日本が右傾化や好戦的になって言われて久しい。右傾化や好戦的態度と言われているが、国家としての前提なのか、戦争への連続性なのか、立場によって考え方は様々である。私の考えは国家として新聞を賑わしている大国視点ではなく発展途上国視点で弱者を救済するようになってほしい。平和や国益という目的は共有できても、方法論や手段が異なるため議論となり論争となる。
もちろん戦争は最も忌避しなければならないことではあるが、どのような立場であっても特定の視点でしか物事を見れないことに私は最も怖いと感じる。「まーまーしゃーない。ちょっと話ししようや」というような仲を取り持つような大人が最近少なくなっているのではないかと感じる。どのような大人も、たとえ戦争を声高らかに反対する大人でさえも、感情的になり、目くじらを立てている。そこにこそ戦争に近い雰囲気を感じるのは私だけだろうか。どのような立場も否定する気はないが、その人たちから見れば、私こそが平和ボケしているリベラルなのかとさえ感じる。
そのため私は国家総動員のようなスローガンが嫌いである。スローガンとなった途端に、それ以外の言論を封殺し、それに乗れきれない者を排除するような雰囲気が生じるからである。
この文脈で天理教のスローガンや130年祭への総動員的な雰囲気を批判するのは少し場違いなのかもしれない。なぜなら宗教とは、それが必要条件なのかもしれないからである。しかし現在天理教がもつ教祖130年祭に向かう集団主義的な雰囲気は、部外者の私には異様に感じる。天理教の発行物や天理教人にもらう配布物には、教祖130年祭に向かうことしか書いていない。
来年1月26日、天理教では教祖が身体的に亡くなってから130年を迎える。そのため現在、教団では広報誌などを使って「130年祭に向けて」と信者や構成員に対して国威発揚のごとく発信しまくっている。既報のように「130年祭までに3000人を信者に(初席者に)しよう」というノルマ的な数字まである。教会単位では「130年祭までにお供えを◯◯万円させていただこう」という金額まであるようだ。
数字ついて、いつも私が意見を聞いている天理教人に問い合わせてみると「数値目標として設定されているが、ノルマを達成しなくても特に罰則はない。罰則はないが、数字が低い天理教人は「頑張っていない(勇んでいない)」という暗黙の空気を周知することになる。これでも100年祭の頃に比べるとプレッシャーは非常に緩やかになった。100年祭の頃はいろいろあったから」ということであった。いろいろあったことについては「よく知らないけど、上層部からのプレッシャーから、教会長の強盗とか自殺が多かったようですよ」ということだった。
少し気になったので調べてみた。すると「天理教・その堕落と悲劇:300万信者の悲劇、お供え金地獄、教会長残酷秘話、本部の犯罪、相次ぐ離脱・・・」早川和広1988という本が出てきたので、早速取り寄せた。
天理教のお金にまつわる話や真柱中山家に対する批判などが中心であった。どこまで本当の話かは私には判断ができなかったが、この著者は社会派の力のあるジャーナリストのようだ。
そこに書かれていた100年祭前後の事件について引用する。
「東西礼拝場の建設や、百年祭の準備に忙しい昭和59年1月5日の早朝、本部直属教会長たちによる年頭会議が開かれる、おめでたい日を選んで、長崎県の肥長大教会長が天理詰所(宿舎)で首吊り自殺をはかったのだ。」(p20)
「同じ年(昭和59年)の10月25日、今度は山名大教会(静岡県袋井市)の部下教会である静岡県の鮎ケ瀬分教会長が天理の山名詰所で飛び降り自殺をはかった。この日は、東西礼拝場落成の日であり、前日には親神(人間創造の神)が人間を宿し込んだ地とされるぢばの証拠であるかんろだい(甘露台)据えかえの儀が行われ、翌日は秋季大祭という天理教の三大慶事が重なった、とりわけおめでたい日であった。」(p20)
「昭和59年5月28日、船場大教会(大阪市)の部下教会である埼玉県の大請分教会長が、東京・足立区の平和相互銀行千住支店(当時)に包丁を持って押し入り、強盗傷害の現行犯で逮捕されている。」(p21)
これについては、私も当時の新聞を見返した。当該事件の記事はあったが、天理教という文字はなかった。
「それ以前にも、57年12月23日、郡山大教会(奈良県)の部下教会である広島県の竜安芸分教会長が広島市信用組合大河支店に押し入り、やはり現行犯で逮捕されているのである。」(p21)
「そのおめでたい百年祭も終わりに近づいた昭和61年2月14日、天理教本部にとって由々しき事件が起きたことは、ほとんど知られていない。その日、日光大教会(栃木県)部内のある教会の団参一行は、天理へのおぢば帰りを終えた後、鳥羽伏見で一泊、帰路につくことになっていたのだ。ところが、その団参の引率者が入水自殺を遂げるという事件が起こったのである。天理の本部での自殺でなかったことが、教団本部にとってはせめてもの救いであったというべきかもしれないが、自殺の原因は、地元に帰れば、また立教150年へ向けての”きりなしふしん”(お供え金)が待っていると思うと、家路に向かうのが憂うつであり、その苦労を思い悩んでの結果であったと関係者の間では囁かれている。」(p26)
「昭和62年1月26日、立教150年を10ヶ月後に控えた春季大祭に、天理を訪れたブラジルからの団参の責任者が、翌27日、拳銃密輸容疑のため岡山市内の宿泊先で手入れを受け、拳銃数丁と実弾数発を押収されるという事件が起きたのだ。その日流れたテレビのニュースでは、天理教の名前こそ出なかったが、事件を知らされた天理教本部関係者・M氏は、「拳銃に限らず、海外の天理教関係者による密輸は、そう珍しいことではない」と指摘した。」(p30)
「2月18に日午後9時35分ごろ、東京都葛飾区にある天理教本田分教会から出火、木造平屋建ての同教会兼住居のうち、教会部分(70平方メートル)を焼き、高山朝治分教会長(76)と長男のプレス工・節男さん(55)の二人が焼死するという事件があった。翌日の「読売新聞」には、本田署の調べとして次のように書かれていた。<出火場所は、教堂とトイレの境付近とみられるが、火の回りが異常に早く、二人が焼け死んでいる場所が不自然などの点があり、同署できょう19日現場検証して調べる>その結果、本田分教会では、その火災の前にも出火があり、そのときは近所の人たちが消火器を持って駆けつけ、火を消したため大事には至らなかったという騒ぎを起こしていることがわかったのだ。そして、近所の人たちが帰った後、改めて内側から鍵をかけ、二人は石油をかぶった後、火を放って焼身自殺をしたわけであった。亡くなった高山分教会長は、何十年もの間、上級の本畑分教会(東京)に日参するほど信仰熱心で有名だったが、上級の会長の「私たちのまことの表しようは、(本部に)おカネをお供えする以外にないんだ」という姿勢が続く中でのカネ集めに、信者たちが音を上げ、家庭内も揉め、関係者に「ホトホト、お道(信仰)も嫌になった」と漏らすようになっていたという。「火事のあった日の午後も、同じ葛飾区内の布教所に行って、”カネ、カネ、カネといわれるばかりで、もうホトホト嫌になってしまった”と、弱音を吐いていた矢先の出来事でした(東京の教会長S氏)(p31)
「カネがらみではないが、天理教関係者にとって衝撃的だったのが、62年6月5日、香川県木田郡の天理教本田中分教会・佐々木徳雄教会長(49)が修行のため小屋に監禁していた女性(22)を死に至らしめたという事件であろう。地元の「四国新聞」(昭和62年6月7日)には、以下のように報じられた。<A子さんは先月ごろからノイローゼ気味となり、両親が佐々木に「娘の体の調子が悪いので、精神修行してくれないか」と頼み、先月29日にA子さんを預けた。佐々木は教会兼自宅でA子さんの面倒を見ていたが、A子さんが品物を壊したり、走り回ることから、両親に連絡して、1日、A子さんの手足を縛って教会東側のトタン小屋(幅2メートル、奥行3メートル)に閉じ込め、外から施錠。食事は佐々木や両親が運び込み、きちんと食べさせていたが、最近は食欲がなくなり、牛乳やプリンなどを与えていた。佐々木が5日午後7時すぎ、様子を見たところ、A子さんがぐったりしていたので119番通報した。調べに対して佐々木は、「両親から相談を受け、精神修行するためA子さんを預かった。しかし、A子さんが走り回って危ないので、けがをしてはいけないと思い、両親に話して小屋に入れた」などと自供。同署(高松東署)では、さらにA子さんを閉じ込めていた5日間の詳しい状況などを聴いている>彼女の両親は20年ほど前からの天理教信者で、本田中分教会に通っていたという。ちなみに、彼女が閉じ込められていた小屋は、ふだんは物置として使用されていたもの。当時、香川県では30度を超える真夏日が続いており、彼女は急激な脱水症状を起こしたとみられている。直接の原因は急性心不全であった。」(p34)
この事件は、私も当時の新聞を読んだ。同情する点も多く、佐々木会長の人柄もあり地元では減刑嘆願署名運動もあったようだ。
事件ではないが、
「ある教会の後継者で、当時はエリートサラリーマンだった人が、職場結婚することになったんです。相手は天理教とは縁のない人だったので、花嫁修行を兼ねて修養科へ行ったわけです。で、終了間近になって、本部員の先生にお茶に誘われ、二人きりになったら、その先生が「結婚をやめて、ぼくの女になれ」と関係を迫ったわけ。彼女はバカにしないでって、帰ってきたんだけど、地元に帰ってから、そのことを教会長に話したんですね。その本部員というのは、天理教のある施設(いこいの家)の長をやっている人物の関係者ですけど、文句をいっても、申し訳ないでおしまいですよ。(p93)
『T氏は語る。「修養科生に手をつけて有名になったのが、埼玉県の秩父大教会長です。相手が「生徒に手をつけ、女遊びをやっている人が教会長でいいのですか」と、本部に直訴したんですね。直訴されたんで、本部も何とかしなければいけないわけです。で、結局、夫婦仲が悪いから、そんなことになるのだろうというので、夫婦で海外布教に行ってこいと、ブラジルに半年ばかり行かされてしまった。しかし、帰ってきたら、どうせバレたんだからと、本人はもっとおおっぴらに女遊びをしている」(p94)
「教祖100年祭の準備も、ほとんど終わろうという昭和60年11月7日、天理教の幹部役員(本部員)3人が、大阪国税局の税務調査を受け、合計約8000万円の脱税を指摘され、約2500万円の追徴税を課せられていたことが明るみに出てしまったのだ。つまり、本来なら役員個人の支出として計上すべき子弟の学費や結婚式費用を、非課税の宗教法人会計で処理していたというのである。当時の報道によれば、その事件の概要は、以下のようなものである。<大阪国税局の調べなどによると、申告漏れを指摘されたのは、天理教本部で教団の運営に当たっている責任役員18人のうち3人。57年から59年にかけて全国各地の教会で行なった講演の謝礼金の一部や、役員個人が関係した出版料収入などを申告していなかった。また、東京の大学に進学したり、海外留学したりしている子弟の学費や結婚式の費用を宗教法人の会計から支出し、役員個人の申告から覗いていたが、同国税局は「子弟の教育費などは親である役員の個人的な支出であり、役員に同額の所得があったものとみなすべきだ」と課税対象として認定した。(「静岡新聞」昭和60年11月7日)
「60年の春ごろから一部関係者の間で問題視されていた、いわゆる中野大教会(滋賀県)問題であった。親教会の教会長の自殺未遂、ヤクザの介入など、話題は多いが、すべての原因は詰まるところカネに対するルーズさんあった。中野大教会問題とはいえ、問題をおこしたのは、部下教会である。つまり、中野大教会傘下に南濃分教会(岐阜県)があり、その部下に浪越分教会(愛知県)がある。問題はこの浪越分教会で起こった。浪越分教会の会長であった山田晴久氏は、(中略)いわくつきに人物であった。今回の問題の発端は、もともと彼が信者のために墓地の造成を手がけることに始まったのだが、墓地管理だけでは事業的に赤字が増えるばかりで、どうしようもないため、さらに不動産を手がける傍ら、ヘルスセンターをつくるというように、事業の幅を広げていったことであった。だが、しょせん素人のやること、(中略)59年までは、その借金も12億ぐらいだったらしい(中略)その結果、借金のカタに、浪越の部下教会までが担保に入れられ、責任を感じた親教会の南濃分教会長が自殺未遂をするに及んで、問題が表面化してしまった。そして、昭和60年3月半ば、浪越の部下教会長ら十数人は、天理教本部へ押しかけ、真柱が帰ってくるところを待ち受けて、”直訴”に及んだのであった。そこで、彼らは土下座して、浪越分教会長の不始末のせいで、自分たちの教会が担保に入れられているという窮状を訴えたのである。この浪越分教会の借金は、最終的には58億円に及んだといわれるが、そのうちの約40億円がいわゆる「悪しき金融業者からの金」だったと見られている。本来であれば、いくら本部で直訴などしても、本部が救済に入ることなどないのだが、この件に関しては、借金の取り立てに、ある暴力団が間に入って動いたこともあって、本部がその借金を肩代わり、暴力団に金を渡して、騒ぎを食い止めたといういきさつがあった。天理教本部は、その上で、中野大教会以下の各教会長を罷免、それ以上、問題が表面化しないようにしたのであった。(p97)
「中野問題以後、本部は心配になって、全国の大教会の借金の有無の総点検をやった。その結果、全天理教の教会の借金は、中野大教会を除いて、約100億円あったと言われている。」(p100)
「日野大教会は現在、山添理一前会長が実権を握っているのですが、この前会長についてはなにしろ袖の下を使って、上に取り入り本部役員になったと一般に噂されているぐらいで、悪い噂がいっぱいという人物なんです。この前会長時代に、日野大教会は滋賀県の山中に大きな敷地を買って、そこに大神殿を建てた。その費用を、カネに余裕のない部下教会に割り当てたのです。当時は、さらに教祖100年祭に向けて、本部へのお供えもしなければならない時期でしたから、各教会は非常に苦しい状況だったわけです。しかし、日野大教会側の言い草は決まっていて、『親のいうことはハイと素直に聞け!』という天理教の金科玉条を持ち出し、命令に逆らえば教会長の資格はないということで、クビを切られてしまう。そうなると、その教会長一家は路頭に迷うわけです。つまり、大教会に生活権まで握られているから、すべての命令に対してはイエスとしか答えられない。そこで、彼ら教会長たちは窮余の策として、自分の土地や建物を担保に入れて、金を借りまくり、サラ金や高利貸しにまで手を出さざるをえなくなる。ところが、利息も払えない。その結果、暴力団が借金の取り立てにくる。とうとう、部下の教会は逃げ場を失って、最後の手段として天理教の真柱に自分たちの窮状を訴えるために直訴したわけです」その金額が、全体で36億円であったというのだが、結局、天理教はその36億円を天理教の”御用銀行”である地元の南都銀行に立て替えさせたのである。そして、部下教会は、今度は南都銀行に、借金の返済をするという形にしてのであった。(中略)つまり部内で36億円という借金を生み、暴力団が介入、真柱への直訴騒ぎまで起きたにも関わらず、本来、そうした問題を起こしたことに対する責任が問われる山添理一前教会長は何も処分されず、逆に天理参考館館長に就任、出世までしているのである。」
以上である。その他、天理教関連の裁判事例や、大教会などの建物建築に関する問題、天理教の問題点を指摘したものへの罷免、除籍問題(中山みき研究ノート、八島問題、ほんみち)などが詳しく書かれている。とても興味深く、一気に読める。いずれ天理教関連の訴訟や裁判についても詳しく調査したいと思う。こうった事件や出来事は、天理教人の中では皆が知っている当たり前のことなのか、それとも知らない人が多いのだろうか私は知りたい。暗い過去としてタブーなのだろうか。
来年の教祖130年祭に向けて天理教本部は構成員にハッパをかけたいが、ハッパをかけすぎると教祖100年祭のように反社会的な事件が頻発してしまうジレンマを抱えることになる。もし100年祭のことのような事件が起これば、今の情報化社会では一気に社会から天理教批判が噴出するであろう。
私が最も興味深かったことは、天理教幹部(本部役員)による脱税事件である。私が知っている本部役員数人を見ると、本部役員はお金持ちという実感はない。生活に困っている感じではないがネット上に散見されるような、「天理教幹部は贅沢三昧」という批判は妄想的なお門違いだと私は認識していた。しかしこの事件で明らかになった脱税額は8000万円と高額である。3人の総計としてもかなり高額である。ということは、本部役員はかなりの高額なお給料を貰っていることになる。確かに今思うと、私の知る本部役員も贅沢な暮らしはしていないが、年の近い子供数人を大学まで行かせている。息子さんの結婚披露宴もそれなりのホテルで盛大にやっていた。そう考えると、贅沢に映らないような生活をしているけど、不自由のない生活であることは間違いないだろう。もちろん私の知り合いの末端の天理教人は、奨学金なしで子供を大学に行かせる余裕なんてなく全くなく、結婚式も明らかにお金がかかっていない教会での手作りであった。教会での手作り結婚式が悪いというわけではないが、信仰者の中のこの格差はきちんと明らかにすべきだと思う。
前回、天理教の財政統計をまとめた中で、「結局使途不明金が多くて、何に使われているのかはっきりしない」と感じた。しかし今回確信したことは、本部に集まるお金の中から数億円規模で本部役員の給料となっていることは間違いないだろう。また役員は、それぞれ病院や学校などの役員も兼任しており、役員報酬も得ている。もし違うというのであれば、天理教本部はより詳細な財務状況を公表すべきだ。
私は特に天理教と直接的な関わりがなく、お供え(献金)もしていないので、究極的にはどうでもいい。しかし、私の知り合いの多くの若者が、大教会で青年という立場で月2,3万円の給料(お与え)の中で生活し(衣食住はほぼ無料だが)、さらにその金額から毎月のお供えをしなければならないという生活である。もちろん年金も社会保障もない。また代々と続いている教会を継いだ若者なども、週に数回アルバイトをして日中は布教をして必死に生きている。毎月十数万の収入の中から家族を養い、教会を運営し、毎月のお供えもしている。信者からの献金は、そのままほぼ手をつけず上級教会へ献金し、最終的には天理教本部に上納される。もちろん、教会にいる彼らも年金や社会保障などできていないことが多い。しかし大教会や教会本部からは「たんのう(現状を喜ぶ)しろ」や「素直になれ」というレトリックを用いて弱者を洗脳している。こういった組織構造や既得権益を維持するために、教会本部や大教会が発するありがたい言葉は何の説得力もないだろう。私が当事者であれば、「なんじゃあこの組織は。あほらしい、やってられん」と思う。しかし組織構造に組み入れられた身分階層社会では、低位固定された末端の天理教人は「やってられない」と逃げることもできない。低位固定という概念は日本人にはピンとこないかもしれないが、ヨーロッパの階級社会と同様の構造である。
この状況を放置している天理教が、今後も社会の承認を得ることは難しいであろう。