という言葉に集約される。
天理教では来年に教祖130年祭という教祖が没して130周年を迎える。それに向かって、今年の天理教は「仕上げの年」として意気軒昂に布教活動に取り組んでいる。その目的は「神様に喜んでもらえるように」ということである。人々に天理教を広めることは、陽気ぐらしという価値観を共有し、よりよい社会の実現ということが根底にある。では、具体的にどういうことをすれば「神が喜ぶのか」ということである。

私の手元にあるものは、ある系統(大教会)が作成したもので、そこに属する天理教人から私に届いた書類である。その書類に書いてあることを引用すると「教祖130年祭に向かって3000名の初席者を目標に掲げました。あなたも身近な人に声をかけ、一人でも多くの方を・・・」とある。

そう、結局は数なのである。量的問題なのである。これをもらったときに「結局、人としての教えどうこうよりも、頭数なんですね」と私が天理教人に言ったとき、天理教人は私の言葉がイマイチ理解できなかったようである。「なにか問題でも?」とでも言いたそうな戸惑った顔であった。
確かに天理教人サイドからしてみれば、神様に喜んでもらえるように一人でも多くの方に声をかければ、その努力を神様は喜んでくれるという論理なのであろう。しかし、天理教人以外からしてみれば、「あ、私に声をかけているのはノルマだからなんだ。ノルマがあるから、そんなに必死なんだ。じゃあノルマがなければそこまで必死じゃなかったの?」と思うのは当然である。
天理教人は、神と親(理の親)を同一視して崇拝している。しかし天理教人以外の人間が見ているのは実態のない神や裸の王様である親(理の親)ではなく、自分の人生・生活を豊かにすることでしかない。ここに天理教と一般社会との間に大きなすれ違いがある。だから宗教に寛容さを求める一般の人たちは、天理教を信仰したところで自分の人生・生活が豊かになるなんて到底思えない。だって自分を天理教に誘ってくれたメンターである目の前の天理教人は「こっち」を見ずに、神や親の方しか向いていないんだもの。だから天理教は衰退するだけなのである。

数値目標というのは、供給者と需要者にそういったズレを生じさせるのは必然である。私が言いたいのは、ノルマが悪いということでも、数値が悪いということでもない。単に、天理教は宗教の本質である人間的寛容さを失い、天理教の神は、数字で計算できるものを喜ぶ薄汚れた宗教なんだということである。頭数を、そのまま金へと変換することは小学生でもできる。

私に言わせれば今の天理教組織は、従業員の雇用環境を改善せずに「とりあえず来年の開業130年までに新規顧客3000人連れてこい!」と叫ぶだけの、ブラック企業と何ら違いがない。むしろ宗教法人にかこつけて、本部以外の天理教構成員は無保険無年金が多く、月5万円以下の生活費だけであり、法人として構成員の生活保障をしていない分、たちが悪い。いずれにせよ、天理教の現幹部たちは天理教の衰退を止めることができない経営センスがないものたちであることは明白である。もし幹部たちが、経営者でなく宗教者であるというなら、数より大事なことがあるだろう。教祖130年に向かって、心の成人(成長)になるから「人を連れてこい」と洗脳するのではなく、今後の天理教をどうしたいのか、一般の人にもわかるようにきちんと天理教の専門用語以外の言葉で説明すべきである。私には幹部たちが「生活が苦しくなってきたから、人数増やして私たちにお金を運んできてください」と言っているようにしか聞こえない。もし、人数やお金という数字じゃないというのであれば「みちのとも」(内部月刊誌)で公開しているざっくりした財務諸表ではなく、幹部の誰がいくらもらっているというお金の流れを明示すべきである。絶対にそんな綺麗なことはしないだろうけどね。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp